情けない男/ストックホルム症候群


 一発の弾丸が世界を変える。これは歴とした事実だ。実際今この状況でもしもマリア・アントワールが死んだらこのソレイユとオルストリカの不倶戴天和解条約も泡沫と消える。


 「フェルゼン様、裏切りで御座います!」


 運転手は振り向いて叫ぶ。先程まで2人いたはずだったが、1人になっている所をみるにやられたか。それに護衛の騎馬も2人ほど減っている。


 「どの馬鹿たれだ!!」


 馬鹿だ、大馬鹿だ。もし大義なくしてこの殺しを望むのなら呆れるほどのうつけ者だ。逆に大義あってやっているのなら、平和を望まぬなど悪魔信仰も甚だしいと言ってやる。


 「コトデー様、コトデーにございます!コトデーが裏切りました!」


 なん、だと!?コトデー・マリー・バルバトスが裏切ったのか!?近衛兵隊長という美しいキャリアを捨ててどうして?なんの意味があって!?


 「くっそ!アントワール様、貴方様はこのフェルゼンが命に換えてでも御守り致します。」


 激しく揺れる馬車、僕は懐からピストルを取り出した。金色の装飾がされた儀礼用のピストルである。

 撃ち方しか知らないそれを人に向けれるのか?

 僕は馬車の扉を蹴破り、後方から追いかけてくる馬の数を確認する。

 数は2つ、こちらの残り護衛も1人。僕が当てなければ負ける!


 「コトデー!貴様は何を望んでいるのだ!」


 コトデーの乗る馬に照準を合わせる。


 「正しい世界だ!」


 距離20、15、10…


 「貴様の望む世界の果てに正しさなぞあるものか!」


 10、8、6…!!


 「今だ!」


 初めて弾く引き金、馬の嘶き。人ではなく馬を狙ったからなのかも知れない。その引き金はとても軽かった。メスをよりも遥かに軽かったのだ。


 「やった!!」


 だがその喜びも束の間、馬の嘶きと人の叫ぶ声が辺りに響き、馬車が激しく揺れた。

 護衛の兵のピストルは襲撃者を撃ち殺したが、襲撃者のピストルは右先頭の輓馬の脚を撃ったのだ。輓馬が転び、それに躓いて他の定番も転ぶ。

 馬車が制御を失い、森の中に突撃しようとする。


 「アントワール様!こちらに!」


 僕は馬車の中の女を抱きかかえ飛び降りた。空中で肉体は3回転半回転し、僕が下敷きとなる形で草むらの中に突っ込む。

 背中に確かな激痛、腕に木の枝が掠めた。

 だが行きている上に姫君も無事だ。


 「ム、ムシュー助かりました。」


 サングラス無しでみる彼女の肌、彼女顔、まことそれは肉欲を呼び覚ます姿だ。つまり"女"そのものであり、僕の顔が赤くなった。


 「いえ、滅相も御座いません。」


 僕はすぐに彼女を離して、近場に落ちたサングラスを手に取って掛けた。


 「…見えているではありませんの。」


 僕の赤面は彼女にはっきりと見えていたらしく、薄っぺらな嘘が捲れて醜さが顕になった。


 「案外可愛いお顔をされてらっしゃいますね。」


 「お戯れを、やがて一国の王妃となられるお方がそんなことをおっしゃってはならんでしょう。」


 「そう思うのならその赤らんだ頬を鎮めてみなさいな。」


 こんなに心臓がうるさいのは母親の頭を掴んだときとシャルロに首を絞められた時以来だ。

 あぁくそ、さっき抱き寄せた時のあの確かな柔らかな感触が忘れられない。あの薔薇のような匂いが鼻に残っている。

 肉欲に走って本質を見失うなんて馬鹿らしい。なにより王太子妃殿下様だぞ、不敬罪(レズ・マジェステ)で八つ裂きにされたいのか?


 「王太子妃殿下様!!フェルゼン伯爵閣下!!」


 さっきの衛兵が僕らを発見する。

 助かった。だって僕は悔しくて彼女に何か言い返してやろうかと考えていた。それが負け惜しみにしかならないと知りながら。


 「お怪我はありませんか!?」


 「無い!今すぐ後方に知らせ!」


 衛兵は敬礼をしてから疾風のように走っていく。

 僕はただ、目の前の乙女を尻目に今回の事案について考察さていた。

 なぜ護衛があんなにも少ない?まるで襲わせる為のようじゃないか。

 もしもオーレン公が噛んでいたのだとすれば、最終目的は何だ?

 王太子妃殿下様を殺害し条約を帳消し、その責を僕に押し付けて僕を排除する?


 いや違うな。わざわざこんな手の込んだことをしてでも僕を排除する理由がオーレン公にはないだろう。

 わからない、オーレン公が、わからない。


 「アクセル、私達はどれほどの時間ここで待ちぼうけになりそうですの?」 


 「3時間程です。」


 彼女は腕を組みしかめっ面をして抗議する。

 本当に態度にだすお方だ。


 「堪えてください。」


 「…分かりました。ではさっきの話の続きから致しましょうか。」


 巨大メロン、それは14世紀にローマニアの詩人が描き、ユーロ州を抱腹絶倒させた物語。

 彼女は自分が死にかけたと自覚しながら何もなかったかのように読書談義に戻ったのである。

 凄まじい胆力をお持ちの方だ。


 その後特に問題もなく替えの馬車は到着し、いくつかの駅を経由して5日後にヴァルサイエーズに辿り着いた。

 

 シャトー・ロワイヤル・ドゥ・ヴァルサイエーズ。初めてみたそれはまるで異世界だ。

 荘厳華麗、豪華絢爛、豪壮壮麗、建築物に対して賞賛するあらゆる単語を積み重ねたとして、ヴァルサイエーズは表現できない。

 そして唯一ヴァルサイエーズを表現するのならこうである。

 約50年もの歳月を掛けてラソレイユ国民から搾り取った血税。


 つまり、王政と現体制、ひいてはラソレイユの姿そのものだ。


 「ここがヴァルサイエーズなのですね。世界に冠たるラソレイユに相応しい黄金の城ですこと。」


 彼女は幸か不幸かその巨大な生き物の口の中に飛び込んでいった。


 「メルシー、ムシューアクセル。貴方の事は一生忘れないわ。」


 あの異世界に僕が足を踏み入ることは許されていない。

 こんな豪華な服を着て上品な言葉使いをしたとしても貴族にはなれないのだから。


 だが僕はこの異世界を穢れた地上に叩き落とさなければならない。

 そうしなければ処刑人の子供は処刑人のままなのだから。


 

 

 

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