第7話 白と黒

 2階のフロアを巡っている間、少女の瑠璃の瞳はきらきらと輝いていた。それは、真新しいものを目にした子どものようですらあった。


「お洋服がこんなに! クロ、お着替えする?」

「特段の興味がない」

「試着室もあるわ! 着ていきましょうよ!」

「人目はない」

「そういう問題じゃないの!」


 いつかのようにぷくりとむくれ、反論する少女。小首を傾げる自分を見て「あなたらしいけど」と溜飲りゅういんを下げた少女を一瞥いちべつし、自分は陳列された服に視線を向ける。

 自分の衣服には興味がないものの、この先の季節のことを考えると、少女のための上着を見繕う必要はあるかもしれない。自分はおそらく寒さが障壁とならないため問題ないが――寒さを感知することはできるが、おそらくそれによって身体機能に弊害が及ぶことはない――少女は最悪の場合、凍死しかねない。


「そうねぇ。確かにあなたのその服はとても似合っているし……そうだわ!」


 うーん、と顎先に指を添えて考えていた少女は、何かを閃いた様子でぱたぱたと売り場に入っていく。棚に隠れ見失いかけたため脚を早めると、少女が手に取っているのはどうやらカーディガンの類らしい。


「これとかどう?」


 少女がくるりとこちらへ振り返ると、ほつれたワンピースがふわりと広がる。袖と裾にポイントラインがあしらわれた白地のカーディガンを広げてはにかむ少女の顔と、その手の中のものを交互に見る。


「どう」

「着てみましょうよ」

「着ればいい」

「わたしじゃなくてあなたよ! わたしは、そうね……」


 これかしら。そう言って彼女が手に取ったのは、色の反転したもう一つのカーディガン。どうにも色が逆なような気がしたが、少女が自分に渡したのは白地のものだった。


「ほら、着て? わたしも着るから」


 いそいそと袖を通し始めた少女をしばし眺めてから、自分もそのカーディガンを着用する。肩周りに何か違和感はあるが、サイズは手首が隠れる程度で問題無さそうだ。


「ふふ、いい感じね! あったかいしちょうどい……」


 服を着用し終わりそのまま直立不動で居た自分。しかしそれを見た少女は言葉を途切れさせ、なぜだかくすくすと笑う。


「なに」

「ううん。なんだかクロ、子どもみたいだから」

「子ども」

「襟」


 とんとん、と首の後ろを指で示して、少女はいたずらっぽく笑った。


「普通、出すものよ? こういう重ね着をするときはね。ゴワゴワするでしょう?」

「……」


 そう言われ、肩周りの違和感の正体を悟る。手探りに襟を引っ張り出してみると、途端に収まりが良くなった。


「背中も見せて」


 その場でくるりと回転し、少女に背を向ける。「ぱっちり!」という声を聞き正面に向き直れば、「おそろいね」と両手を広げて笑う少女。

 ほつれた白のワンピースと、真新しい黒のカーディガン。一見チグハグなようで、それでいてバランスが取れている――そんな気がした。


「これで少しは温かくなりそうね」

「そう」

「他にも使えるものが無いか探しましょう」


 少女とともに、二階フロアを練り歩く。時折商品がぐちゃぐちゃにぶちまけられていたり、棚が破壊されている場所もあったが、大半は埃を被る程度で残されていた。


「温かいものが食べたいわ!」という少女の要望で鍋を調達する。ガスコンロとボンベも見つかったため、カートに次々に詰めていく。生活に使えそうなものを適宜ピックアップしていけば、随分な量になった。


「ふふ、少しは良い暮らしができそう」

「そう」

「あなたも食事の楽しさに目覚めるべきだわ」


 カートの中を見て楽しげに笑った少女が、こちらに視線を向ける。自分もカートに視線を落とし、詰め込まれた様々な商品を眺める。

 ――〝楽しい〟という感情が、自分に必要だとは思えない。少女は楽しさで日常を豊かにしているようだったが、そもそも日常に豊かさが必要だとも思えない。

 ただ、生きて、使命を全うできれば、それで良い。


 ――使命?




 自分の、使命とは――なんだ?




「あ!」


 深い思考に陥りかけた自分を、少女の明るい声が遮った。ぱたたた、と3つ向こうの棚の隙間に入っていったのを見ると、自分もカートを押しながらその後を追う。


 少女が目を輝かせながら見ていたのは、色とりどりの布が並んだ、手芸用品のコーナーだった。


「こんなに沢山……! これだけあれば、何を作ってもお釣りが来るわ!」


 ねぇねぇ、何が欲しい? 少女は意気揚々とこちらへ問いかけてくる。自分はしばし閉口したが、案の定出てきた答えは「わからない」だった。


「あら、そう? それなら……」


 ふぅむ、と顎先に触れて少女は思案する。カートに手を添えたままそれを見守っていると、「そうだわ!」と再び輝く彼女の瞳。


「次に作りたいものが決まったわ。ふふふ、楽しみにしていて頂戴」


 うきうきと胸を弾ませながら布を選定していく少女を、自分はただ眺めていた。

 布を見ているだけだというのに、ここまで上機嫌になる理由は自分にはわからない。

 しかし、ただ一つだけ、言えることがあった。




 こうして笑う彼女を見守っている時間は――悪くない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る