第39話

 せっかく楽しみにしていた父、慎太郎しんたろうとの八景島シーパラダイスへのお出かけだと言うのに、千陽路ちひろは何とはなく心ここにあらずといった風情だった。

「疲れてるみたいだね? 千陽路」

「え? ううん……」

 千陽路の気のない返答に慎太郎はフッと笑った。

彩乃あやのさんのことが気になる?」

「……どうして?」

「パパは千陽路のパパだよ? 千陽路のことがわからないと思う?」

「お姉さんのことが気になるって言う訳じゃないんだけど……」

 千陽路はぽつりと口を開いた。

「気になるのは、祐佑ゆうすけかな?」

 千陽路のその言葉を受けて、慎太郎は柔らかな笑みを浮かべて問う。

「パパ……」

 千陽路は驚いて父の顔を見た。

「どうして? 私、別に……」

「じゃあ、どうしてそんなに元気がないのかな?」

「だって……だって……」

 慎太郎の言葉に千陽路は混乱してしまっている。

「祐佑が彩乃さんと二人で出かけるのがイヤなんじゃないの?」

「それは……」

「落ち着いて、千陽路。よく考えてみて。千陽路は彩乃さんが好きだろう?」

「うん。お姉さんみたいに好きよ」

「祐佑のことも好きだろう?」

「うん……」

「どうして千陽路の好きな人同士が一緒に出かけるのに、そんな顔してるのかな?」

「私……変な顔してる?」

「千陽路はいつもかわいいよ。だけど、上の空って顔はしてるね」

 言って、慎太郎は笑った。

「あの……あのね、パパ。私……どうしてかな? お姉さんが祐佑のことかっこいいとか言ったら、何だか胸がもやもやするの」

「うん……」

「お姉さんが、おじさまがお姉さんのこと気に食わないって思ってるって聞いた時も胸がもやもやしたの。どうしてかな?」

「それはね、千陽路が自分で気付かないといけないことだね」

 慎太郎は静かな口調でそう言った。

「え?」

「祐佑も、誠志朗せいしろうも、千陽路にとっては大切な人だろう?」

「うん。二人とも大好きよ」

「でも、彩乃さんは祐佑のことは気に入ってるみたいだけど、誠志朗のことは気に入らない。まったく逆の評価だね?」

「うん」

「でも、どっちにしても千陽路は胸がもやもやする……どうしてかな?」

 慎太郎は柔らかな笑みを浮かべてそう訊いた。

「……どうしてかなぁ……お姉さんがおじさまと仲良くないのがイヤだからもやもやするのはわかるの。でも、お姉さんは祐佑とは仲良しで……好きな人たちが仲良しだったら嬉しいはずなのに……」

「そうだね……不思議だね……でもね、千陽路。さっきも言ったけど、それは、千陽路が自分で気付かないといけないことだよ。パパが教えてあげられることじゃないんだ」

「どうして? パパはいつだって私に何でも教えてくれるのに……」

「そうだね……でも、こればっかりは教えてあげられないなぁ……自分一人で答えが見つけられないなら、そうだなぁ……かなでちゃんに相談してみるのもいいかもしれないね」

慎太郎は千陽路の一番仲が良い友達の名前を口にした。

「奏ちゃんに?」

「うん。奏ちゃんは千陽路の一番の友達だろう? いつだって自分を助けてくれるのは友達だ。パパも誠志朗や祐佑にはどれだけ助けられてきたかわからないよ」

「そうなの?」

「もちろん。パパがこうしてここに立っていられるのは、誠志朗と祐佑がいてくれたからだ。特に誠志朗はパパを松岡家まつおかけ本家当主にしてくれた人間だ。ずっとおんぶに抱っこで、迷惑ばっかりかけているのに、あいつはパパの友達でいてくれる。今回の彩乃さんのことだって、電話一本で快く引き受けてくれた。パパはあいつには頭が上がらないけど、そんなことじゃないんだ、友達っていうものは。どれだけ迷惑をかけても、かけられても。お互いが友達だって思っている以上、貸しとか借りとかじゃなくって、自分が相手にできる精一杯のことがしたくなるものなんだよ」

 慎太郎はそう語った。

「千陽路が何にどう悩んでいるか、それはパパには想像がつくけど、それを千陽路にこうだよって教えてあげることはできないんだ。千陽路が一人の人間として向き合わないといけないことなんだ」

「パパ……」

「そういう時に助けてくれるのは、パパたち大人じゃない。友達だよ。何だったら今、奏ちゃんに会えないか訊いてみるといい」

「……」

「ほら、電話してごらん?」

「うん……」

 千陽路自身、自分がどうしてこんなにもやもやしているのかわからなかったので、父の助言に従って奏に電話を掛けることにした。

「奏ちゃん。私、千陽路。あのね、今からおうちに行ってもいい? うん、お話したいことがあるの……うん……ううん、大丈夫。パパに送ってもらうから……うん、ありがとう。じゃあ、後でね」

 どうやら奏は快諾してくれたようだ。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 二人は座っていたテラスから立ち上がった。


「千陽路ちゃん!」

「奏ちゃん。急にごめんなさい」

「ううん。どうせ暇にしていたんだもの。来てくれて嬉しい。良かったら泊まっていかない?」

「え? いいの?」

「もちろん。千陽路ちゃんパパ。千陽路ちゃん今日、うちに泊まってもいいでしょう?」

「うん、もちろんだよ。泊まらせてもらいなさい、千陽路。明日迎えに来るから」

「うん」

「千陽路をよろしくね、奏ちゃん。ご両親によろしく」

 そう言って、慎太郎は待たせてあったタクシーに乗り込んで走り去った。

「何かあったの? 千陽路ちゃん」

 ぼんやりと慎太郎を見送る千陽路に心配げに奏が声をかけた。

「えっと……」

「お部屋に行こう。ゆっくり聞くから」

「うん。ありがとう、奏ちゃん」

 門脇家かどわきけに入り家にいた奏の母に挨拶をして彼女の部屋に向かう。

「お茶、何がいい?」

「何でもいいわ」

「千陽路ちゃん、抹茶ラテ好きよね? 抹茶ラテでいい?」

「うん。ありがとう」

 奏は内線を使って家政婦にお茶とお菓子を持って来てもらうように伝えた。

 家政婦が来るまで、他愛もない話をしていたが、彼女が部屋を下がった途端、奏は確信に触れるように言う。

「すっごく悩んでるって顔してるね、千陽路ちゃん」

「えっと……パパにもそう言われたの。そういう時は、パパじゃなくって、お友達に相談しなさいって」

「千陽路ちゃんパパが? って言うことは、恋の悩みね」

 きっぱりはっきり、奏はそう言った。

「え? そんなんじゃ……」

 ない、と千陽路は口ごもった。

「あの、千陽路ちゃんパパが友達に相談しなさいって言うんでしょ? それしか考えられないじゃない。相手、誰?」

「待ってよ、奏ちゃん。だから、そんなことじゃないの」

 千陽路は自分でもわからないまま慌てて奏の言葉を遮った。

「じゃあ、何?」

「えっと、ね……」

 千陽路は事の次第を奏に話して聞かせる。

 奏は千陽路の話を、それでどうしたの? などと相槌あいづちを打ちながら真剣に聞いてくれた。

「つまり、彩乃さんっていうお姉さんと祐佑さんがお出かけしたことが千陽路ちゃんは面白くないわけね?」

「面白くないって言うか……何だか、もやもやするの」

「それが面白くないってことでしょう?」

「おじさまがお姉さんと仲良くないのも、もやもやするのよ?」

「それはね、千陽路ちゃん。真逆の気持ちよね?」

「え? 同じじゃないの?」

「全然違う」

 奏はきっぱりそう言い切った。

「千陽路ちゃんのおじさまがお姉さんが仲良くなくってもやもやするのは、その二人に仲良くして欲しいからでしょ?」

「そうね……たぶん……」

「もし、千陽路ちゃんのおじさまとお姉さんが仲良しになって、二人でどこかにお出かけしたら、千陽路ちゃんはどう思う?」

「……仲良くしてくれて嬉しいなって、そう思うと思う……」

 千陽路は考えてそう応えた。

「祐佑さんとお姉さんは、二人でどこかにお出かけしてるわけでしょ? 千陽路ちゃんのおじさまとお姉さんがお出かけするのは嬉しいのに、どうして祐佑さんとお姉さんがお出かけしてることにもやもやするのかが問題よね?」

「うん……そうね……」

 それが千陽路自身不思議なことだった。

「やっぱりね……」

「何がやっぱりなの? 奏ちゃん」

「千陽路ちゃん、はっきり言うね。それは焼きもちよ」

「え?」

「千陽路ちゃん、祐佑さんに恋してるのよ」

 奏はいっそおごそかと言っても良い口調でそう言った。

 それを聞いても千陽路はうまく事態を飲み込めていない様子だ。

「だって……祐佑よ? パパの側近で……私、ホントに小さい頃から一緒にいたのよ?」

「そんなの、関係ないわよ」

「だって……だって、祐佑はパパより年齢とし上だし……」

「それも、関係ないわね」

「待って……待ってよ、奏ちゃん」

 千陽路は慌てた。

「そんなこと……あるはずないじゃない」

「どうして?」

「どうしてって……」

「祐佑さんって、千陽路ちゃんの親でも兄弟でもないんだから、好きになってもおかしくないじゃない」

「だって……」

「千陽路ちゃん、落ち着いて」

 奏は笑ってそう言った。

「ずっと側にいてくれた人だから、中々認めたくないのはわかるわよ? でも、よく考えてみて? 少し前に祐佑さんとお出かけした時、すっごく楽しかったって言ってたでしょう?」

「うん……」

「映画観て、ショッピングして、食事してって、デートじゃない、それ」

「そんなんじゃ……」

 千陽路はない、とは言えなかった。

「千陽路ちゃんパパとか、千陽路ちゃんのおじさまとかともお出かけしてるでしょ? その時もおんなじくらい楽しかった?」

「もちろん、楽しいわ」

「……だったら、どうして今日千陽路ちゃんパパとのお出かけやめてまでうちに来てくれたの?」

「え? それは……」

「千陽路ちゃんパパとのお出かけ中なのに、千陽路ちゃんは祐佑さんとお姉さんのことが気になって仕方がなかったんでしょう?」

「でも……だからって、私が祐佑のことが好きとかそんなこと……」

「祐佑さんのこと、キライ?」

「好きよ。でも、それは奏ちゃんが言う好きとは違ってて……」

「どう違うの?」

「どうって……」

「千陽路ちゃんパパとか千陽路ちゃんのおじさまとかと、どう違うの?」

「だから……いつも側にいてくれて……すごく、私のことを大事にしてくれて……」

「それは、千陽路ちゃんパパとか、千陽路ちゃんのおじさまとかもそうでしょう? 千陽路ちゃんのおじさまとか、ホントに千陽路ちゃんのこと大事にしてくれてるじゃない? すっごくかっこいいし」

「おじさまはステキよ。オシャレでかっこいいわ」

「千陽路ちゃん、千陽路ちゃんのおじさまのこと好き?」

「好きよ」

「よく考えてね? 千陽路ちゃんは祐佑さんとどっちが好き?」

「どっちって……二人とも好きよ」

 千陽路の答えに奏はため息を落とした。

「奏ちゃん?」

「よく考えてって言ったでしょう? 千陽路ちゃんはすっごく大切に育てられたからわからないかも知れないけど……」

「奏ちゃんにはわかるの?」

「わかるわよ」

 奏はそう断言した。

「わかりすぎるくらい」

「教えて。どうして私、こんなにもやもやするの?」

「だから、千陽路ちゃんは千陽路ちゃんのおじさまと誰かがデートしても気にならないのに、祐佑さんがお姉さんとデートしてたら気になってるんだもの。理由なんて簡単よ。千陽路ちゃん、祐佑さんに恋してるんだってことよ」

「そんなこと……」

「千陽路ちゃん、自分の気持ちをよく考えてみて?」

「奏ちゃん……」

「祐佑さんとお出かけしたって教えてくれた時、千陽路ちゃんすごく嬉しそうだったわ。その時から私、ピンと来てたの。もしかすると千陽路ちゃん、祐佑さんに恋してるんじゃないかって」

「そんな……」

「少なくとも、千陽路ちゃんが千陽路ちゃんのおじさまより、祐佑さんのことが好きなことは確かね」

 奏は厳かにそう口にした。

「でも……」

 しかし、千陽路はと言えば戸惑いが隠せなかった。

「祐佑って、ホントに小さい頃から側にいてくれて……」

「でも、千陽路ちゃんって、私がこの前お泊りに行った時も、私が祐佑さんのことかっこいいって言ったらすっごく嬉しそうにしてたでしょう?」

「それは……そうだけど……」

「ねぇ? 千陽路ちゃん。よく考えてみて。祐佑さんのこと。千陽路ちゃんにとって祐佑さんってどんな存在?」

「どんなって……」

 問われて千陽路は考え込む。

 千陽路にとって祐佑は忙しい父の代わりに常に側にいてくれて、正直なことを言えば父よりも身近な存在だと言っても良い。

 もっと幼い頃のことを思い起こせば、千陽路はその頃から祐佑に懐いていたと聞かされていた。

 あれほど手放しに千陽路をかわいがってくれる誠志朗よりも、祐佑に懐いていて、それは彼が焼きもちを焼くくらいだったとも聞かされた。

「私……自分で気付いてないだけなのかなぁ……」

「たぶんね」

「奏ちゃんにはどうしてわかっちゃったんだろう……」

 千陽路は不思議そうな顔を奏に向けた。

「こういうことは外から見た方がよくわかるものなのよ」

 奏は笑ってそう言った。

「特に、すごく身近な人が相手だと自分じゃよくわからないものだから」

「でも……きっと、パパもおじさまも、祐佑本人だっていい顔しないと思う……」

「他の人なんて関係ないでしょ?」

「……」

 そうだろうか?

 父、慎太郎は千陽路の実の父ではないし、誠志朗にしろ祐佑にしろ、松岡家本家当主である父を補佐する立場の人間だ。

 そして何よりも、つい先日千陽路は正式に松岡家本家次期当主を継ぐことを許されたばかりだ。

「ねぇ、千陽路ちゃん」

「なあに? 奏ちゃん」

「もし、祐佑さんが他の人と結婚とかしたら、どうする?」

「え?」

「ない話じゃないわよね? 祐佑さん千陽路ちゃんよりうんと大人だし……」

「祐佑が……結婚……でも、祐佑、結婚するつもりはないって前に言ってたわ。自分の結婚より、パパの結婚が先だって」

「千陽路ちゃんのおうちって、古いおうちよね? そういうおうちって自分の好き嫌いとかじゃ結婚できないって聞いてるわよ。例えば、千陽路ちゃんパパが祐佑さんにお見合いとか勧めたとしたら、それは断れないんじゃない?」

「そんなの、ヤダ……」

 祐佑はずっと自分の側にいるものだと千陽路は思っていた。

「そうでしょう? やっぱり千陽路ちゃん祐佑さんのこと好きなんじゃない」

「だって……だって、祐佑はずっと小さい頃から側にいてくれて……」

「その祐佑さんがいなくなってもいいの?」

「そんなの、ヤダぁ」

「ね? 千陽路ちゃん。自分の気持ちに素直になって?」

 素直になれと言われても。

 千陽路としては思い当たることはあっても認めることが難しいことだった。

 本当に、霊より恋の方がずっと難しいと千陽路は思っていた。

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