第31話

 中学生になった千陽路ちひろは、以前より積極的に父である慎太郎しんたろうに同行を申し出るようになっていた。

 もちろん、学校が休みの時以外慎太郎は同行を許さなかったが、それでも土日の休みであったり、春夏の長期休暇であったりは千陽路を連れて行くことも多くなっていた。

 ただ、冬休みについては、それこそ慎太郎は寝食すらままならないほどの過密スケジュールで動いているので、彼女もさすがに同行を申し出る暇さえないというのが正直なところだった。

 正直なことを言ってしまうと、慎太郎としては今この事態になっていても、どうしてこんなことになったのだろうと思わずにはいられなかった。

 しかし、慎太郎が千陽路を初めて現場に連れて行ったのは彼女が小学六年生の夏だった。今は既にもう中学一年生の夏になっている。その間に何度も現場に同行して、何の問題もなく過ごしてきた。

 夏休みなので旅行がてらと言う訳ではないのだが、慎太郎は福岡県にある千川家せんかわけの紹介で動くことになった依頼に千陽路を連れて行くことにした。

 今回の随行は祐佑ゆうすけである。

 羽田空港から福岡空港へ、約二時間。

 慎太郎としてはビジネスクラスでも十分贅沢だと思っているのに、祐佑が松岡家まつおかけ本家当主なのだからどうしても、と譲らないため三人はゆったりとしたファーストクラスで向かっていた。

 離陸してしばらくして、シートベルト着用のサインが消え機内サービスが始まった。

「ねぇ、パパ。今日のお仕事はどんなお仕事なの?」

 千陽路には詳細を伝えていなかったので、そう訊いてくる。

「そうだね……今回は福岡にある千川家っていう、松岡家本家の古い顧客からの紹介なんだけどね。知り合いの藤浪家ふじなみけって家で、何か異変が起きるって話だよ」

「異変?」

「そう。家の中で人影を見たり、物が勝手に移動したり……何かしらのモノがいるのかもしれないね」

「オバケかな?」

「かもね……まぁ、物が勝手に動くって言うのはポルターガイストって言えばわかりやすいかな?」

「ポルターガイスト……」

「うん。よくあることなんだけどね。人影の方は、もしかしたら何かアピールしてきてるのかもしれない。自己主張の激しい霊がいるのかもね……怖い?」

 実を言えば、千陽路が訪れた現場と言うものはほとんどが家の拝みであったので、こういった怪異現象は初めてだった。

「怖くないもん」

 千陽路は強がってそう言った。

 それを優しく見守って、慎太郎は口を開く。

「パパは怖いよ」

「え?」

「相手が何者かわからないからね。こういうことは舐めてかかるととんでもないことになることがあるから」

「……そうなの?」

「うん……相手がね、神さまなのか霊なのか……他の何かなのか……まったくわからない状態だからね……もちろん、千陽路のことはパパが守るけど、千陽路も少し怖い思いをするかもしれないよ?」

「……平気。パパがいるもの」

「そうだね……舐めてかかることも良くないことだけど、飲まれることも同じくらい良くないことだ。平常心で行こう。取りあえず、何か飲み物でももらったら? 喉、渇いてるだろう?」

「うん……パインジュースください」

「かしこまりました。お客さまは何がよろしいですか?」

 近くにいたCAが慎太郎に訊ねた。

「アイスカフェラテをもらえますか?」

「かしこまりました。お客さまは何がよろしいですか?」

 続いてCAは祐佑にも訊ねる。

「アイスティーをいただきます」

 慎太郎と千陽路は用意された飲み物を口にしたが、祐佑は物言いたげに慎太郎を見ている。

「どうしたんだ?」

「いえ……」

「なんだよ。気になるじゃないか……言いたいことがあるなら言ってくれ」

「……では……お言葉に甘えまして……」

 しばらく逡巡しゅんじゅんしていた祐佑だったが、意を決したように口を開いた。

「この度の現場に千陽路さまをお連れになることはご再考いただければと存じます」

「ああ……祐佑の言いたいこともわかるよ。お前からしたら、何が出るかわからない現場に千陽路を連れて行くなって言いたいんだろう?」

「さようでございますね……大変差し出がましいことではございますが……」

「差し出がましくはないだろう? お前は俺の側近筆頭なんだから、俺が間違ってると思ったらちゃんとそう言ってくれ」

「そんな、とんでもない」

 松岡家本家当主たる慎太郎に意見するなど、側近筆頭の祐佑からすれば本当にとんでもないことなのだろう。

 それを見やって、慎太郎はふうっとため息をついた。

「だからさ、祐佑。俺だってまだ三十歳にもなってない若造なんだぞ。松岡家本家当主って言ったって、判断を間違うこともあるんだ。そこを助けるのがお前の仕事なんじゃないのか?」

「慎太郎さま……慎太郎さまのお言葉ではございますが、慎太郎さまは松岡家本家当主でいらっしゃいます。松岡家本家がどちらへ進むか、ご判断できるのは慎太郎さまをおいて他にはいらっしゃいません」

「わかってるさ、それは。だけど、俺に助言することはお前の役目だろう?」

「慎太郎さまのご決断に口出しをすることなど……」

「俺の決定に口を出せって言ってるんじゃない。俺が悩んでいる時……迷っている時に助言をくれと言っているんだ。そういうことは側近筆頭としてのお前の役目だろう?」

「慎太郎さま……」

「俺は、お前の意見が聞きたい。お前は俺より年齢としも上だし、俺とは違う視点で世の中を見ることができていると思う。何より俺の一番側にいる人間だろう? 俺はそんなお前だからこそ、意見を聞かせてもらいたい」

「……」

「祐佑のそういうところは昔と全然変わらないなぁ……俺に言いたいことがあるのに言い返さずに黙り込むんだよな」

 慎太郎は祐佑にふわりと笑いかけた。

 以前の慎太郎であれば、結局のところ祐佑は変わっていないと思い、気分を害するところだったが、今の彼は揺るぎない信頼の下、祐佑を見ていることができる。

 慎太郎には祐佑が変わる変わらない以前のところで、性格的に他人と触れ合うことを好まないのだと理解できている。

「慎太郎さま……」

「祐佑も昔とは随分変わったと思っていたけど、そういうところは変わらないな」

「ご気分を害してしまい、申し訳ございません」

「別に気分なんか害してないさ。いっそ懐かしいくらいだよ」

 言って、慎太郎は笑う。

「だからこそ俺は、お前に言葉をかけ続ける。お前に届くまで、な」

「慎太郎さま……」

「俺は諦めないって言っただろう? 俺が見ている未来をお前にも見てもらいたい。顔を上げろ、と。前を向け、と。俺を見ろ、と伝え続ける。誠志朗せいしろうも言っていた。俺は一度こうと決めたらてこでも動かないんだから覚悟しておけよ?」

「慎太郎さま……私は……」

「うん。何だ?」

「……努力いたします」

 慎太郎はとうとう祐佑からこの言葉を引き出すことに成功し、破顔した。

「うん。よろしく頼むよ。それで、祐佑は今回千陽路を連れて行くことには反対なわけだな?」

「反対と申しますか……千陽路さまはまだお小さいので、何物かわからないようなモノがいる可能性がある場所にお連れにならずとも良いのでは……と思うのですが……」

「祐佑はホントに千陽路がかわいいんだなぁ……だけど、千陽路だってもう中学一年生だぞ? いつまでも小さな子供じゃないって」

「中学一年生……」

 慎太郎の言葉にようやくそのことに気付いたのか、半ば呆然としたように祐佑は言った。

「さようでございますね……もうそんなご年齢になられたと言うことには、正直驚きました」

「そうだろうなぁ……祐佑には千陽路が松岡家本家に来たばっかりの三つの子供に見えてるんだなぁ……」

 笑みを浮かべて慎太郎はそう言った。

「でもな、考えてもみろよ? 俺と祐佑が初めて会ったのって、俺が十八歳の頃だぞ? 今の千陽路と五つしか違わないじゃないか」

 そう言う慎太郎の言葉に、確かにそうなのだと祐佑は驚いていた。

「あの時って、お前、俺にはグイグイ松岡家本家次期当主だって押し付けて来たのに、千陽路には甘いんだからなぁ」

 慎太郎は隣に座る千陽路を見やった。もちろん、彼女はもうとっくに三つの子供ではなく、年齢よりも少し大人びた少女としてそこにいる。

「千陽路。祐佑は千陽路に今回の藤浪家には行って欲しくないみたいだぞ? 祐佑と一緒にホテルに残る?」

「え? でも……」

 唐突に問われた千陽路は、慎太郎と祐佑を見比べる。

「千陽路はパパと一緒に来たいんだね?」

「うん……」

「……って、千陽路は言ってるぞ」

「千陽路さま……どうかお願いです、この度はホテルにお留まりくださいませ」

「祐佑……」

「いつも千陽路さまがお行きになる、家の拝みのようなお仕事ではございません」

「でも……」

「千陽路さま、どうか。千陽路さまのように幼い方が、何があるかわからないような場に行かれる必要はないかと存じます」

「祐佑はすぐ私を子供扱いするのね」

「千陽路さまはまだお子さまでいらっしゃいます」

「子供じゃないもん」

「お子さまですよ。ご自身を子供ではないとおっしゃるほどにはお子さまです」

「何よ、祐佑ったら」

 千陽路はねたようにふいっと横を向いてしまう。

「失礼しちゃうわね」

「千陽路さま……」

「イヤよ」

 千陽路はきっぱりとひと言そう宣言した。

「千陽路さま……お願いですから、お聞き分けくださいませ」

「私はパパの役に立つために来たの。ホテルでただ待ってるなんて、絶対に、イヤ」

「千陽路さま、どうか……」

「イヤったら、イヤ」

「相変わらずだなぁ、千陽路は……」

 千陽路と祐佑の会話を黙って聞いていた慎太郎が笑いながらそう言った。

「頑固でさ……誠志朗にも言われたよ。千陽路に修行つける時も、初めて現場に連れて行った時も、親なんだから説得しろってさ。でも、千陽路は頑固だから、自分で決めたことは絶対に曲げないんだよな」

「慎太郎さま……」

「あきらめろ、祐佑。千陽路が納得しないんじゃ仕方がない。今回は千陽路を連れて行く。お前をないがしろにしているわけじゃなくって、これも千陽路にとって一つの経験だ。千陽路に怖い思いをさせたいとかじゃないけど、陰陽師おんみょうじの仕事は拝みだけじゃない。って言うか……こっちが本職だろう? 千陽路だっていつまでも避けては通れないからな」

「慎太郎さま……」

「千陽路のことは安心して俺に任せてくれ」

「失礼ながら……本当に大丈夫でございますか?」

「そこは俺を信じてくれ。それとも何か? 俺のことが信用できないか?」

「そのようなことは決して……」

 祐佑はどこまでも低姿勢ではあるものの、千陽路のことをとにかく案じているようだ。

「うん……祐佑の気持ちもわかるよ」

 慎太郎は柔らかく笑う。

「祐佑からすれば千陽路はまだ小さな子供なんだろうな……確かにそうだ。この子はまだ中学一年生の、それも女の子で。こんな危ない場所に行って欲しくないだろう。それは俺だってそうなんだよ。だけど、千陽路は自分で道を選んで歩き出した……そうだろう?」

「慎太郎さま……おっしゃることは、わかります。わかりますが……」

「うん……あのさ、祐佑。今言ったように、千陽路は自分で道を選んで歩き出したんだ。俺や祐佑がするべきことは、危ないからと言って危険から遠ざけて囲い込むことじゃない。千陽路が危険に対処できるようにサポートしていくことなんじゃないのか?」

「慎太郎さま……」

「祐佑。仮にも松岡家本家当主の俺が付いているんだ。安心していてくれ」

 言って、慎太郎は笑う。

「慎太郎さま……大変失礼を申し上げました。私はどうも千陽路さまのこととなると冷静ではいられなくなるようでございます」

 祐佑は深く頭を下げた。

「千陽路さま。慎太郎さまのお側を離れず、どうかご無事にお戻りくださいませ」

「うん。心配してくれてありがとう、祐佑」

 慎太郎から見ると、祐佑は本当に千陽路を思ってくれているように映っている。

 千陽路の方もあれだけかわいがってくれる誠志朗よりも、祐佑に親しみを感じているように見えてしまう。

 一緒に暮らしているからだろうと、慎太郎はこの時千陽路の思いをその程度に思っていた。


 福岡県宗像市にある藤浪家は市の外れにある。空港からタクシーを使ったのだが、祐佑は藤浪家が迎えのクルマを寄越さないことを腹に据えかねている様子だった。

「落ち着けよ、祐佑」

「松岡家本家当主たる方をお迎えするのにクルマも寄越さないなど、無礼にもほどがございます」

「落ち着けって。大体が松岡家本家の客じゃなくって、千川家の紹介なんだろう?」

「千川家も千川家です。松岡家本家を紹介するのであれば、それなりの応対をきちんと伝えておいてもらいたいものです」

 千川家もとんだとばっちりだ。

「タクシーで十分じゃないか」

「松岡家本家の沽券こけんに関わります」

「お前の気持ちもわかるけど、そんなことでいちいち怒ってちゃキリがないだろう?」

「ですが、慎太郎さま……」

「いいから。それから、今回祐佑には藤浪家には同行せずにホテルで待機していてもらう。いつもの古くからの顧客じゃないから、お前の調査能力が必要だ。お前は外にいて、色々と調査にあたってもらいたいんだ」

「しかし……慎太郎さまと千陽路さまだけにお行きいただくわけには……」

「まぁ、お前ならそう言うだろうと思ったけどな」

 ふっと慎太郎は笑みを浮かべる。

「だけど、何か危険があるかもしれない場所だ。お前を連れて行ったらお前のことも守らないといけないだろう? 俺は千陽路で手一杯だ」

 そう言いながら、慎太郎は余裕があるように見受けられる。

「慎太郎さま……」

「とにかく、このことについては俺は折れないからな。お前はこのままホテルに向かってくれ」

 ここまできっぱりと命じられてしまうと、祐佑としてもこれ以上は抗えなかった。

「……かしこまりました」

「うん……お前は後方支援に徹してくれ」

「はい、慎太郎さま」

 そうして、タクシーは市街地の外れにある大きな洋館の前に停まった。

 タクシーを下り、千陽路を連れた慎太郎はその屋敷を見上げた。

「これは……多いな……千陽路、視える?」

「黒い……影がいっぱい……」

「うん……これだけの数だったら、霊感のない人間にも視えてもおかしくはないな……強いモノはそんなに多くないみたいだけど……とにかく数が多い……染み出してる感じだ……」

「……」

 あまりの数の多さからか、千陽路は無言で息を飲んだ。

「千陽路。怖かったら祐佑とホテルで待っていていいんだよ」

「私、パパと行く」

「……そう? ありがとう、心強いよ……」

 慎太郎は愛娘に目をやり、笑みを浮かべる。

「千陽路さま……本当にこちらにお残りになるのですか?」

 くどいまでに祐佑はそう言った。

「もう。祐佑ったら、しつこく言わないで。私はパパを助けるために来たの。お留守番なんて、絶対にイヤ」

「千陽路さま……」

「祐佑、あとで連絡する。千陽路には俺がついているんだ。何も心配することなんかない。違うか?」

「慎太郎さま……」

「千陽路のことは俺に任せろ。じゃあ、行ってくる」

 慎太郎と千陽路は祐佑に見送られて藤浪家のインターフォンを押した。

 これも霊障なのか、ひどい雑音がしたので慎太郎が剣印を小さく横に切るとノイズはクリアになった。

 名を名乗り、訪問の意図を告げて慎太郎と千陽路が屋敷に消えるまで、祐佑は不安気に二人を見送っていた。

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