第19話 綾瀬VS澤村②
課後、校庭に夕日が落ちていく。
部活も終わり、生徒たちはほとんど帰ってしまった。
しかし──ひとりだけ、まだ走り続けている。
綾瀬小春。
息を切らしながらも、
トラックを黙々と周回し、
汗が頬を伝うたびに腕で拭っていた。
その様子を、
サッカー部の練習を終え、
ストレッチをしながら見ていた一樹は、
眉をひそめる。
(……まだやってんのかよ)
小春のフォームは崩れ、
足元もふらつき始めていた。
限界が見えているのに、
止まる気配がない。
見ていられず一樹はゆっくり立ち上がると自販機で買ったスポーツドリンクを片手に
トラック脇に歩いていった。
「──おい、小春」
彼が声をかけると、
小春はやっと足を止め、
肩で大きく呼吸しながら振り向いた。
「……っは、……なに」
息が荒すぎて、言ってるだけで苦しそうだ。
山城は無言でドリンクを差し出す。
「ほら。飲めよ」
小春は驚いたように目を瞬いたが、
黙って受け取り、キャップを開けると
喉を上下させながら一気に飲み干した。
空になったペットボトルを胸に抱えながら、
はあ……はあ……と呼吸を整える。
山城はその横顔を見て、静かに言った。
「……あまり無理すると、
オーバーワークで怪我するぞ」
小春は首を横に振る。
「大丈夫。まだいける……」
「どこがだよ。見てわかる。限界近いだろ」
小春は口を閉じ、俯いた。
沈黙が数秒。
そして小さな声で──
「……今日の50m走杏奈に負けた気がしたから」
山城は目を細める。
小春は続けるように言葉を落とす。
「同着って言われたけど……たぶん、私が負けてた。……そんな気がする」
手に持つ空のボトルを、ぎゅっと握る。
「生徒会とか委員長のこととか部活と両立させて上手くやってるつもりだけど……」
顔を上げた小春の瞳は、涙じゃなくて悔しさで光っていた。
「それを理由に負けるのは嫌なの。
…特に杏奈との勝負なら尚更負けれない」
(……やっぱりすげぇな)
諦めも逃げもなく、
まっすぐ正面から向かっていく。
これが綾瀬小春なんだと、
改めて胸の奥で実感した。
一樹は小さく笑って、小春の頭に手を置いた。
「もう十分頑張ってるだろ。」
小春は一瞬硬直し、
顔を真っ赤にして、叫ぶ。
「え、あ、ちょっと子供扱いしなでよ!」
一樹は肩をすくめて
「そういうつもりじゃないだけどな」
「もう帰る」
そう言いながらも、
小春はどこか満足そうに
夕暮れのトラックから歩き出した。
山城はその背中を見送りながら、
(……強いな。ほんと)
と、静かに思っていた。
小春と途中まで一緒に帰り別れたあと、
山城はひとり、ゆっくり歩き出した。
空にはまだ熱の名残があって、
吹いてくる風が少しだけ湿っている。
(……小春、あそこまで頑張るとはな)
そんなことを考えていたとき――
タタタタッ。
前方から、ランニングシューズの軽快な音が近づいてきた。
「よっ!」
軽い声とともに手を上げたのは、澤村杏奈だった。
「……杏奈もかよ」
一樹が苦笑すると、
杏奈は汗で額の髪を押さえながら首を傾けた。
「なにが?」
「いや……なんでもねぇよ。無理すんなよ?」
杏奈は口の端だけで笑う。
「ねぇ一樹。小春、部活終わった後も走ってたでしょ?」
「ああ。言ってたぞ。“杏奈だけには負けられない”って」
杏奈の眉がきゅっと上がる。
「……私もだよ」
夕日がその横顔をオレンジに染める。
「今日さ、私、小春に負けた。
同着って言われたけど、わかるんだよ。
ほんのちょっとだけ……私のほうが遅かったって」
靴先で小石を軽く蹴る。
「だからさ。
あんな頑張られたら……私だけ諦めるわけないでしょ?」
その言葉には悔しさより、
長年のライバルにしか向けない“敬意”があった。
一樹はふっと笑う。
(……ほんとに似たもの同士だよな)
「……ちょっと待ってろ」
「え、なに?」
山城は横の自販機へ歩き、
スポーツドリンクを2本買って戻ってきた。
1本を杏奈に差し出す。
「ほら。飲めよ」
杏奈は一瞬ぽかんとしたあと、
目を丸くして笑った。
「なにそれ、意外と気ぃ利くじゃん!」
「まあな……」
杏奈はごくごくと飲みながら肩を回す。
「ありがと、一樹。
……どうせ、小春にも同じことしてんでしょ?」
「なんでわかんだよ」
一樹が苦笑すると、
杏奈はニヤッと指差した。
「この女ったらし〜」
そう言って手を振り、
再び軽い足取りで走り出していく。
夕日の中、背筋を伸ばして前を向く姿は
どこまでもまっすぐで、強かった。
山城はその背中を見送りながら、
ぽつりとつぶやく。
「……ほんと、似てるわ」
勝ちたい理由も、負けたくない理由も。
その熱も。
ふたりは、あまりにもよく似てる。
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