第11話 前夜祭

「やっぱりだわ! 素敵……!」


 たどり着いた門の前で歓喜の声を上げたのは、背中の少女だった。


「早く中へ入りましょう!」


 促されるがまま門を開き、中へと入っていく。少女を背負ったまま玄関の戸を開くと、そのまま居間へと向かった。


囲炉裏いろり自在鉤じざいかぎまでついているじゃない!」


 自在鉤という言葉は記憶になかったが、少女の視線を辿るに、ぶら下がっている鉤状の物体のことを言っているらしい。無言の肯定をしながら少女を床に下ろしてやると、彼女は興味津々に膝で歩きながら囲炉裏へ近づいた。


「埃っぽいけれど、確かに灰の匂いもする……本当にここで、生活をしていた方がいたのね」

「良い生涯だろうと思う」


 荷物を下ろしながら短い相槌を打つ。しかし、少女からの反応が返ってこない。

 怪訝に思い振り返ると、少女がこちらを凝視していた。


「なに」

「……どうして、そう思うの?」

「……」


 少女のその問いに、自分は閉口していた。

 自分の口から出た言葉を思い返したとき、その発言をした自分のことが、理解できないと思ったのだ。


 ――人の生涯の良し悪しを、他人がおもんばかることなどできない。

 それが赤の他人であれば、なおのことだ。

 だというのに、何故――。


「……もしかして……なにか、あったの?」


 自分の沈黙になにを感じたのか、少女が真剣な瞳でこちらを見つめる。

 少女のその瞳を見つめ返した自分は、一度目を伏せてから語った。この家で目にした、全てを――。


「……」


 少女は自分の言葉を、静かに聞いていた。やがて全ての話を終えた自分の口が閉じられると、少女はゆっくりと瞬きをする。


「そう……最後は、一緒に」

「……」


 左足をゆっくりと擦りながら、少女は縁側に視線を送った。少女の位置からは見えないだろうが、その庭には二人の白骨遺体が、確かに存在している。


「……わたしたちには、想像することしかできない。けれど――」


 ――わたしが彼なら、きっと。あなたに感謝していると思うわ。


 こちらを見つめ、そう穏やかに微笑んで告げる少女。

 感謝されるために、した行動ではない。たまたま掘った先にたまたま遺体があり、わざわざ別の穴を掘る必要性も感じなかった――それだけの話。




 少なくとも自分は、それだけの話だと思っていた。




「やっぱりあなたには、心がある」


 少女の指先が、自分の手に触れる。そのままきゅっと絡め取られ視線を上げると、穏やかに微笑む少女の姿がある。


「……」

「その心を大切にして。最後は、心に従うの。何が起きても――どんな結末になろうとも」

「…………」


 少女の言葉が、胸の奥でゆっくりと広がっていくような錯覚を覚える。自分はゆっくりと瞬きを繰り返しながら、その言葉を反芻していた。

 自分の、最後とはなんだろう。この命には、終わりがあるのだろうか。

 わからない。わからないが――少女のこの言葉は、覚えていたい。

 ――自分の心が、そうような気がした。




 新拠点での生活は、穏やかに始まった。少女はこの家をいたく気に入ったようで、散歩の回数は減ったが、体調に変化が起きる様子はなかった。

 囲炉裏で火を起こして暖を取り、それを囲いながら他愛もない話をしたり、少女の裁縫を眺めたりするだけの、ゆったりとした時間。


「よし……! これでどう?」


 少女が、膝上の布地をパサリと広げた。自分がその方向へ視線を向けると、少女が手にしていたのは黒のワンピース。ここ数日黒い布地と向き合っているとは思っていたが、また随分な大作を作り上げたらしい。


「よくできている」

「そうでしょう? さぁさぁ、着てみて。温かい布地でできているわよ」


 その発言を聞き、彼女の作った衣服が自分用のものだったことを悟る。素直にその場で服を脱ぎ落としていき、ワンピースを頭から被った。袖を通し終えると、膝丈の布地がふわりと揺れる。その丸い襟は、少女が着ている白のワンピースと、よく似ていた。


「寝間着はそれにしたらどう? 制服のままだと、皺になってしまうわ」


 そのようなこと気にも留めていなかったが、どうやら少女は気にしていたらしい。素直に首を縦に振ると、少女は満足気にはにかんだ。

 さて、次は何を作ろうかしら――上機嫌な少女の声を聞きながら、柔らかなワンピースの裾を触る。




 手縫いとは思えない丁寧な縫い目が、指先に触れた。




 季節は更に進み、寒さは増していく。囲炉裏で霜焼けを起こしかねないほど外気温は低下し、少女の体調を加味し、外出担当は自分のみとなった。

 しかし、毎晩少女の寝入った後に外出していることを――日用品を補充したことで気づかれた――指摘されて以降、夜の活動はできなくなった。少女が頑なに起き続けようとするため、火の番をするのみ――換気の行き届いたこの家で、火の番をする必要性も大してないのだが――となってしまっている。

 そのため、昼間は近隣を探索し、日用品を確保することが日課となっている。少女を家に残すことが気がかりでないかといえば嘘にはなるが、こればかりは仕方がない。


 しばし遠くのスーパーから食料を補充し拠点へ戻ると、少女が眠っていた。

 夜によく眠り、日中は裁縫に勤しむ少女にしては珍しい――そう思いつつも鞄を部屋の隅に置き、少女のそばに歩み寄る。


「……」


 口を開いてから、ふと、自覚した。

 

 ――自分は未だに、少女の名を聞いていない。

 名を知る――その重要性がどれほどのものなのか、自分にはわからなかった。自分から少女に話しかけることは、基本的になく、少女が自分に話しかけるのみであり。何か伝えなければいけないことがあった場合も、自分が近づけば少女はすぐに悟った。

 故にこの状況は――自分にとって、1つのイレギュラーケースでもあった。


 ――軽く、肩を揺さぶってみる。少女は伏せられていた瞼をふるりと震わせ、瞼を薄く開いた。


「……クロ……おかえり、帰っていたのね」

「昨夜の睡眠時間は」

「……昨日は少し、考え事をしていたの。大丈夫よ」


 少女は薄く微笑む。その笑顔は、普段と比べれば格段に弱々しいと感じたが、かといって何かができるわけでもない。自分が閉口していると、少女はやがてゆっくりと起き上がった。今日は何を見つけたの? と部屋の隅ににじり寄っていくため、先回りをして中身を取り出していく。


 ――今、振り返って考えれば。


 この時に、気付いていたのなら――このような結末には、ならなかったのかもしれない。




 全てはもう、後の祭りだ。

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