第3話 ゲームセンター事件①

放課後、教室の窓から

 春の風がふわりと吹き込んだ。

 まだ“知らない土地の匂い”がした。


 ──県外からの引っ越し。


 親の転勤についてきただけで、

 自分の意思とは関係のない環境。

 中学の友達は誰もいない。


 昼休みも、

 誰かの輪に自然と入れるほど器用じゃない。


 (……みんな、もうこんなふうに話せるんだ)


 廊下から聞こえる女子たちの笑い声は、

 自分だけ少し遠くにいるような気持ちにさせる。


 焦りではない。

 ただ、胸の奥が静かにざらつく。


 教室の出口から賑やかな笑い声が聞こえた。


 振り返ると──

 男子4人が教室を出ようとしていた。


 山城一樹、藤原蓮、竹中悠真。

 そして、今日の昼休みに静かに入ってきた転入組の

 黒川慧。


 4人は特別なこともなく、

 自然な距離感で話しながら廊下へ出ていく。

 その背中が、ただそれだけで眩しく見えた。


 (……楽しそうでいいな)


 近づきたいわけじゃない。

 憧れているわけでもない。


 ただ──

 “ああいう空気の中に入れたら、少し変われるのかな”

 そんな考えがふっと胸をよぎった。


 男子たちの姿が見えなくなってから、

 実桜は教科書を静かに鞄の中にしまった。


 (……明日、もう少しだけ頑張ってみようかな)


 鞄を手に取って立ち上がろうとした、その瞬間。


 「吉川さん!」


 明るい声が教室の前列から響いた。


 顔を上げると──

 桜井陽菜、澤村杏奈、綾瀬小春、三条京香。

 四人がまっすぐこちらへ歩いてくる。


 巻き髪を揺らしながら陽菜が一歩前に出る。

 「ねぇ吉川さん!

  今からみんなでプリクラ撮りに行くんだけど、一緒に行かない?」


 杏奈が肩をすくめて笑う。

 「突然だけど……無理だったら断ってね」


 小春が手を合わせて言う。

 「吉川さん絶対写りいいって! 入学の記念にさ!」


 三条京香が柔らかい微笑みを見せる。

 「もし予定がなければ、よかったら……一緒に」


 その四人の真っすぐな好意に、

 実桜の胸がふっと熱くなった。


 (……誘ってくれるんだ)


 “ついで”じゃない。

 ちゃんと自分に向けられた言葉だと分かった。


 陽菜が机に手をつき、覗き込むように言う。

 「ね? 行こ?」


 その笑顔に押されるように、

 自然と言葉が漏れた。


 「……うん。行く」


 「よっしゃ!!」

 陽菜が両手を叩いて喜ぶ。


そのまま四人に囲まれるように廊下へでる。

行き先はゲームセンターのある商店街──今日は、少しだけ心が軽かった。






ゲームセンターの自動ドアを抜けた瞬間、

 耳に飛び込んできたのは電子音と歓声が入り混じった、独特の熱気だった。

 山城一樹は思わず周囲を見回し、懐かしさに少しだけ口元が緩む。


蓮がエアホッケーの台を見つけて言った。


 「お、空いてる。やるか?」


 悠真が一樹の背中を押す。

 「お前こういう反射系強いしな」


 一樹が返そうとしたとき──

 すぐ隣から名を呼ばれた。


 「……山城」


 振り向くと、黒川慧が立っていた。


 その目は静かだが、芯に熱がある。


 「覚えてるか? 中学時代……俺とのマッチアップ」


 一樹は苦笑して頷いた。


 「ああ。唯一俺を苦しめたのは、お前だったな」


 慧の指先が、ホッケー台のスティックを軽く叩く。


 「負けっぱなしは癪だからな。

  ……リベンジだ」


 一樹は口元をゆるませた。


 「分かったよ。受けて立つ」


 蓮が横から突っ込む。


 「いやいや、なんでサッカーのリベンジがホッケーなんだよ」


 慧は少しだけ視線を逸らす。

 「……勝負できるなら何でもいい」


 蓮と悠真は吹き出したが、

 慧の表情は本気だ。


「悪いな藤原、先に俺にやらせてくれ。」


「構わないよ」

蓮は笑いながら慧に場所を譲る。



 開始の合図とともに、

 パックが台を滑る。


 慧の動きは速い。

 反応も鋭い。

 コースの読みも冴えている。


 (……さすがだな)


 一樹は心の中でそう思った。


 だが──その僅かな隙を突くのが一樹の強さだった。


 高速で跳ねるパックが、

 互角の攻防の果てに──


 カンッ!


 慧のゴールへ吸い込まれる。


 僅差の勝利。


 慧はしばらく動きを止め、

 それから静かに息を吐いた。


 「……やっぱりお前は、やりづらいよ」


 一樹は笑う。


 「そっちこそ。反応速すぎ」


 慧は一樹の目を真っ直ぐ見た。


 そして、短く言う。


 「……まだだ。次は──格ゲーだ」


 蓮が突っ込む。

 「いや競技変わりすぎだろ!」


 一樹は笑ってスタートボタンに手を伸ばした。


 「はいはい。付き合ってやるよ、リベンジ王」


 慧は真剣そのものの顔で言う。


 「……その称号はいらない。勝つ」


 悠真が肩をすくめた。


 「この二人、ほんと仲いいのか悪いのか分かんねぇな」


 けれどどこかで、

 4人とも同じものを感じていた。


 ──こういう時間、悪くない。


格ゲーの勝負は、

 山城の体力ゲージがあと一ミリ残ったところで──

 慧の鋭い連打が決まり、画面には決着の文字が踊った。


 慧の勝ち。


 一樹は素直に手を上げた。


 「……やるじゃん」


 慧は息を整えながら、

 わずかに口元をゆるめた。


 「ようやく一つ……な」


 その“ほんの少しの笑み”を見て、

 一樹は思わず言った。


 「お前、笑うんだな。

  もっと、とっつきにくい感じだと思ってたわ」


 慧は目を細めて返す。


 「……それ、お前が言うかよ」


 二人の間に自然と笑いが漏れた。


 一樹はスティックから手を離しながら、

 ふと疑問を口にする。


 「そういえばさ……なんで弓道なんだ?

  さっきはああって言ってたけど、

  本当のところは?」


 慧は少しだけ間を置いた。

 視線を横にずらし、静かに言う。


 「……挫折、ってのもあるけどな。

  なんか、俺だけ頑張ってるのが馬鹿らしくなったんだよ」


 一樹は黙って聞いた。


 慧は続ける。


 「チームの温度差っていうか……

  気持ちが合わなくて。

  何度か、ぶつかった」


 それは慧の性格を知っている一樹には、

 妙に納得できる話だった。


 「……まあ、確かに。

  お前のチーム、お前しか相手にならなかったよな」


 慧は苦笑する。


 「言うなよ、それ」


 一樹は手をポケットに入れながら、

 少しだけ顔を向けた。


 「でもさ。

  見かけによらず熱いんだなお前。

  ……そういうとこ、嫌いじゃないよ」


 その言葉に、

 慧の動きが一瞬止まった。


 そして──

 わずかに目をそらしながら、小さく言う。


 「……ありがとな」


 ホッケーでも、格ゲーでも、

 勝ち負けは大したことじゃない。


 けれどこの一瞬だけは、

 確かに“何かが始まった”気がした。



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