烈風神化伝
風花《かざはな》
01.序章
風が、静かに泣いていた。
世界がまだ神々と人とを隔てていなかった時代の、ある少女の物語──。
それは、ある寒い夜のことだった。とある古めかしい洋館の一室。暖炉に明々と火の灯る書斎には、揺り椅子に腰掛けた一人の老婆と幼い少女の姿があった。
「おばあちゃま、おはなしして?」
どこか舌足らずで甘えたような孫の声音に、年老いた魔導師は柔らかな笑みを浮かべると、幼い孫娘を膝の上に抱きあげた。
「そうだねぇ。お前には色々な話を聞かせてきたけれど……あぁ、これがいい。カーラ国──この国が、まだ神々の祝福に包まれていた時代の話だよ」
老魔導師のやせ細った手が一冊の古びた本を選び出す。孫娘の瞳がキラキラと輝いた。
「して!」
「はいはい。昔々、その昔。この地にはたくさんの神様がいました……」
そう、この祝福されし大地には、かつて数多の神々がいた。しかし、人々の信仰心が次第に薄れゆく中で、神々はこれを大いに悲しみ、一柱、また一柱と地上を去っていった。
ついに、最後の一柱の神が地上を去ることになり、ようやく危機感を覚えた一部の者たちは、一柱の神に懇願した。どうか地上を、我々人間を見捨てたもうな、と。
心優しき一柱の神は彼らを憐れみ、自らの力の一部を基に一体の精霊を生み出した。それが、『ジン』であった。
「どうしてかみさまはジンをのこしたの?」
「そうだねぇ。きっとその神様は人間が好きだったんだよ」
物語を紡ぐ老魔導師の声はどこまでも優しい。静かな部屋に
ジンは神の慈悲を受け継ぎ、人の世に祝福を降らせ続けた。
けれども、人の欲は尽きることがなかった。願いが祈りを濁らせ、感謝が忘れ去られたとき──精霊の心に、初めて憎しみが芽生えた。
その日、ジンは『魔王』となった。
「まおう?」
幼い声がいかにも怖そうな呼び名に反応する。
「そう。魔王は魔物を操って、人間を苦しめるようになるんだよ。いくら人間の自業自得とはいってもね……ひどいもんさ」
ジンの意識は、『精霊』と『魔王』の狭間を行きつ戻りつしていたが、そのうち精霊としての自我と魔王としての自我が対立を始め、最終的に二つの意識は完全に分裂してしまう。
こうして、それぞれが独立した存在となった精霊と魔王だが、二人の対立は続き、両者の力は非常に危うい水準で拮抗していた。それは下手をすれば世界の調和を乱し、一切の滅亡の可能性をはらんでしまうほどに。
世界が滅びて困るのは、彼らもまた同じであった。そこで二人は歩み寄り、約定を結ぶことにした。それが、千年に一度の交代制である。
「どうちがうの?」
「最初の千年は、精霊に祝福された『シャムス紀』と呼ばれ、次の千年は、魔王に支配された『カマル紀』と呼ばれるようになったんだよ。今はいつだい?」
老魔導師の質問に、孫娘は、ひぃ、ふぅ、みぃ、と数え始め、最終的に四本の指を立てて答えた。
「えっと、よんばんめのカマルきだって、とうさまがいってた!」
「その通り。お前は賢い子だね。今は魔王に支配されている暗黒の時代なのさ」
しかし、実感のない孫娘は、ふーん、とどこか他人事のように呟いた。
「せいれいとまおうは、どうなったの?」
「あぁ、それはね……」
精霊は魔王と分離したことで半分に削がれた力を温存するために人身をとり、人々に混じって生活する中で、恋を覚え、愛を覚え、人間との間に子までもうけた。
その子供は強大な魔力を持って生まれてきた。人外の証である、金色の瞳を備えて。
「えっ? それって……」
孫娘の顔に驚愕の表情が広がる。だが、老魔導師は孫娘の頭をそっと撫でて話を続けた。
「まだ続きがあるんだよ。よーくお聞き」
精霊は子供に魔力の扱い方を教えるために、魔力の性質を、世界を構成する元素に倣って、『地』、『水』、『炎』、『風』、『光』、『闇』の六つに分けた。
性質は同じでも、その制御方法は個体によって異なる。つまり、魔力を引き出す言霊の詠唱も様々であった。ここに『魔法』の概念が生まれ、『魔法使い』が誕生した。
精霊の血を引く子孫たちは、代を重ねるごとに増え、その代わり、子孫たちの魔力は少しずつ衰えていった。
それでも、ときおり思い出したかのように──まるで精霊が血の記憶を呼び覚ますように──強大な魔力を持つ子供が生まれた。その子供は、決まって金色の瞳をしていた。
「えっと……」
どこか混乱したような孫娘の声に、老魔導師は優しく微笑んでみせた。
「つまり、金色の瞳は高い魔力を持っている証なんだよ。お前のようにね」
そう、老魔導師の孫娘の、両の瞳は鮮やかな濃い金色をしていた。
「そうなの?」
「あぁ、そうだとも。お前は今に素晴らしい魔導師になるよ。私が保証しよう」
「うわぁ、たのしみ!」
無邪気に喜ぶ孫娘に、老魔導師はついぞもうひとつの物語を告げることはできなかった。
暖炉の火が、パチリと小さく弾けた。
***
精霊と分離した魔王は、実体を持たずに時の流れの中でさまよい続けていた。
だが、最初のシャムス紀の末期、魔王は一人の人間に興味を持った。それは精霊の血を引く子孫たちのうちの一人だった。
興味を抱いた理由はひとつ。その者の持つ魔力が強大だったからだ。その人間は鮮やかな金色の瞳をしていた。
魔王は考えた。この人間を己の器にすれば、自分は肉体と強大な魔力の両方を手に入れることができる、と。そして、その通りに実行した。
魔王が宿った人間の肉体は時の流れから切り離され、千年の長きに渡り魔王に支配されて生きる。そして、カマル紀の終わりにようやく解放されるのだ。死という形で。
それゆえ人々は、金の瞳を持つ者を見つけるたび、息を呑んだ。
そして『魔王の器』と──
その者にとって、それはあまりにも孤独な生だった。家族、友人、恋人、そういった近しい関係を、あるとき唐突に断ち切られ、魔王に支配されている間は誰とも触れ合うこともなく、千年後には死が待っている。
そうした事態を哀しみ憂えた者たちがいた。魔王の器の親族である。彼らはあの手この手で魔王の顕現を阻止しようと試みた。しかし残念なことに、そのすべては失敗に終わった。
彼らの孤独な戦いは、今もなお静かに続いている。
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