第17話 : 彌田さんに文芸部の凄さを教えられた

 それから何日か僕は文芸部へ顔を出した。

 鴎外の作品は簡易な文章に慣れた自分には難しく、時には彌田さんに解釈のアドバイスを貰いながら読み進めた。


 これだけ深く読みこなしていれば、そりゃあ入試に役立つはずだ。

 感想を書くことだって、きちんと論旨がわかるようにアウトラインを最初に作っていくのだと聞いて、適当に作文を書けば良いと思っていた自分を恥じた。


 あらすじを自分でまとめ、気になる表現と論理的考察を行う。

 複数の解釈が存在する場面では、それぞれの見方に応じてその後の文章との整合性や心理の変化の相違などをきちんと書き込んでいく。


 こういうものを論文というのかと目から鱗が落ちる気がした。


「ここまでするなんて文芸部の人達は凄いんだね」

「そんなことないよ」

「いやいや、僕達がやっている研究発表とは大違いだ」


 論文と言うよりは観察記録とその考察みたいなものが殆どだからね。

 そんなことを話していたら、例の彼が他の人から意見をもらっている。


「この解釈だと前後に矛盾ができているよ」

「は、はい……」

「ここは自分の意見を書かないと、これだと単なる要約になっている」

「ええっと……」


 彌田さん達ベテラン勢が一年生達のチェックをしている。

 生物部でもそうだけど観察記録の分析などは視点一つで評価がガラリと変わるので、この辺りは人によって大きな差が出てくる。


「永瀬君の書いたものは新入部員としては上出来だよ」


 彌田さんがそんなコメントをしてくれる。

 いやいや、そんなことはないでしょ、と言いかけて『新入部員にしては』という一言に気が付いた。

 碌でもない出来のものを精一杯褒めるためにはそんな枕詞が必要なのだろう。


 そんなことをしていてから、部活が終われば僕達はまた手を繋いで帰る。

 彌田さんも以前ほど緊張していないらしくて、ごく自然に手を絡めてきた。


 件の新入生は正式に入部することはなくなったのだそうだ。

 だとしたらもう僕が文芸部に顔を出さなくても良いと思うのだけど……


「海鈴がね、念のためにもう少し文芸部にいて欲しいんだって」


 常盤さんにそう言われているから、暫くは生物部と掛け持ちになる予定だ。

 ちなみに常盤さんの発言中、彌田さんはうんうんと頷くだけだった。

 しっかり者のお母さんと子供みたいで、カワイイ……いけない、これじゃ僕もアブナイ趣味があるみたいじゃないか。


「あ、あの~、永瀬君」

「うん」

「私のために無理を言ってごめんね」

「そんなことないよ。僕は僕で知らない世界に出会えたし」

「でも、永瀬君の部活にも迷惑を掛けちゃって」

「七種さんは案外楽しんでいるかも知れないし、先輩達も生き物が大好きだから世話をすると言ってもあまり困ってはいないだろうし」

「だと良いのだけど」


 件の後輩が関わってこないことがハッキリしただろうと言うことで、名前呼びはひとまず止めている。

 お蔭で彌田さんを呼ぶ時の緊張感が少し軽くなっている。


 彌田さんはしきりに恐縮しているけど、本当に僕は気にしていない。

 もちろん、生物部には部長の僕が不在の日が多いのは申し訳なく思っている。

 それでも七種さんは「彌田さんのために行ってきなよ」と言ってくれるし、新人達にもきちんと指導をしてくれているみたいで、文芸部に行く前に顔を出せばビオトープは綺麗だし、花壇だってきちんと手入れがされている。


「七種さんに悪いことしているようで心苦しくて」

「あの人は根っからの生き物好きだから、あまり心配は要らないよ」

「でもね……一つ提案があるの」


 彌田さんの顔を見れば、どこか覚悟を決めた様子が見られる。


「私も生物部に入ろうと思って。その、こうやって一方的に助けられているばかりじゃ申し訳ないし」

「その気持ちはありがたいけど、僕が好きでやっているだけさ」

「で、でも」

「好きでしているだけ。友達を守るのは当然のことだし、仮にだけど……彌田さんに何かがあれば僕は体を張ってでも指一本触れさせないくらいの覚悟はあるよ。大切な人だもん」

「た、た、大切な人って……」


 口籠もってしまった彼女の顔は完熟したトマト状態で真っ赤だ。

 何かまずいことを言ったっけ。


「永瀬君」


 後ろから聞き慣れた声がする。

 振り向けばスッピンでもモデル顔負けの美貌とスタイルを持つ七種さんがいた。


「七種さん……こんにちは」


 どこがぎこちない声で彌田さんが頭を下げた。


「生物部のみんなに迷惑を掛けてご免ね」

「全然気にしていないから。私目当ての男どもは全部撃退したし」

「私もそれ位強ければ良かったのだけど」

「気にしないで、彌田さんは彌田さんよ。強ければいいわけじゃないし」


 そう、七種さんは強い。

 告白してくる男共の覚悟を全てたたき壊している。

 曰く、「私はヘビやトカゲの方がはるかに魅力的に見えるから無理」と。 

 結果、生物部には本物の生き物好きしか残っていない。


「あの、七種さん、私も生物部に入っていいかな」


 恐る恐る彌田さんが問えば、


「無理して入ることはないよ。それなりに大変だし。でも、顔を出しに来るのであれば全然構わないから」

「それじゃ申し訳ないわ」

「ううん、私も新しい友達ができることは嬉しいし」


 いつも表情をあまり変えない七種さんがニコニコしながらそう答える。


「それに……永瀬君がいつまでそのままでいられるのか見ものだし。それじゃ、お二人さん、私はお先に」


 ニタリと微笑む七種さんは僕達を追い越し、軽い足取りで下駄箱に向かっていった。

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