陰謀のヴァルサイエーズ

 光源は朔と星、この微かな明かりの中ではあのアンドレル庭園ですらただの平原と変わらない。だがだとしてもあの眩しすぎる金鏡の部屋よりもマシだ。それにここは涼しい。熱鬧の衆目で放蕩してしまったこの頭の熱を冷ましていく。

 まるで夜の中に溶けていくようだ。

 なんだか抑うつ的。このまま消えてしまったらどんなに心地良いんだろうな。


 「夜に釣られてセンチになってんじゃねぇよ」


 やはり僕は僕が嫌いだな。僕は僕が言われたくないことを無限に頭で呟いている。性欲に駆られる僕もそれを否定する僕も比喩的な表現を使って本質を隠したり、あるいは見ないようにする僕も全部嫌いだ。

 あぁクソ、また頭が熱くなってきた。せっかく深い夜で冷まそうと思ったのに。

 誰か止めてくれよ、この思考の嵐を。


 「フェルゼン伯爵閣下であらせられますの?」


 何処かで聞いた女の声。僕はその主を見つめる。しかし夜のヴェールとサングラスの暗さで顔がよく見えない。


 「はい。フェルゼンで御座います、マドモアゼル」


 彼女は僕にゆっくりと近づく。なんだか歩き方がおかしい。まるで右足に力が入ってないような歩き方だ。


 「すいません、右足が悪くって」


 彼女は何もない所で躓いた。これが偶然ではないとすれば、足が悪いというより足がないと訝しんでしまう。まさか、な。


 「お名前を伺いしても?」


 そんなことはないと思い僕は聞いてみた。


 「サン・レミ・ヴァロワ・ラモットと申します」


 「ヴァロワ・ラモットだと!?」


 今日が新月でよかった。もし満月であったら僕のこの驚愕の表情がバレてしまう。サン・レミ、あの壊疽性筋膜炎の女に。

 にしてもヴァロワ・ラモットか…その血は数世紀前に断絶した王家の親戚の血だ。高貴さで言ったらオーレン公と同等だぞ。

 …つまりこれが騙りであったら、不敬罪(レス・マジェスタ)に相当する重罪ということでもある。


 「ラモット様、失礼を承知でお聞きしますが義足をしてらっしゃいます?」


 悪い癖だ。異変があるとすぐにこうやって詮索したくなる。そういやシャルロにもこの悪癖を指摘されたっけ。そん時に首絞められて、それでなんでか好きになったんだったな。


 「えぇ、親切なお医者様が無償でこの義足をくださったんです」


 彼女は長いスカートから鉄と木の脚を覗かせた。僕はしゃがみ込んでその義足をまじまじと観察する。滑らかな曲線はまるで大理石のようで完璧な場所に当たれたリベットには美しさすら感じる。これこそ工業的芸術、つまり機能美である。

 まぁ、僕が造ったんだから当然だ。


 「ど、どうしたんですかそんなまじまじと…」


 さて、どうするか。彼女に"この義足は僕が造りました。ロベスピエールという男を覚えていますか?"と言ってもいいんだが、それはそれで面倒なことになりそうだな。なにせここはヴァルサイエーズ、貴族であるならば身の安全を代償に縛られるだけだが、市民階級となれば別。一歩間違えれば頭に穴が空いたり、最悪不敬罪で四肢とさようならだ。

 …僕はまだ死ねないし死にたくない。


 「アメリア独立戦争の時、友人が足を喪いましてね。その時の義足と同じなんです」


 僕は立ち上がり、再び庭の方に目をやった。黒洞々の夜の内に何かを見ようという訳ではない。ただ彼女に顔をじっくりと見られてしまったら自分がその人であるとバレてしまう気がしたのだ。


 「それはまぁ。ですけどアメリア独立戦争というと…ロベスピエール先生のお父様になるんですかねそれかお師匠様とか」


 「お師匠様でしょうね。確か名前はジョシュア・ギョータンだったような」


 医者の師匠がバチストだとしたらギョータンは工作の師匠だ。彼からはこういう医療製品だけでなく楽器の手入れや作製法、果てには手芸まで教わった。


 「その方、何処かで…」


 何処かじゃない。オーレン公のサロン、つまりパリス・ロイヤルだろう。なにせギョータンはオーレン公の下、人道的な処刑道具の提言を行なっている平民出身の議員だからな。

 故にこれで分かった。今回の件、オーレン公が裏で糸を引いてる。おそらく狙いは自らが王になることなんだろうが、手段が分からないな。真偽関わらず、今更ヴァロワ=ラモットの血を擁立して何になるんだろうか。


 顎に手を当てて、見当もつかない問題に当たりをつける。その無為な思考を遮る足音。大きさ的に男だろうか。


 「済まないラモットさん、彼を借りても?」


 優しく心地良い声。その主はロイス=ヴァロワ・フィリップ・オルレアンことオーレン公である。


 「えぇ、勿論。ではフェルゼン伯爵閣下、いつかお会いできたらまた宜しくお願い致します」


 去り際の彼女の手に僅かな星月夜の明かりが降り注ぎ、人差し指のササクレを照らした。やはり貴族の手と僕らの手は違う。同じ生き物の手だとは思えない程に、徹底的に違うのだ。


 「やぁ、フェルゼン伯爵。J.J.氏との面会はどうだったかい?」


 「えぇ、素晴らしいものでした。憂さ晴らしになりましたからね」

 

 「そうか。では次は何を望む?」


 一気に声が低くなる。ここからは仕事の話と言うわけだ。


 「ギョータンを使える状態にしろ。人道的な処刑道具にはあてがある」


 ギョータンはオーレン派の議員であるが、オーレン公は意図的に彼を抑えている。なぜならギョータンの望む処刑の平等化がオーレン公の望む所ではなかったからだ。

 オーレン公、彼はエガリテと名乗っているがその本質は上から目線のギバー根性。王と貴族は民を"守ってやるべき"であり、その為に彼は玉座に座そうとする。だから民の平等なんて最初から頭に入っておらず、なんなら意味無しとも思っている。だからギョータンの頭を抑えているのだ。

 つまり僕がやるべき所はオーラン公を牽制する為にギョータンの望む処刑の平等を実現させてやるという事だろう。


 「分かった。ではその代わり、君にはサン・レミという女を探ってもらおう」


 サン・レミを探る?あれはお前が忍ばせた女なんじゃないのか?


 「承知しました。しかし、その前に」


 「貴方が忍ばせた厄介者という認識で相違はありませんか?」


 僕は握手を求めながらそう質問した。礼儀を欠く行為ではあるがやむない。剣をもってして初めて会話する権利があるのだからな。


 「間違いない」


 「恐ろしい方ですね、貴方は」


 共感性と罪悪感の欠如した自己中心的な人間のことをサイコパスと呼称するが、オーレン公はまさしくそれだ。他者愛を語りながら自己愛を原動力としている。にも関わらず本人はそれに何ら疑問を持っていないのだから恐ろしいものだ。

 確信犯という言葉の本来的な意味は彼の為にあるんだろうな。

 

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