あの子の信者

夜燈ゆげ

第一部

ep.1プロローグ 



――起きろ。


見知らぬ男の声に、彼女は目を開ける。

視界は黒一色。光がどこにもない。


「早く来い。」


腕を乱暴に引かれ、

足が地面を探してもつれる。


ピーー。ガチャリ。

ロックが解除され、扉が開く。


ガーー。

自動ドアが呼吸するように開く。


その瞬間――

鼻を突く消毒液。

奥から漂う甘い香のような匂いが喉の奥にまとわりつく。


遠くで流れる音楽は、

祭礼にも葬送にも聞こえる。

言葉にならないコーラスは、

誰に向けて唄っているのだろう。



腕を引きずられながら

どこへ向かうのかもわからないまま進む。


呼吸が苦しい。

揺れるたび

拘束された手首に痛みが走る。



そして――

ある部屋に放り込まれるように倒れた。


冷たい床。

手枷が外される。


ガチャリ。

閉じ込められた。


目隠しを外すと

強烈な光が視界を刺す。


ゆっくりと、輪郭が立ち上がり

視界に広がったのは

窓も扉もない、白一色の部屋――。


ここは、この世のルールが通じない。

ぽっかりと空いた、帰れない場所だ。



           ◇        


蝉の声が聞こえる


視界に差し込む光のなか


笑いかけられる

あの瞳に


           ◇


「本日の初級者個人レッスンはこれで終了です。50分間、お疲れ様でした!」

彼女はオンラインフィットネストレーナーだ。


『今日もどうもありがとうございました!

順調に身体も絞れて無事彼との旅行に間に合いそうです!』


『それは良かったです!』


『先生は明日お休みでしたね。

彼氏さんとお出かけするんですか?』


『全然決まってなくて。最近忙しいし、きっと家でまったりかな〜』


『同棲してるんですよね?いいなぁ、私も彼とチルい休日送りたい』


『でも、たまにはお出かけしたいけどね』


画面越しに笑顔で手を振り

カメラをオフにする。


画面に映っていた冴えない顔が消える。

モニターには加工前の自分が映り込んでいる。


配信機材を片付け、リビングのドアを開ける。

迎えるのは真っ暗な部屋。

スイッチを入れると白い光が散らばり、静けさだけが広がる。


テーブルに広げたままのノートには、

彼からの言葉が残されていた。


____これ以上、君を巻き込みたくない。

どうか、探さないでくれ。

俺のことは忘れて――

新しい人生を歩んでほしい。


そんな簡単な言葉で、

納得できるはずがない。



翌日。

彼の捜索を依頼していた探偵事務所から、呼び出しの連絡が入った。


彼女は、大きな眼鏡に深めの帽子、マスクをつけ探偵事務所に急ぐ。


小さな応接室で、探偵が机に茶封筒を置く。

重たげな沈黙のあと、彼女は封をあけ、中身を覗き込んだ。


彼女の眉間に深い皺が刻まれる。



――彼は、ある宗教団体とトラブルを抱えていた。


新興宗教及び慈善団体


愛の木 活動及び調査報告書


1. 団体概要


「愛の木」は、誤った神への認識を正し、真なる愛と正義へと人々を導くことを目的として活動している新興宗教的組織であり、同時に慈善団体としても機能している。



主な活動内容は以下の通りである。

•宗教観・信仰意識の是正と啓蒙

•地域社会における慈善活動(食糧支援、孤独者への支援など)

•信徒同士の精神的・共同体的結合の強化

•「愛の根」を基盤とした宗教統一運動の推進


2. 活動理念(教義要旨)


闇の中を歩む子どもたちよ

必ずあなたの手を取る者がいる

あなたはもう一人ではありません

さぁ、愛しい隣人と手を重ねましょう

その手を、愛の根で静かに結びあわせ

共に紡いでゆきましょう


この教義は「孤独ではないこと」「愛による共同体の結合」「正しい導き手の存在」を信徒へ示して…




この団体はキケンだ…


彼らは、他の神の存在を決して許さない。

その姿勢は、時に恐ろしく危ういものだった。


団体は新規の一般募集をせず、

入信するには、スカウトか推薦されるしかない。

公にも姿を見せず

信仰は闇の中で密かに広がり、活動の多くは外部に知られていなかった。


日本でなんらかの宗教に

所属する者は

約〇〇万人。

世界では〇〇万人を超える。

強い信仰心を持つ人々が

カルトめいた教えに塗り替えられ

組織は急速に勢力を拡大していた。


血なまぐさい事件や事故が起こると

この団体の関与が疑われたが

決定的な証拠が無いらしい。


そのカルト団体から逃げ出した信者の一人は、身内に今までの出来事を書き残し、ポストに投函した直後、道路に飛び出して轢かれ死んだらしい。

手紙の最後には、こう書かれていた。


「私には無理だった。」


無宗教者の多い日本で平和に生活をしていたら

そんな物騒な団体と

よほどの事がない限り

関わりを持つ事はないだろう。


そんな危ういものに、どうして首をつっこんでいるのか。


彼女はため息をひとつつき、手元の資料に目を落とした。

どうしてこんなことになったのか。


彼は今どこに居るのだろう。



           ◇



何事もまずは見た目から入る彼は、就職先が銀行に決まると、これまで伸ばしていた長い髪を思い切って切り、新しいスーツも新調した。


試着室から出てきた彼は、鏡に向かってさまざまな角度から自分の姿を確かめる。

付き添いで来ていた彼女に向かい、白い歯を見せてニカッと笑った。


           

                                ◇       

  


彼が「愛の木」の関係者と会ってから、行方は途絶えた。

ならば接触し、直接情報を得るしかない。


だが「愛の木」への入団条件は、スカウトか推薦のみ。

それも、団体にとって価値ある信者に限られていた。


――潜り込むには、注目を集める存在になるしかない。

魅力を示し、彼らに「欲しい」と思わせなければならない。




小さな頭にスラっとした手足。長い黒髪とエキゾチックな顔立ち。緩やかな丸みを描くおでこ、すっと通る鼻筋、ふっくらとした唇。切れ長の大きな瞳には長い睫毛が際立ち、祈りの際に伏せた瞼は神秘的な空気を纏っていた。


ただ歩くだけで、人々の視線が自然と集まる。彼女が立ち止まり手を組むと、信者たちは息を潜め、まるでその空間の時間までがゆっくりと流れるかのようだった。声を発するたび、周囲は無意識に耳を傾ける。

彼女は綺麗だった。

実生活が困難になるほどに。



無理に振る舞っているわけではない。ただそこにいるだけで、人を惹きつけ、心を揺さぶる存在感。まるで空気そのものが彼女を中心に動き出すようだった。


その可憐で儚い姿を、信者たちはこっそり盗み見ては口々に噂をした。

「まるで木陰で休む蝶のようだ」

「信心深くて、でも儚げで…」


彼女はある教団に入信していた。

祈る姿は熱心で模範的、さらに経済的な支援も惜しまなかった。


しかし、見た目が優れているだけでは足りない。

彼女は静かに口を開き、自身の身の上を語り始めた。

それは単なる自己紹介ではなく、信者たちに「信じるに足る人物」と認めさせるための慎重な語りだった。


両親は過去の事件を原因に服役中で、身寄りもなく、婚約者も行方不明だった。

失意の中、救いを求めるヒロインは、涙を浮かべながら静かに感謝を口にした。

「私は救われました…」


その姿は人々の同情と共感を呼び、瞬く間に団体内で広まった。

彼女はたちまち、宗教団体のアイコン的存在となったのだ。

団体はその姿を巧みにSNSで利用し、信者獲得に活かし始めた。


しかし、ほどなくして彼女は拉致されることになる。




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