V字の女、サン=レミ


 目的地の前、うら若き乙女が赤い布を降っていた。


 「こ、こちらです!こちらです!」


 馬車はその乙女の近くに止め、私達3人は乙女の案内に従いアパートの3階の一室に入る。


 蝋燭1本の明かりと踏めば鳴る床。埃にまみれているわけでもゴミが溜まっている訳ではないが、雨漏りのせいで変色した壁は不潔に感じてしまう。

 そして部屋のベッドの上には毛布で下半身を隠した女性が横たわっていた。


 「姉のサン・レミです。」


 サン・レミ、今回の患者だ確か症状は足の皮膚が剥がれて歩けないだとか。

 まぁ、見てみないと分からないな。


 「お嬢様(マドモアゼル)、布団を捲っても?」


 「は、はい。先生、お願いします。」


 布団を捲るとまるで腐ったような赤黒い右足が顕になった。

 これは、右足の僅かな傷からバイ菌が侵入して壊死している。糞尿を窓から投げ捨てるこのパリスという臭い街ではよくあることだ。


 「ルナ、わかるな?」


 ルナの医療知識のテストの為に質問する。まぁ、ここ3年できっちり知識を詰め込ませたのだから簡単に答えられるだろう。


 「壊疽性筋膜炎だね。」


 壊疽性筋膜炎、それは細菌が皮膚の傷口や粘膜から侵入し、皮下組織から筋膜にかけて急速に広がることで、組織の壊死を引き起こす病だ。


 要するにこの時代じゃ普通に死ねる。


 「次、ポール。これをどう治す?」


 ポールには病名じゃなくて対応方法を答えさせる。彼は最初から病気の症状や名前は知っていたのだ。なにせ死体漁りをやるなら使えない死体と使える死体の区別はつかなくてはならないからな。


 「切断の後に傷口を焼灼しましょう。それ以外には…」


 切断、その言葉を聞いて妹は怒鳴った。


 「な、なんですって!姉の足を切る!?教会のお医者様は臭いが原因と言っていたのに!!」


 教会の治癒魔法医師共は人間を解剖したことが無いから病の仕組みも治し方も何も知らない。その癖して治癒魔法の質も低いんです。


 と、こんなことを冷淡に言って納得してもらえるとは思えないな。さて、どうしたものか…


 「フェリス!黙りなさい。この方は私達のような貧民の為に無償で医者をやろうというのです、お隣のマル婆の話をお聞きしたでしょう!」


 姉は啖呵を切って妹を黙らせ、続けてこう言った。


 「ロベスピエール先生、私の足を切ってください。」


 僕は彼女のか細い手を強く握った。折ろうと思えば簡単に折れそうな指をした手を握ったのだ。


 「貴方は勇気をだして、教会ではなく私達の医療を選んでくれました。サン=ベルナール・ロベスピエールの名において貴方のお命は必ずお救い致します。」


 僕は彼女をおぶって馬車まで運んだ。このキャビンは特注品であり、普通のキャビンと比べて広い作りになっている。

 手術台と手術道具諸々を入れるためだ。


 「ポール、ルナ、手術道具の準備を頼む。」


 手術台の横の椅子に座らせる。横ではポールが手術台を拭き、ルナが今回使う切断道具を清掃する。


 「ご安心ください。痛みなく終わらせます。」


 「違います、私は働けなくなってしまう事が…」


 「その点もご安心ください。義足は私の使者がお届け致します。」


 「な、なんてお礼をしたらいいのか…」


 「お礼入りません。ただ貧民の医師サン=ベルナール・ロベスピエールとオーレン平等公の名を広めていただければそれで良いのです。」


 オーレン公からの融資の条件、それはフェルゼン伯爵としてオルストリカからの少女を護衛することの他に、民衆に対してオーレン平等公の名を広める事だった。

 恐ろしい男だ。普通、王となりたいのなら王太子を始末するか王太子の影響力を遥かに上回る事を目指すだろうに、彼は革命を見越して民衆の人気取りをやろうとしているのだ。


 「わ、分かりました。市中で叫んで回りますわ。」


 「お願いしますと言いたいですが、術後はお身体に気を払って安静にしてくださいね。」


 後ろでは2人が道具の手入れを終わらせて手持ち無沙汰になっていた。

 頃合いだな。気張れよ、テルール。


 「ではマドモアゼル、失礼致します。」


 僕は彼女の額を手で覆い、こう唱えた。


 「深く眠れ(dormir profondément)」


 それは睡眠について詳しく研究された時代の記憶がある僕にしか使えない魔法である。


 「ロベスピエール先生、モルヒネの注射致しますね。」


 ルナは眠った患者の足に注射しモルヒネの投入した。そして椅子から患者を手術台に運びスカートを脱がせる。


 「安堵の表情か。さすがは鎮静剤の王様だ。」


 モルヒネの鎮静効果は凄まじく、さっきまで足の痛みと手術の不安で苦悶の表情を浮かべた女がこの通り。まるで母に抱かれる赤子のような表情をしている。

 わざわざ神聖帝国のとある研究者から個人的にから取り寄せた甲斐があるってもんだ。

 しかもこれからはオーレン公の資金力のおかげで全ての手術が痛みなく迅速に終わらせられる。


 「では、始める。」


 ここから先の手術であるが、日記では小さな文字で書いておこう。


 ""読み飛ばしても大丈夫なようにな""


 まず、股の付近に止血帯を強く巻き出血を抑える。この時、壊疽が広がっていない健常なラインより少し上に巻く。

 よし、ここからだ。


 「ポール、脚を持ち上げてくれ。」


 ラージナイフを持つ。研がれた刃の表面に自分の顔が映った。無表情だが、今にも崩れそうな顔だ。

 やはり僕は処刑人にはなれなかったな。知識とか才能はあったんだろうが、覚悟が無かった。生命を救う為に人の脚を切ろうという時に心が震えているのだから。そんな小心者のくせに彼女に変わって人を殺すなんてできっこない。


 「…ここからは集中するように。一分一秒の差で患者が死亡することもある。」


 気張れ、気張れよテルール。この女一人救えずして、どうしてシャルロを呪われた運命から救うというのだ。


 刃が脚に入り、血が溢れる。自分の父と母の血で汚れた処刑台を思い出す。

 だが僕の苦しみがなんだと言うんだ。今は追い出せ、目の前の命に集中するんだ。


 ラージナイフは僕の一息の中で脚を一周して皮と肉を断った。すると筋肉の萎縮運動によって骨が顕になる。

 残った肉を絶って、脚を繋げるものが肉だけとなった。


 「ルナ、ボーンソー。」


 ボーンソー(手引き鋸)を骨に当て、激しく前後運動をする。短くて20秒、長くて1分以内に切りきらなければ死亡のリスクが跳ね上がる。

 骨は粉となってポロポロと血の湖に落ちた。


 「結紮を行う。」


 結紮、それは糸で組織や血管を結び止血する行為だ。だが今回は時間がなく、細かな血管は焼灼する為動脈のみに限る。


 「鉗子。」


 鉗子で動脈を掴み、持針器で針を持って結紮糸を通す。その後鑷子で結ぶ。

 この作業は特に集中力とスピードがいる作業であり、雑にやれば糸が解けて出血、遅すぎれば多量出血で死ぬ。

 だが僕にはできる。できるんだ!テルール、お前が何処で医学を学んだのか思い出せ!この近世で一番の腕を持つ医師、処刑人バチストの下で学んだんだろうが。


 動脈を跨ぐ形で外科結びを行う。男結びに比べて結び目が大きくなるが、その代わり解けにくく、強い緊張のかかる部位によく使われる。登山靴の紐にも使われる強力な結び方だ。


 「煌々として燃えよ(brûlerviolemment)」


 種火を起こす魔法である燃えよ(feu)の延長線状の魔法である。確か従軍医師が砲撃で腕が飛んだ兵士を救いたくて編み出した魔法である。


 高温の火は切断面を焼き溶かす。人が焼かれる音と匂いというのは何もではない。ただ、豚肉や鶏肉が焼けるときと同じ音と匂いなだけだ。


 「スプリティス。」


 切断部を焼き終え、ルナに酒をかけさせた。

 この酒の銘はスプリティス。ポーランディア原産地のルーシー酒だ。その度数なんと70度。消毒及び包帯替えの際の苦痛を和らげる事を目的として輸入した。


 「軟膏。」


 蜜蝋と油油で作られたバジリ膏というものを塗ってから酒に浸した包帯を強く巻く。

 これにて手術は終了である。


 「お疲れ、酒でしっかり手を洗え。」


 眠ったままの御婦人を横目に僕らは酒で手を洗った。

 その後妹を呼び出しこう説明する。


 義足が届くまで絶対安静。

 切断部の包帯換えは3日に一度は行う事。

 その際この酒(スプリティス)を水で割って飲み、痛み止めに使う。また包帯に浸して消毒にも使うこと。

 切断部を洗う時、間違ってもセーヌ川の水で洗ってはならない。清浄な水かもしくは酒で洗う。

 何か変化があればサン=ベルナール・ロベスピエールの元に手紙を送るか、アンサング邸まで報告をすること。


 僕は全ての事を終え、帰路に着いた。速く風呂に入って眠ってしまいたい。

 

 


 

 

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