17.未来都市
無事、『聖杯』を手に入れたアスファは、水竜に丁寧に礼を述べた。水竜は頷くとアスファに尋ねた。
『お主、蠱毒に侵されておるな……それはお主の隣にいる魔王が仕組んだものだ……魔王と知っていながら、何故お主はそやつを傍に置く……? お主にとって、その男はなんだ……?』
アスファはわずかに笑った。そして、当然のように今まで何度も答えたものと同じ答えを繰り返す。
「大事な仲間の一人で、親しい友人でもある。それが私の認識だから、彼が何者だろうと構わない」
そう言い切ったアスファを、バドルたちは誇らしげに見つめた。相手が誰であってもアスファの信念は揺らがない。水竜はわずかに瞑目したが、やがてアスファを見る目に慈しみの色を浮かべた。
『久方ぶりに、これほど純粋な心の持ち主に接した……お主こそ聖杯を持つ者に相応しい……お主の行く末に幸あらんことを願っている……』
それだけ告げて、水竜は地底湖の中に姿を消した。あとには静寂だけが残された。
「っはー、緊張したー……」
緊張の欠片もない声でそんなことを言うジアーに、バドルがからかいの眼差しを向けた。
「またまた、そんな心にもないことを。お前がさっきの水竜に心を読まれていたら、一発で追い返されていたね」
「うるせー」
騒がしい二人を放っておいて、カウィはアスファの手元を覗き込んだ。
「聖杯とは、意外と小さいものなのだな」
「確かに……もっと大きなものを想像していた。だが、これで……『御魂分け』の儀式が行えるのか……」
どこか硬い表情をしているアスファに、カウィは気づいた。それが魔王との契約の期限であることに。
「……なんという顔をしているんだ。さっきまでの自信に満ちたお前はどこに行った」
「カウィ……」
アスファは弾かれたようにカウィを見た。フン、とそっぽを向いたカウィは言う。
「お前は僕をこんな珍道中に巻き込んだんだ。その責任はしっかり取ってもらうからな。せいぜい長生きしろ」
「……あぁ、わかっている」
ようやくアスファの表情に笑みが戻ったのを確認して、カウィは内心安堵の息を吐いた。
「目的の物は手に入れた。さぁ、地上へ帰ろう」
ファリスに促されて、一行はまた歩きだした。長い、長い道のりを登って、そしてようやく扉の近くまで戻ってきた。
アスファは光魔法を発動させると、自分、ザラーム、ジアーの三人の姿を覆い隠した。
扉が開かれる。最初と同様、先にアスファたちが滑り出て、次いで、バドルたちが扉をくぐった。扉は自動的に閉ざされ、再び封印の眠りについたのだった。
天空闘技場の外に出ると、マイヤ、ハーディ、レイラ、サマーァが待っていた。彼らと合流してアスファはようやく光魔法を解いた。
「おかえりー、アスファお嬢さん、バドルちゃん、野郎ども! んで、『聖杯』は?」
「ん、ちゃんと受け取ってきた」
ハーディにそう答えて、アスファはサマーァを見上げた。
「さぁ、次はいよいよ未来都市ムスタクバルだ。サマーァ、連れて行ってくれ」
応、とサマーァが
「久しぶりに湯を使って温かい寝台で寝たいだろ? どうせだから麓にあるジャバルの町まで一旦戻らないか?」
「賛成! やったぁ、お風呂、お布団!」
レイラが歓声をあげた。皆も異論はないようだった。
こうして、獣車は山道をくだっていく。再び、何日もかけて町まで戻るのは大変だったが、こうして皆と一緒に過ごすのはこれで最後かもしれないと思うと、アスファにはどうにも感慨深かった。
やがて、ジャバルに到着し、サマーァを厩舎に預け、一行は宿に向かった。さっそくレイラが提案する。
「どうせなら、四人で一緒にお風呂に入りましょうよ。あたしとアスファちゃんとマイヤちゃんとバドルちゃんで!」
アスファは目を丸くした。
「だけど、私は腕の鎖があって……」
「そんなの、お風呂の外にザラームとジアーを待たせておけば済む話でしょう? 入りましょ、入りましょ!」
ついには押し切られる形で四人一緒にお風呂に入る羽目になった。もちろんザラームとジアーは目隠しの上、外で待機である。
きゃあきゃあ騒ぎながらレイラとバドルが洗いっこをしている。アスファもマイヤもそれに倣った。
「いよいよ、明日は未来都市に向けて出発ですのね」
「あぁ……マイヤ姉様」
「なぁに?」
マイヤの声は優しい。アスファはうつむいて声を絞り出した。
「もしかしたら、言えなくなるかもしれないから先に言っておく。マイヤ姉様が旅についてきてくれて本当によかった。ありがとう。ナール姉様にも伝えて。姉様たちのこと、愛しているって」
アスファの言葉に、ちょうど背を向けていたマイヤが勢いよく振り返った。その銀色の瞳には涙が浮かんでいる。
「わたくしは知りませんわ。姉様には自分で伝えなさいな……でも、わたくしたちだって、同じですわ。アスファ、愛しい妹。ずっと、ずっと愛していますわ」
「うん……そうする……ありがとう」
そっと抱き締められた。直に伝わってくる姉の温もりは、なんだか気恥ずかしくて、でも嬉しくて。
「あらあら、アスファちゃんたら、泣きそうじゃない。あたしは嬉しかったよ。みんなと旅ができて、なによりこんな可愛い弟子までできて」
「レイラ」
いつの間にかレイラがすぐ傍まできていた。レイラの修行は厳しかったけど、それでも楽しかった。お陰で充実した日々を過ごせたと思っている。
「こんな小さな身体でいろいろ背負って、本当によくやったよな、アスファ。あともう少しだ。だから一緒に行こう」
「バドル」
最初にバドルをこの旅に誘ったのはアスファのほうだった。今度はバドルから言ってくれるのだ。一緒に行こう、と。
マイヤ、バドル、レイラから向けられる優しい眼差しに、まるで真綿にくるまれたかのように温かい想いがアスファの心を満たしていく。
「あぁ、一緒に行こうな。全員で、一緒に」
アスファは笑った。本当に自分は恵まれている。心から、そう思ったのだった。
*
一夜が明けて、町には霧のような朝靄が立ち込めていた。昨夜の笑い声が、どこか遠い昔の記憶のように響いている。
アスファたちは出発の準備を整えると、サマーァの曳く獣車に乗り込んだ。
「さぁ、サマーァ、頼む。方角は私が指示するから」
サマーァは瞬きひとつの間に、本性の竜に戻ると、大きく背中の翼を広げた。アスファも風から情報を受け取る。ザラームが風魔法を使って獣車を浮かせた。サマーァは大きく羽ばたいた。
ぐんぐん風を切って獣車は上昇していく。ときおりアスファが指示を出す。サマーァはその通りに飛んだ。やがて、前方に巨大な積乱雲を見出した。
「デカいなー……」
「あれが本当に、未来都市ムスタクバルですの……?」
ジアーとマイヤが口々に呟く。アスファはサマーァに言った。
「もう少し近づいて様子を見よう。サマーァ、行けるか?」
サマーァが積乱雲に近づいていく。近づけば近づくほどに、その巨大さが浮き彫りになる。アスファは不思議なことに気がついた。その雲がサマーァたちを歓迎するように少しずつ開いていくのである。
「やはり、これは普通の雲ではないのか……サマーァ、もっと近づいてみよう」
雲らしきものにサマーァが近づくと、その部分の雲が薄れていく。それにつられるようにしてサマーァは進み続ける。やがて雲が完全に途切れると、アスファたちの目の前には巨大な城が宙に浮かんでいたのだった。
巨大な城には、美しい白亜の宮殿があった。至るところに花々が艶やかに咲き乱れ、爽やかな風が
サマーァは宮殿の前の広場のような場所にフワリと舞い降りた。
「清浄な空気……天空にこれほど美しい場所があるとは……」
アスファは思わず嘆息した。全員で獣車から降りる。城の全容を把握しようと、アスファたちがキョロキョロしていると、正面階段から一人の女性が現れた。
「ムスタクバルへようこそ、魔導師アスファとその仲間たちよ。私はマスィール。ムスタクバルの管理者です」
女性はよく通る声で自己紹介をした。全身を包む薄い紗を頭からすっぽりと被っており顔はよく見えないが、なんとなく美しいが冷たい人だとアスファは思った。一応丁寧に頭をさげる。
「お初にお目にかかる。魔導師アスファ、『御魂分け』の儀式を行うべく、ムスタクバルへと参った次第」
「存じております。どうぞ、こちらに。お仲間の方々もご一緒にどうぞ」
一行は、マスィールと名乗った女性のあとについて行く。宮殿に入口らしきものはない。どうやって入るのだろうかと考えていると、マスィールが紅い魔法文字で描かれた円陣を示した。
「これが『門』になります。皆さん、この円陣の中に入ってください」
円陣の中に入ると、身体を浮遊感が包み込んだ。上も下もわからないような感覚。気づけば、別の場所に来ていた。足元には同様の円陣──否、魔方陣と呼ぶべきか──が描かれていた。
「ここは……?」
「うふふ……驚かれたでしょう? ここはもう、宮殿の中ですよ」
「え? いったいどうやって……」
驚くアスファたちに、マスィールは滔々と説明を始めた。
「かつて神々が住まうとされた、このムスタクバルには神々の遺したもうた奇跡がいくつか存在します。そのひとつが先ほど体験していただいた『時空』の魔法概念です」
「時空、魔法……?」
アスファの呟きに、マスィールはにっこりと笑って頷いた。
「そう、その名の通り、『時間』と『空間』を操る魔法です。これを用いることで離れた場所であっても一瞬で移動が可能になったり、逆に場所そのものを転位させることも可能になったりします」
つまり、人や物の移動だけでなく、座標軸そのものから変化させることができるのだ。
「そんなことが……本当に神の力の領域ですわ……」
マイヤが小さく呻いた。
「あら、知らないだけで、魔導師には本来この力が備わっているのですよ。ここムスタクバルでしばらく暮らせば、貴女にも時空魔法が使えるようになりますとも」
そう言って美しく微笑むマスィールに、マイヤが頬を染めたときだった。
「その代わり、時空魔法の修得のため、ここに長居した人間は、ここの清浄な空気の中でしか生きられなくなる。清浄すぎる空気に慣れた身体は下界の汚れた空気の中では大幅に寿命を縮めるのさ。そうだろ?」
「!」
胡乱気に口を挟んだのはハーディだった。仲間たちが絶句する中で、マスィールの笑みだけが揺るがない。
「ったく、大事な情報を隠すもんじゃねぇよ。だから今までここに来たヤツらは、そのほとんどが地上に戻ってこねぇのさ。例外的に、その仕組みに気づいたか才能がなくて時空魔法の習得を諦めたヤツだけが戻って来られるってわけだ」
敵意もあらわに、隠そうともしないハーディの珍しい態度に、アスファは困惑する。
「どうした? ハーディ、急に……」
だが、様子がおかしいのはハーディだけではなかった。ザラームも憎々しげにマスィールを睨みつけている。
「『
「!」
バカな、とアスファは思った。神代に存在した人間がまだ生きているなんて、と。疑問は次のザラームの言葉で氷解する。
「かつて精霊の中に『魔』を生み、我ら精霊と魔王を二つに分裂させた諸悪の根源。このムスタクバルで『魔』そのものと化し、生き延びていたのか!」
ザラームの言葉に、アスファは呆然とした。マスィールが、諸悪の根源? 人間生まれの魔王? 精霊と魔王は望んで二つに分かたれたわけではなかったのか。
「あらあら、私がいなければ、このムスタクバルの神殿にも辿り着けない半端者たちが、吠えること、吠えること。いい気味ですね。人の殻に閉じ込められた精霊と魔王よ」
そう呼びかけたマスィールの言葉と視線は、ハーディとザラームに向いていた。あらかじめその事実を知っていたアスファとザラーム、当事者であるハーディ以外の全員が絶句する。
「バカな……ハーディが、精霊……!?」
「ほ……本当ですの? ハーディ。本当に、わたくしたちの先祖である精霊ですの?」
マイヤの言葉に、ハーディはわずかに
「本当だ」
その一言に、これまでの長い年月が滲んでいた。ハーディの瞳の奥には、どこか懐かしい光が宿っている。
ハーディはポツリポツリと真実を語った。代々の宗主に口伝で引き継がれる一族の秘密の中に、ハーディの正体が含まれているのだ、と。つまり、ナールは宗主になった時点でハーディの正体を知っていたのだった。
「では、姉様はハーディが精霊の化身だと知ったうえで、わたくしたちに付けて旅に送り出したんですの?」
マイヤの言葉に、ハーディは頷いた。
「あぁ、そうだ。今はカマル紀だから俺にはなにもできないが、人生経験はいらんくらいあるし、傍で見守ることくらいはできるからな。途中でアスファお嬢さんにバレたときはマジで焦ったぜ。それなのに、それでもいいって言うし」
これにはマイヤたちも二度驚いた。
「アスファ、貴女、知っていたんですの!?」
「ん? あぁ、ハーディとザラームには共通点がいくつもあった。それらを
あっさりと頷いたアスファに、マスィールがコロコロと笑った。
「オホホ……神々以来でしょうねぇ、精霊と魔王が一人の存在に従っているなんて。それもその相手がたかだか十三歳になったばかりの人間の小娘とは」
アスファは途端に不愉快さもあらわに吐き捨てた。
「私は、ハーディとザラームを従えた覚えなどない。彼らは仲間であり友人で、未熟な私を助けてくれる大切な存在。彼らを引き裂いた貴女にそんなことを言われたくはない」
ハーディとザラームが驚いたようにアスファを見る。そこまでアスファがマスィールに怒っていたとは思わなかった。
「おやおや、ずいぶんと人間に愛されているのですね。いいでしょう。その想いに免じて、神殿まで案内して差し上げます。本来、重要な場所なので、客人はめったにお通ししないのですよ。感謝してほしいですね」
本当はマスィールにこれ以上の案内を乞うのは
「いいだろう。嘘をついたところで風が事実を教えてくれる。穏便に済むのならば、こちらとしてもありがたい」
「ホホ……生意気な小娘ですこと」
それから、一行は比較的単純な構造をした宮殿の中を歩き回り、魔方陣の『門』を二つ、三つくぐったところで、ようやく神殿へと到着した。
その神殿は、城全体の真下に存在するようで、儀式用の祭壇がひとつ。奥には大きな穴が口を開けていて、その中には不思議な光の渦が存在した。渦は遥か遠く空へとつながっているようだった。
「ここだ。この祭壇で『御魂分け』の儀式をすれば、俺たちは自由になれる」
ザラームがアスファに祭壇を示した。アスファは頷きを返す。
「わかった。マイヤ姉様たちはここで待っていてほしい。ザラーム、ジアー、行こう」
三人で祭壇を目指して歩き出すと、何故かハーディもついてきた。
「ハーディ?」
「だって、俺が傍にいなきゃ、アスファお嬢さんを護れねぇだろ?」
カラリと笑うハーディにアスファは苦笑を見せる。そういえば、そういう契約だった。
「そうだった。よろしく頼む」
「お任せあれ」
いつものように二人は軽口を叩き合う。それもこれが最後かもしれない。そう思うと、こういった何気ない会話のやりとりひとつとっても、すべてが愛おしかった。
祭壇まで来ると、アスファは荷物の中から、金色の『聖杯』と小瓶に入った『人魚の涙』を取り出した。聖杯に人魚の涙を移す。『聖杯』の中で『人魚の涙』が真珠の姿から光の粒に変化した。
「始めよう」
アスファは右手に『人魚の涙』をたたえた『聖杯』を捧げ持つと、左手をザラームとジアーに向かって差し出した。ザラームがためらいなくその手を取り、ジアーもおそるおそる手を重ねた。
「詠唱は相変わらず短いけど気にするな。詠唱が終われば『聖杯』を私、ジアー、ザラームの順に回す。光の粒をひとつ飲み干せばいい。いいな?」
「あ……あぁ」
「わかっている」
ジアーとザラームの返答を聞いて、アスファは呼吸を整えると大きく息を吸った。誰もが息を呑む。神殿の空気さえも凍りついたようだった。
「我、ここに命を分かつ儀式を行う。魔・秘・散──『御魂分け』!」
アスファは『聖杯』に口をつけると光の粒をひとつ飲み込んだ。次に、ジアー。最後に、ザラームが光の粒を飲む。胸の中で温かな光が明滅し、やがてその光が徐々に薄れていき、最後の光が消えたとき、三人をつないでいた鎖が音を立てて粉々に砕け散った。
誰も、しばらくなにも言わなかった。静寂が支配する中、ジアーがおずおずと口を開く。
「あれ……俺たち、本当に、もう自由なのか……?」
アスファは自分の身体の中を巡る命の息吹を感じて、力強く頷き返した。
「あぁ、間違いない。一年もかかってしまって、すまなかったな」
「本当だぜ。一生このままだったらどーしよーかと思ったぞ」
ようやく軽口を叩くジアーの表情には紛れもない安堵の色が浮かんでいた。
「そんなことにはさせない。よかったな、ジアー」
そう言って、苦しげな笑みを見せるアスファの顔色は青褪め、眉間にはわずかにしわが寄っていた。ようやくジアーはその異変に気づく。
「アスファ、お前……」
人外の存在である魔王と命を共有していたはずのアスファも、今は完全に生身の人間だ。その身体の中を強力な呪詛が荒れ狂えば、どうなるかは火を見るよりも明らかだった。
最初の頃のように喀血することこそなかったが、それでも、胸を鷲掴みにして、体内で荒れ狂う呪詛を必死に残りの魔力で制御しようとしている様を見れば、どれほど苦しいのかは想像に難くない。
「アスファ……」
ザラームは
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます