ありきたりでありながらも聞いてほしい怖い話
猫科狸 千稀(かずき)
いち
上着を脱ぎ、ふぅと息を吐きながら凝り固まった肩を押さえ、天井に視線を向ける。剥き出しの茶色い梁と橙色に灯るライトが目に入る。しばらく仕事で忙しかったせいか、全身の筋肉がカチカチだ。
「本日の全身もみほぐし六十分コースは私、川満が担当いたします。よろしくお願いします」
少し低音気味に響く心地良い声で、口髭を蓄えた男性が言う。
「はい、お願いします」
遥人は緊張気味に返事をし、どうぞ、と促されるままごろりとうつ伏せに寝転ぶ。そっと身体に掛けられる柔らかなタオルの感触とほんのりとしたアロマの良い匂いが鼻をくすぐる。顔部分の空いた専用枕に顔を埋め、何の変哲もない茶色のフローリングが見えると、ほんの少し緊張が解けた気がした。
遥人がマッサージを受けるのは初めてではない。けれどここのマッサージ店に来るのは初めてだった。慣れない場所だと少し緊張してしまう。
「では、始めていきますね」
ピッとタイマーが動く音が聞こえ、背中にかけられたタオル越しに柔らかくほんのり温かい手の感触を感じる。その手が背中を滑るように擦り始める。
手が一通り背中を擦り終えた後、ゆっくりと腰辺りに圧がかかるのを感じた。すでに気持ちがいい。
「力加減いかがでしょうか?」
「あぁい、気持ちいいです」
気の抜けた返事をする。川満と名乗ったその男性は手を止めずにそのまま会話を続けた。
「お仕事帰りですか?」
「そうです……。めちゃくちゃ疲れたんで、もう自分にご褒美あげないとやってらんないなって……」
「大変ですね」
本当に大変だとは思っていないだろう。他愛ない会話だ。だいたいこういった言葉を一言二言交わした後、空間には静寂が訪れる。マッサージ中は静かに眠りたいという人が多いからだ。
そのとおり、川満はそれ以上会話を重ねることは無かった。
身体に感じる心地良さに身を委ね、店内に流れるBGMを耳にしながら目を閉じる。
「……ははっ、でね、聞いて下さいよ……」
ふと、誰かの会話が聞こえてきた。おそらく右隣、それか少し離れた場所でマッサージを受けている人の声だろう。各ベッドは厚みのあるカーテンで分けられただけであり、完全な個室ではない。なので他のお客さんの声や音が聞こえてくる。
かといって特に煩わしく感じることもない。気にすることなく目を閉じたまま、夢の世界へ飛び立とうとしたのだが。
「なんかね、しんじゃったみたいですよ。もしかしたら殺されちゃったのかも」
聞こえてきた物騒な物言いが脳を駆け巡り、微睡みかけていた意識を引き戻す。死んだ殺したって、なんの話をしているんだ?
たいして興味のなかった声が、眠りに落ちようとしていた意識を引き寄せる。胸が少しドキリとした。何の話だろう。
川満にも会話は聞こえているはずだったが、気にしている様子はない。動く手は慣れたように腰から背中へ移動し始めた。心地良い圧を感じながら、聞き耳を立てる──。
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