第28話 死地に駆ける者
まずは、一番近くにいるやつからだ。
地面をずるずると這いながら、前線へじわじわと迫っている大口喰らいが一体。
胴体のあちこちを、半透明のスライムが覆い、肉を溶かしながら動かしている。
(こいつを、起点にする)
踏み込む。
魔剣を構えた瞬間、心眼が静かに視界の奥で囁き出した。
大口喰らいの進行方向。
次に頭を振る角度。
巻き付こうとするタイミング。
(左に頭を振ってくる。そこで半歩潜り込めば──)
思考とほぼ同時に身体が動く。
大口喰らいの頭が左へ振られた、その懐に滑り込むように飛び込んで──。
「はっ!」
スライムごと、首元に斜めの一閃を叩き込む。
刃が肉と骨を断ち、切断面からスライムがぶくぶくと泡立った。
魔剣に触れている部分だけが、じわじわと黒く変色し、煙を上げながら縮んでいく。
大口喰らいが、ぐらり、とよろめいた、その瞬間──。
(右上から来る)
心眼が告げる。
横合いから、ぎぃ、と聞きたくない鳴き声。
振り返るより早く、影が視界の端を横切った。
翼をズタズタにされ、骨の一部が露出した鳥型の魔物。
その羽根代わりに、スライムがベッタリと貼り付き、無理やり飛行している。
(今の位置からじゃ、剣を振るのが間に合わない)
一瞬でそう理解したとき、別のルートが自然と浮かんできた。
(じゃあ、こうだ)
倒れかけている大口喰らいの背に片足を乗せる。
そのまま、全力で蹴った。
ぐん、と身体が上に跳ね上がる。
さっきまで自分が持っていた跳躍力とは、比べものにならない高さだった。
(軽っ……!?)
アクロバティックのおかげか、身体が自分のものじゃないみたいだ。
空中で、くるりと一回転。
視界がぐるり、と反転する最中に、突っ込んでくる鳥型の魔物が真正面に入った。
「どりゃあっ!」
回転の勢いをそのまま乗せて、真上から叩き斬る。
魔剣がスライムと骨と肉をまとめて捉え、真っ二つに切り裂いた。
耳障りな悲鳴。
切断面からスライムがぶくぶくと泡立ち、やはり魔剣に触れた部分から黒く変色してミシミシ崩れ落ちていく。
鳥型の魔物の身体が、二つに割れたまま地面に叩きつけられるのと同時に──。
自分の身体の向きを、空中で微調整する。
ぐるりともう一回転して、大口喰らいの頭部が視界に入ったところで、刃を振り下ろした。
「せいっ!」
首の付け根を、横一文字に。
頭部が、スローモーションのように地面へと転がっていく。
切断面からあふれ出たスライムが、一気に黒く変色した。
大口喰らいの巨体がびくびくっと痙攣し、それから、ぴたりと動かなくなる。
俺もそのすぐ横に着地した。
膝への衝撃は、驚くほど軽い。
(二匹、あっという間に、倒せた……!)
自分でやっておきながら、若干引くレベルのスムーズさだ。
さっきまでの自分の動きと、質がまるで違う。
(アクロバティック……やばいなこれ)
ステータスが上昇した効果も相まってか、身体が羽根みたいに軽い。
「跳ぼう」と思った分だけ、ちゃんと跳べる。
着地の際に体勢を崩しそうになっても、その前に自然と身体がバランスを取り直してくれる。
「お、おい……」
「あの嬢ちゃんの動きすげえぞ……」
「今、二匹、一瞬で……!」
周囲から、驚き混じりの声が聞こえた。
兵士も冒険者も、一瞬だけ戦いの手を止めてこっちを見ている。
ざっと周囲を見回す。
魔物はまだ四体ほど残っている。
スライムに覆われたキラーボアが一体。
頭部が半分溶解し、片目だけがぎょろりと光っている巨人──サイクロプス。
全身を黒い毛とスライムで覆われた大型の狼のような魔物。
どれもこれも骨が露出しかけている。
そして──。
(あれが、元凶か?)
遠目にも分かる、巨大なスライムの塊の中に、複数の骨がぐちゃぐちゃに詰め込まれ、薄く透けた外側から白い影となって見えている。
さっき二匹を即座に片付けたせいか、残りの魔物たちの視線が、一斉にこっちへ向いたように感じた。
背筋が冷える。
「っ、来る……!」
心眼が、四つの殺気を同時に捉える。
キラーボアの突進。
サイクロプスの振り下ろす棍棒。
狼型の魔物の飛びかかり。
巨大スライムの、ぬるりとした前進。
(四方向同時、かよ)
思わず悪態が浮かぶ。
けど、心眼はちゃんと「最悪だけは避けるルート」を提示してくれる。
(まず右。ボアの突進をギリギリで躱して、その勢いで狼の懐に滑り込む。巨人の棍棒は──)
考えるより先に、身体が動いていた。
キラーボアの突進を紙一重でかわし、その肩を踏み台にして跳ぶ。
横から飛びかかってきた狼型の魔物の背に足をかけ、その背中を蹴ってさらに跳躍。
頭上を、サイクロプスの棍棒が轟音とともに通り過ぎていった。
さっきまで俺がいた場所の地面が、いとも簡単に砕け散る。
(こっわ、当たったら死んでたぞ……!)
冷や汗ものだ。
だが、心眼とアクロバティックの組み合わせは、それをギリギリで許さない。
とはいえ──。
(四体同時は、さすがにキツい)
避けることはできる。
しかし「避ける」ことに全力を割かなければならない為、攻撃する余裕がない。
キラーボアの角を払い。
狼の爪をギリギリで躱し。
サイクロプスの足元をすり抜け。
スライムの飛び散る触手を跳び越える。
そんなことを繰り返しているうちに、じわじわと追い詰められていく感覚があった。
(避けてるだけじゃジリ貧だ……!)
心眼は確かに優秀だ。
「このままだと当たる」という未来を、少しだけ早く教えてくれる。
でも、四方向から同時に攻められた時、避けるパターンが限られて来る。
今はまだ何とか避けれているが、体力と集中力が少しでも欠けたら──。
そこまで考えたとき。
「オレたちも行くぞ!」
「嬢ちゃんに任せっきりにはできねぇ!」
別の声が飛び込んできた。
周囲でまだ動ける冒険者や兵士たちが、一斉に飛び出してくる。
「キラーボアはこっちで引きつける!」
「コイツは任せろ!」
「サイクロプスの足を狙え、倒れたところを叩くんだ!」
刹那、重圧がふっと軽くなる。
キラーボアの突進が、俺ではなく横から飛び込んだ冒険者たちの盾に向かう。
狼型の魔物が、弓や魔法によって注意をそらされ、そっちに飛びかかっていく。
サイクロプスの足元を、槍や矢が容赦なく狙い始めた。
(助かった……!)
心の中で叫ぶ。
これで、少なくとも「四体同時に殺到」は避けられる。
「嬢ちゃんは、仕留めに専念しろ!」
「決定打はあんたの剣しかねぇんだろ!」
誰かがそう叫んだ。
否定の余地はない。
「……任せろ!」
短く叫び返し、一番近くの狼型の魔物に向かって踏み込む。
すでに何発もの攻撃を受けているのか、あちこちのスライムが削れている。
その隙間から、骨と溶けかけた筋肉が覗いていた。
(そこだ)
心眼が、わずかな「死角」を教えてくれる。
アクロバティックの補正も合わさり、驚くほど自然に、そこへ滑り込む。
喉元。
薄くなったスライムの層。
そこに、魔剣を突き立てた。
「っ!」
刃が骨を砕き、スライムが一気に黒く変色する。
狼型の魔物が苦鳴を上げ、崩れ落ちた。
「一体!」
自分で言って、自分で数を数える。
次は──。
視線の先では、キラーボアが冒険者たちの盾を押し込み、じりじりと前に進んでいた。
「こっち来るなっての……!」
その横合いから、キラーボアの前足を狙って斬りつける。
膝にあたる部分のスライムをざくりと切り裂き、骨ごと断つ。
キラーボアがバランスを崩して、前のめりに倒れ込んだ。
「今だ、頭を狙え!」
別の冒険者が叫ぶ。
「助かる!」
倒れ込む巨体の首元に飛び乗り、そのまま魔剣を振り下ろした。
首の骨が砕け、スライムがまた黒く変色していく。
キラーボアも、ほどなくして動かなくなった。
「二体目!」
息は荒いが、身体はまだ動く。
残りは──サイクロプスと巨大スライム。
サイクロプスの周囲では、兵士と冒険者が総出で足を狙っていた。
何本もの槍が脛に突き立ち、矢が膝の関節を射抜く。
「倒れるぞ! 下がれ!」
誰かの叫びとともに、サイクロプスが前のめりにばたりと崩れ落ちた。
その顎へ向けて、複数の斬撃と魔法が飛ぶ。
(ここだ)
心眼の指し示す「致命の位置」に向けて、一気に駆ける。
倒れ込んだサイクロプスの首元。
そこには、まだ分厚いスライムの層が残っていた。
「お前で三体目だ!」
気合いとともに、魔剣を叩き込む。
骨が砕ける感触。
溶けかけた肉とスライムが、まとめて刃に焼かれ、黒く変色していく。
耳障りな叫び声を上げたあと、サイクロプスもピクリとも動かなくなった。
息を荒くしながら顔を上げる。
残るは──。
(最後の一匹……いや、一体?)
巨大なスライムの塊。
そいつの周囲には、多くの人間が倒れていた。
腕を抱えてうずくまる者。
動かない者。
そして、その倒れている人間たちの肌に、スライムの一部がべったりと貼り付いて、じゅうじゅうと音を立てている。
「っ……!」
見た瞬間、腹の底が冷たくなった。
(これ、寄生しようとしてるのか……?)
他の魔物と同じように。
スライムが、倒れている冒険者や兵士たちの身体を「素材」にしようとしているのだとしたら──。
(やばい、急がないと)
身体が勝手に前へ出ていた。
「おい! そっちの連中、倒れてるやつらを引き剥がせ! スライムに触れてる部分から離せ!」
近くにいた兵士数名に怒鳴る。
彼らは一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐに状況を理解したらしく、仲間を引きずり出し始めた。
「お、おいこれ、剥がれねぇぞ!」
「無理に引っ張るな、皮膚ごと持ってかれる!」
嫌な叫び声が上がるが、それでも何もしないよりはずっとマシだ。
(こいつの注意を、俺に向けさせないと)
巨大スライムに向かって走る。
「こっちを見ろ!」
魔剣を全力で振り下ろし、スライムの表面を切り裂いた。
ぶよぶよとした感触。
切り裂かれた部分から、どろりとした液体が溢れ出る。
スライムが、ぴくりと反応した。
次の瞬間、巨大な塊全体がうねり、一気にこちらを向く。
その体内に、ぎっしりと詰め込まれていた骨が、ぞわぞわと動き出した。
「……うわ、気持ち悪っ」
思わず本音が漏れる。
スライムの内側で絡み合っていた骨が、まるで洗濯機の中みたいにぐるぐるとかき混ぜられたあと──。
外へ向かって、吐き出された。
ごぼっ、と音を立てて、白い塊がいくつも飛び出す。
肋骨、頭蓋骨、腕の骨、脚の骨。
それらがスライムで包まれ、即席の「骸骨兵士」みたいなものになっていく。
数秒のうちに、スライム本体とスライムに包まれた骨の兵が、何体も何体も、俺の周囲に立ち上がった。
「そんなのズルだろ!」
心眼が、目まぐるしく警告を発してくる。
左後ろから骨の腕。
右前からスライムの触手。
頭上から、骨の塊。
足元には、ぬるぬるとしたスライムの溜まり。
アクロバティックのおかげで、ギリギリの回避はできる。
それでも、数が多すぎる。
(避けるだけで手いっぱいだ……!)
一本の骨腕を斬り飛ばしたところで、別の骨が背後から迫ってくる。
それをギリギリで躱せば、今度は触手が頭上から振り下ろされる。
避けても避けても、きりがない。
攻撃をする余裕が全く無い。
心眼の「このままだと当たる」という警告が、ほんのわずかな未来を見せてくる。
けれど、どんどん避けられる方向が制限されてくる。
(マズい……!)
足元のスライムを跳び越えたその先に、三方向から骨の腕。
左へ避ければ右から当たり、右へ避ければ左から当たり、後ろに下がれば頭上から落ちてくる。
(避けられない……!)
心眼が、「詰みです」とでも言いたげに、未来のダメージを見せてくる。
左から骨の腕、右から骨の脚、上からスライムに包まれた塊。
どこへ動いても、必ずどれかに当たる未来しか見えない。
(も、もう無理──)
一瞬、本気でそう思った、その時だった。
ヒュン、と空気を裂く音。
次の瞬間、俺の顔すれすれを何かが横切った。
骨の腕を斬り裂き、そのまま吹き飛ばす。
「っ!?」
視界の端で、別の骨の塊が弾け飛ぶ。
スライムに包まれていた頭蓋骨が、何か鋭いものに叩き割られ、黒く変色しながら地面に転がった。
「──無茶するねぇ、アウラ」
どこか軽い声が、戦場の喧騒に割り込んでくる。
骨とスライムが吹き飛んだ反対側。
森のほうから駆けてきた影が、土煙を蹴り上げて滑り込んできた。
全身砂や泥にまみれていて、黒を基調とした革鎧はボロボロ。
手には、装飾の少ない剣。
整った顔立ちは、乾いた血等で見る影もないが、見間違えるわけがない。
「……ヴァン!」
思わず名前が口からこぼれる。
「あぁ、格好いいヴァンさんだぜ」
彼──森渡りのヴァンは、片目だけでウインクしてみせると、すぐ目の前の骨の塊へと踏み込んだ。
剣が閃いた。
スライムごと、包んでいた骨がまとめて切り裂かれる。
ただの物理攻撃のはずなのに、斬り口には薄く風の気配がまとわりつき、普通の剣よりも深く、鋭く食い込んでいた。
(魔剣か?)
そんなことを考える暇もない。
さっきまで俺に集中していたヘイトが、半分ほどヴァンに向いた。
「話はあと。まずはこいつら片付けよっか」
言うなり、ヴァンは骨スライムの群れの中へと飛び込んでいく。
その動きは、俺から見ても冗談みたいに洗練されていた。
低く滑り込んで足を払う。
跳ね上がって、頭蓋を叩き割る。
詰め寄るスライムを最小限の動きで避け、剣の風で削り取る。
(……さすがミスリル級)
森の調査隊と共にスライム付きの魔物を倒しながら戻ってきて──この地獄みたいな門前の状況を見て、そのまま駆け込んできたのだろう。
「ほらほら、ぼーっとしてないで、一本くらい取ってよ!」
「言われなくても!」
背中を預けるような形になりながら、俺も再び魔剣を構える。
心眼が、ヴァンの動きも含めて「安全なルート」を描き始める。
さっきまでの「どこへ行っても当たる」未来ではない。
(右に抜けて、俺がそいつの足を……)
ヴァンが高く跳び上がり、骨の塊の上から斬り下ろす。
その瞬間、その影になる位置へ滑り込んで、スライムの脚を斬る。
息が合う。
息を合わせる必要もないほど、ヴァンのほうが何手も先を読んで動いている。
(……一人だったら、死んでたかもしれない)
心底そう思う。
それでも、今は「死ななかった」という事実だけを噛みしめて、目の前の敵を斬るしかない。
ヴァンが一体。
俺が一体。
時々、周りの冒険者や兵士が遠距離から援護を入れてくれる。
そうやって少しずつ、骨とスライムで出来た即席の魔物たちを削っていく。
「そっちは終わった?」
「こっちはあと一体!」
「じゃあ援護するよ」
短い言葉のやり取りだけで、立ち位置が自然と噛み合う。
やがて──。
残っているのは、巨大スライムの本体だけになっていた。
ぐずぐずに痩せこけたスライムの塊。
内部の骨はほとんど吐き出し尽くしたのか、さっきまでより明らかに“軽い”。
「ふう……さすがに森から帰ってきて、すぐにコレはちょっと疲れたね」
ヴァンが肩を回しながら、小さく息を吐いた。
「とはいえ、もう少しで終わりそうだ」
「ここまで来たら、とどめは任せてくれ」
俺は魔剣を構え直す。
ここまで散々決定打を入れてきたのは、この剣だ。
最後は、自分の手で落としたい。
「お、頼もしいじゃないか。じゃ、援護は任せて」
ヴァンが一歩下がり、周囲の様子を見張る位置に回る。
俺は、巨大スライムと正面から向き合った。
心眼が、スライムの動きの癖を教えてくる。
重心の揺れ。
触手を伸ばすタイミング。
飛びかかってくる角度。
(さっきみたいな詰みパターンじゃない)
今度は、ちゃんと「斬り込める隙」が見える。
(行く──)
息を吸い込み、一歩踏み込もうとした、そのときだった。
「いやはや、流石ですねぇ」
森のほうから、薄気味悪い、しかしどこか愉快そうな声が響いた。
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