第3話 戻らない夏

「ただいま」

 

 誰もいない場所に、独りその言葉だけが取り残される。

 虚ろな目をした僕の目の前にあったのは、がここにいたという証。ずらりと並んでいる、整った形の石のうちの1つ。潮風に当たって少し塩分がついてベタついているその石には、『向家』の文字が刻まれていた。


「今年も来たよ、ひま」


 その返答がもう帰ってこないことなんて、わかっている。それでも、彼女に話しかけてしまうという気づいたらできていた習慣は、思っていたより変えられないものだった。身体を縛り付ける鎖のようなもの。

 彼女はこの言葉に対してなんと答えるかな、とふと考えてみる。やけに名前で呼ばれたがってた日葵のことだ、『私のことはひまわりじゃなくて日葵ひまりって呼んでって言ったじゃん』とでも言うだろうか。


「……そういえば、日葵って呼ばれる方が好きだっけ」


 懐かしい話をしながら、つい口元が緩んでしまう。普段疲れただとかもう嫌だとかそんなことばかり言っているくせに、日葵が絡むとすぐこうだ。そんな単純な自分に少し嫌気が差しつつも、この感覚を払おうと近況を話し始める。


「最近はね、学校で楽しくやってるよ。いっぱい友達できたんだ」

「そしてその友達たちと通話してたら気づいたら朝、ってことが多くてさ」

「おかげでその日の講義すごく眠くなっちゃうんだよね」


 いつもそうだけど、と付け足しながら話す。この話を誰が聴いているわけでもないのに。でも、たったそれだけのことだけで楽しくなってしまっているのは、何故だろうか。

 ……ただ、僕が単純すぎるだけなんだろうな。

 

 寂れた石の前に買ってきた向日葵を添え、ふとそれを見つめてみる。向日葵。太陽みたいに花が開いてきれいな、背の高い花。僕は花に詳しいわけでもないから、こんな簡単な感想しか出ないけれど。

 思えば、日葵は「ひまわり」だとか呼ばれていたのに、あまり背が高い方ではなかった。むしろ小さい方。全然伸びる気配すらなかった。ただ、「太陽みたい」という所はまさに彼女にぴったりな言葉。近くにいて蒸し暑い……だとか、そういうのではなくて。

 誰とでも気兼ねなく話しに行けるような、明るい子。そんな彼女が誰かに嫌われてしまう、ということはお世辞にもないことだった。誰からも好かれるタイプ、というやつだろうか。


「あ、そういえばね。また背伸びたんだ。185cm。すごいでしょ」


 向日葵という花の背が高い理由というのは、光が当たらない部分に成長するホルモンが移動して、光が当たる部分よりも濃度が高くなるかららしい。向日葵の茎が日陰側の方が長いというのは、こんなことからだそうだ。

 そんなことを考えると、日葵の背が伸びなかったというのにも、納得がいく。彼女は光が当たっている方というか、光そのものだったけど。

 それとは逆に、僕は背が伸びていった。多分、僕には光が当たっていなかったからだろう。


 誰からも好かれるような日葵。もちろん彼女のことを好きになっていく人というのも多かった。いくら高校という新天地でも、夏休み直前にでもなれば浮いた話も増えてくる。そんな時、耳にすることが多かった名前は、やはり日葵だった。

 それと同時に、僕に向けられる視線はだんだんと変わっていった。妬み。軽蔑。そんな視線だった。

 運動が特別できるわけではない。頭が飛びぬけて良いわけでもない。色んなものを持っている日葵とは違って、僕には何もなかった。

 

 ただ、そんな僕が唯一持っているもの。それが、『日葵の』といったことだった。

 

 何もないけれど、『幼馴染』だから、一緒にいる。

 何もないけれど、『幼馴染』だから、日葵の『友達』ではない『』にいられる。

 

『何もしてない癖に彼女の隣にいるお前が邪魔だ』だとか。

『何にも努力してない癖に彼女と一緒にいれるお前が羨ましいよ』だとか。耳にタコができるほど聞いた。

 

 僕の価値は『 』という、いわば日葵がいることで成り立つ、付加価値でしかなかった。

 僕には光が当たっていなかった。当たっていたのかもしれないけれど、人からの賞賛や好意を持つ光なんて一切当たっていない。それは『太陽日葵』から受けているだけの光だ。

 ギラギラと空から太陽の光が刺すように照りつける。30度を超えるほどの暑さ。いくら光が当たっていないとはいっても、こんな熱光線に当たりたかったわけじゃないのだが。


「そうだ、1杯飲ませて。今年飲めるようになったんだ」


 頭の奥にこびり付いた悪い思い出を振り払うために、カバンから缶ビールを取り出す。この年になって初めて飲むことができたが、嫌なことを炭酸と共に流してくれるお酒というのはいいものだ。まあ、これを日葵が見たらどう思うかは別として、だが……


「これは君の分」


 彼女が好きだったコーラを取り出して墓の前に置く。こんなに時間が経って彼女でもないただの“友達”な相手の好きなものを覚えているというのは、なかなかに厳しいものがあるようにも思えるけれど、そこからは目を背ける。そんなことを言っていれば、僕の全てが厳しいことになってしまうだろうから。


「いつか、君と一緒にお酒が飲めるといいな」


 叶うことのない幻想が、思わず口からこぼれ落ちる。大人になった2人で、並んでお酒を飲んだり。やりたかったことはまだまだたくさんあった。


「……それじゃ、そろそろ行くね」


 一緒に高校を卒業して、都会に行って。大学で自分のやりたいことを学んで、就職して。社会人になってもよく会って、愚痴を言い合ったりだとか。僕が考えていた未来には、いつも彼女が一緒にいた。

 

「……なんだか、寂しいな」


 こんなことばかり考えていた僕を見たら、彼女はどう思うのだろう。優しい日葵のことだから、共感してくれるだろうか。そんなことを考えているうちに、我に返る。

 ……彼女ならこうした、だとか、すがり続けるのはやめよう。いくら考えたって、それが現実になることはないのだから。


「せめて、向き合って話せたらな」


 最後に放ったその言葉も、虚空へと消えていく。誰かの元に届くこともなく、すぐに辺りは静まり返った。


――――――

 

「そういえば、明日は久しぶりに夏祭りがあるらしいね」

「え、そうなの?」

「らしいよ。5年ぶりだったっけ」


 見慣れたリビングの中で、そんなやりとりを母と交わす。顔は出しておこうと立ち寄った我が家で、そんな耳寄り情報を手に入れた。

 夏祭り。毎年参加していたものの、新型のウイルスだとかでしばらく開催されていなかったが、戻ってきたこのタイミングで再び開催されるとは。

 ただ……問題になるのが、これが『明日』ということだ。そもそも今日は日帰りのつもりでこっちに来たため、宿泊先なんて準備していない。


「うわ……もう1日遅く来てれば」

「あんたそんなこと言っても絶対今日に来るでしょ」

「それは……そうだけど」

「……もう。泊まってけばいいじゃん。ここ誰の家だと思ってるの」

「え、いいの?」

「息子を拒む母親がどこにいますか」

「そっか、さんきゅ」


 ……ここが僕の住んでいた家だ、ということは、頭から抜けていたけど。

 

 懐かしい布団に身を包み、目を閉じる。明日の祭りは楽しめるだろうか。

 また、を思い出してしまうのではないだろうか。

 そんな不安にも包まれながら、僕の意識は深くへと沈んでいった。

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