疾風勁草~あなたのメロディ、私の詩~

大田康湖

第一章 秘密のノート

第一話 レコードを買いに

 1974年7月6日。東京の下町では朝から小雨が降り続いている。

 両国りょうごく駅から隅田すみだ公園へと向かう途中にある隅田すみだ西にし高校。校門から、傘を差した学生服の男子生徒や紺のセーラー服に緑のスカーフの女子生徒が次々と出てきた。今日は土曜なので授業は午前のみなのだ。

 その生徒の中を、セミロングの髪の右上に黒い髪留めをつけた少女が通り抜けていく。

(『疾風しっぷう勁草けいそう』、『疾風勁草』)

 少女は心の中で呪文のようにつぶやきながら、バス停へと小走りに向かった。


              ○


 少女は『さか 真優美まゆみ』と書かれた定期券を見せると、両国駅行きのバスに乗った。数年前まではこの辺りにも都電が通っていたが、車の増加などで廃止されてしまったのだ。

 車内は学生で混み合っているが、真優美は幸い座席に座ることができた。学生カバンからビニールカバーが掛かった花柄のノートを取り出すと、スカートのポケットから出したルーズリーフの紙を挟む。開いたノートのページには真優美の走り書きがあった。

 『疾風勁草 疾風に勁草を知るの略で、強い風に吹かれて初めて強い草であることが分かること』

(ノゾミさん、どうして新曲のタイトルにこの言葉を選んだのかな)

 真優美はノートを閉じると、小雨がかかるバスの窓から外を眺めた。街路樹が風に揺れている。

(もうすぐ三者面談だけど、わたしの進路はもう決められてる。でも別の道を選ぶ理由もない。このまま両親の望む相手と結婚して、子どもを産んで生きるんだろうな。あーあ、ノゾミさんの歌じゃないけど「わたしのリズムで」生きられたらいいのに)

 ノートを閉じた真優美が前を向くと、視線の先につり革を掴んだ横澤よこざわ一希かずきの姿が入った。真優美と同じ3年1組だが、特に親しくはしていない。喧嘩騒ぎを何回か起こしたということで、クラスでも距離を置かれているのだ。

(このバスに間に合ったってことは、横澤くんも急ぎの用があるのかな)

 真優美はそう思いながら、ノートを学生カバンにしまった。


              ○


 駅前でバスを降りると、真優美はレコード店の入るビルへ向かった。入口で傘を畳んでいると、傘もささずに入ってきた一希がすり抜けていく。

(横澤くんもレコード買いに来たんだ。まさか)

 真優美はあわてて店内に入った。


 店内には人気歌手のポスターが並び、新曲らしきスターの歌が流れている。しかし、真優美の目的は店の奥にある「ニューミュージック」と書かれた一角だった。ここでも岬をめぐる失恋の旅の歌が流れている。ラジオでもよく聞く最新ヒット曲だ。

 真優美は新譜エリアに行こうとして立ち止まった。先に来ていた一希が『疾風勁草』と書かれたレコードを手に取っていたのだ。

「それ、ノゾミさんの」 

 一希はレコードに目を落とすと、驚いたように真優美を見た。

「これが最後の一枚だったんだ。坂に譲る」

 教室でいつも面倒くさそうに授業を聞いている姿とは違い、一希は有無を言わせぬ雰囲気でレコードを差し出した。

「いいんですか」

「俺は別の店で買うから」

「あ、ありがとうございます。このお礼はきっと」

 真優美は頭を下げてからレコードを受け取ると、レジに並んだ。


 レコードを買った真優美が、カバンに財布をしまおうとしたときだ。突然、階段の方から爆発音が響いた。

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