第23話 剣術Lv5の手応え
出発の朝、俺はもちろんハイレグアーマーに身を包んでいた。
朝の空気は、少しひんやりしていて、でも刺すような冷たさじゃなかった。
ソーン村の入口──といっても、畑の切れ目から伸びる土の道のあたりだ──には、もう何人もの村人が集まっていた。
「それじゃあ、行ってくるね!」
荷馬車の御者台に座ったノノが、大きく手を振る。
「また戻ってくるからさ! 今度はもっと面白い話、いっぱい持ってくるから、楽しみにしててよ!」
「気をつけて行くんじゃぞー」
長老が杖を突きながら前に出てきて、ノノに、そして俺たちにも目を向ける。
「こっから先は、また森もあるし、街道といえど油断はならん。そこの嬢ちゃんたちも、どうか無事でな」
「ええ。お世話になりました、長老」
ティナが丁寧に頭を下げる。
カイトもそれに倣うように、深く腰を折った。
「ありがとうございました!」
ノノの両親も、少し前に出てきた。
「ノノ、ちゃんと食べて、ちゃんと寝なさいよ。変な無茶はしないこと!」
「はいはい、分かってるよ母さん」
ノノが苦笑しながらも、どこか嬉しそうに答える。
「父さんも、あんまり飲みすぎないようにね」
「分かっとる、分かっとる……って言うとるのになぁ、なんで毎回『ほんとに?』みたいな顔をするんだ母さんは」
ノノ父が頭を掻くと、ノノ母が「分かってないからよ」とため息をついた。
そのやり取りに、思わず口元が緩む。
「アウラちゃんたちも──」
ノノ母がこちらに向き直る。
「こんな田舎だけど、いつでも歓迎するから。またおいでね」
「本当に、お世話になりました」
ティナが、もう一度深く頭を下げる。
「美味しいご飯も、寝床も、全部……とても助かりました」
「僕も、改めてお礼を。こんなにゆっくり眠れたの、久しぶりでした」
カイトが素直にそう言うと、ノノ父が「はっはっは」と豪快に笑った。
「それは何よりだ。冒険者ってのは、どうしたって骨が折れる仕事だからな。休めるときに休んでおかんと、あとでガタが来るぞ?」
「はい! それは、肝に銘じておきます」
妙に耳の痛い忠告だった。
前世の社畜生活が脳裏をよぎり、思わず生返事になる。
「俺からも、改めて」
少し前に出て、ノノの両親に頭を下げる。
「とても居心地が良かったです。美味しいご飯も……本当に、ありがとうございました」
言葉を口にしながら、自分でも驚く。
こうやって「帰る家」から送り出される、みたいな感覚は、久しくなかった。
「なに言ってるのよ」
ノノ母が、照れたように笑った。
「こっちこそ、ノノと荷物を守ってくれて、助けてくれたんだもの。ありがとうね」
「また来いよ」
ノノ父が短く言う。その一言に、妙な重さがあった。
「ええ、また来られたら」
自然と、そんな言葉が口から出た。
「よし、それじゃあ行こっか!」
ノノが手綱を軽く鳴らすと、馬が鼻を鳴らして前へと歩き出した。
荷馬車の後ろにつけて、俺とティナ、カイトもゆっくりと歩き出す。
「それじゃあ、行ってきまーす!」
「「「いってらっしゃい!」」」
村人たちの声が重なった。
振り返ると、長老が杖を振り、ノノの両親が手を振り、子どもたちが跳び跳ねている。
(……なんか、いいな)
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
ソーン村の姿がゆっくりと遠ざかっていくのを、俺はしばらく振り返りながら眺めていた。
◇
「さて、と」
村が丘の向こうに完全に隠れたあたりで、ノノがくるりとこちらを振り返った。
「街に戻るまでが依頼だからねー。気を抜かずに、がんばろー!」
「了解」
「もちろんです!」
ティナとカイトがそれぞれ頷き、俺も軽く手を上げる。
街へ戻る道は、来たときと同じ。
畑の中を抜ける道をしばらく進み、その先に例の森が待っている。
太陽はすでにそこそこ高く、風はどこか乾いている。
道中は、驚くほど平穏だった。
畑の向こうからは農夫たちの声が聞こえ、頭上では小鳥が鳴き、時折、荷馬車の車輪が小さな石を弾く音がするだけだ。
休憩を挟むときには、ノノの母が持たせてくれた焼き菓子を少しずつ分け合った。
素朴な味のクッキーのようなもので、ほのかな甘みがあり砕いた木の実が混ざっている。
「これ、うまいな」
一口齧った瞬間、素直な感想が漏れた。
「でしょ! 母さんの得意おやつなんだよねー。旅の途中で小腹減ったとき用!」
「これは売ったら普通に人気出そうね……」
ティナがそう呟くと、ノノは「だよねぇ」と頷く。
「前に街の人にもあげたら、『レシピ売ってくれ』って言われたもん。さすがにタダでは売らないけど!」
「そこは商人魂だな」
口の中に広がる甘さと、ほんの少しの塩気。
それが妙に、胸の奥まで染みていくような気がした。
(……なんだ、こっちの世界、わりと悪くないのでは?)
自分で思って、自分で苦笑する。
少なくとも、こちらに来てからの食事は、前の世界の──コンビニの冷えたパンとペットボトルのコーヒーよりは、圧倒的に幸福度が高い。
とはいえ米や出汁が無いのは少々さみしいが。
◇
太陽が少し西に傾き始めたころ、森の輪郭がだんだんと近づいてきた。
「この辺りかな~」
ノノが御者台から指さす。
「森の入口までは、もうちょっと先だけど……今日は、行きの時と同じ辺りで野営かなぁ。森に近すぎても、魔物が怖いしね」
「妥当ね」
ティナが頷く。
「日が完全に沈む前に、焚き火の準備もしておきたいし」
やがて、道の脇に、焚き火の跡や、馬をつなぐ杭が残っている場所が見えてきた。
来る時に野営をした場所だ。
「じゃあ、同じ場所で野営しまーす!」
ノノが荷馬車を止める。
俺たちもそれぞれ荷物を下ろし、野営の準備に取りかかった。
「わたしご飯の準備するね~!」
「薪拾ってくるわね」
「僕もティナに付いていくよ!」
「了解。じゃあ俺は──」
周囲の様子を見回した、そのときだ。
森のほうから、かすかな羽音がした。
バサ……バサバサッ。
あの、やけに耳に残る、不気味な羽の音。
背筋が、自然と伸びる。
「ノノ、こっち」
俺は思わずノノの腕を掴んで、自分の後ろへと引き寄せた。
「え? アウラちゃん?」
「来る。シャドーバードだ」
言ったそばから、森の木々の向こう、夕陽を背負った黒い影が、いくつも空を切って飛び出してきた。
あの、真っ黒な影みたいな鳥。
前に遭遇した、あの魔物だ。だが今回は──。
「数が……多いわね」
ティナが短く息を呑む。
すでに杖を構え、魔力を練り始めていた。
ざっと見ただけでも、五羽はいる。
「カイト、前に!」
「了解!」
カイトがショートソードを抜いて前に出る。
俺も、腰に下げていた魔剣の柄に手をかけた。
(大丈夫……。今度は──動くんだ)
朝、剣術スキルを上げたときの感覚が、はっきりと残っている。
剣を振り下ろす軌道、足の踏み込み、腰の回転。頭の中で、全部が自然に結びつく。
シャドーバードたちが、一直線にこちらへ向かってくる。
一、二羽は空中を高く舞い、残りは低い軌道で地面すれすれを飛び──。
「ウィンドカッター!」
ティナの声とともに、風の刃が空を走った。
一番先頭を飛んでいた一羽の胴体を、斜めに切り裂く。
シャドーバードは悲鳴を上げる暇もなく、くるくると回転しながら地面に墜ちた。
「やっ!」
別の一羽に、カイトが飛び込む。
ショートソードの一撃が、ギリギリのところで首元を捉え、そのまま地面に叩き落とす。
(よし、俺も──)
魔剣を抜いた瞬間、世界が、少しだけスローモーションになったように感じた。
シャドーバードの動きが、はっきり見える。
羽ばたきで生まれる風の流れ、爪がこちらを狙う角度、首の位置──。
(ここだ!)
自然と足が前へ出る。
右足を半歩踏み込み、左足で地面を蹴る。腰が回り、肩が開き、腕が──剣が──。
す、と。
本当に、「すっ」としか言えない感覚だった。
重さをほとんど感じないまま、魔剣の刃が横一文字に走る。
シャドーバードの胴体が、綺麗に真っ二つになった。
「……すごい」
自分で自分の動きに驚いている間にも、別の影が視界の端をかすめる。
「ノノのほう!」
ノノの頭上に、一羽が急降下していた。
考えるより先に、身体が動く。
反射的に地面を蹴ると、足裏がいつもより軽く感じた。
跳躍。視界が一瞬で高くなる。夕陽が目に刺さる。
空中で身体をひねり、振り上げた剣を、そのまま振り下ろす。
ザン。
手応えは、驚くほど薄かった。
刃が抵抗なく通り抜け、シャドーバードの体が上下に分かれる。
血飛沫が、夕陽を受けて赤黒く光った。
俺は地面に着地し、そのまま振り返る。
「ノノ、無事か!」
「う、うん……! ありがとう、アウラちゃん!」
ノノが目を丸くして、俺と、真っ二つになったシャドーバードを見比べている。
「すご……今の、なに?」
「そっち、まだ残ってるわよ!」
ティナの声が聞こえる。
視線を向けると、カイトがもう一羽とやり合っていた。
「くっ……!」
シャドーバードの爪が、カイトの腕をかすめる。
それを庇うように、ティナの風の魔法が横から飛び、鳥の翼を削ぎ落とした。
「今!」
「おおおっ!」
カイトが渾身の一撃を叩き込む。
シャドーバードが悲鳴を上げて地面に崩れ落ちた。
しばしの沈黙。
辺りに、羽ばたきの音はもう残っていない。
「……終わったか?」
そう呟きながら、周囲を見回す。
倒れたシャドーバードは、全部で五羽。どうやら、全滅させたようだった。
「ふぅーっ……」
カイトが大きく息を吐き、腰に手を当てる。
「なんとか、なりましたね……」
「ええ。お疲れ様」
ティナが、カイトの腕を軽く見て、「掠り傷ね。あとで消毒しておきましょう」と呟いた。
ノノはというと、少し離れたところでへたり込んでいた。
俺が近づくと、顔を上げて、ぽかん、と口を開ける。
「アウラちゃん」
「ん?」
「今の動き……今までと全然違わなかった?」
「あー……」
言葉に詰まる。
自分でもそう感じていたからだ。
「なんていうかさ、シュバッ! って行って、シュババッ! って斬ってたよね! わたし、途中から目で追うの諦めたもん!」
「擬音が雑だな」
思わず突っ込む。
けど、言いたいことは分かる。俺自身、さっきの動きは、正直“自分のものじゃない”ような感覚すらあった。
(剣術Lv5の補正……ってやつか?)
剣を握った瞬間、どうやって振ればいいかが分かっていた。
足の運び方も、重心のかけ方も、意識しなくても身体がわかっている感覚。
以前の剣が勝手に動くのとは違う、自分の意思で動く感じ。
(やっぱり、スキルってバカにならないな……)
ゲームなら「数値が上がりました」で済む話だが、これは現実だ。
自分の身体が、まるで別物みたいに軽く早く動くのだから、そりゃ驚く。
「アウラ」
ティナも、少し驚いたような顔で近づいてくる。
「前回のシャドーバードの時は、ほとんど動けなかったじゃない? 今回は、最初から動きの先を読んでたように見えたわ」
「うんうん!」
ノノが全力で頷く。
「なんか、鳥さんがこう来るのを、ひょいって避けて、ズバッてやって、そのまま跳んで、またズバッて……!」
「だから擬音がうるさい」
「えへへ」
ノノが笑う。
「でも、本当にすごかったよ? どうしたの? なんかあった?」
「いや、その……」
さすがに、「実はステータス画面を開いてスキルポイントを振りまして」とは言えない。
「身体の調子が……良かったみたいで」
苦し紛れにそう答えると、ノノは「ふーん?」と疑わしそうに目を細めた。
ティナも「それだけで説明できるかしらねぇ」といった表情をしている。
「まぁ、いいわ」
ティナは最後には肩をすくめた。
「強くなってくれる分には、大歓迎よ。今後もああいう変なのが出てこないとは限らないもの」
「だよね!」
カイトも笑う。
「アウラさんがあれだけ動けるなら、俺、もっと頑張らないと……!」
「いや、カイトも十分すごいと思うぞ?」
本当に、カイトはカイトでちゃんと前に出て戦っていた。
あの腕のかすり傷が、その証拠だ。
「とにかく」
ティナが周囲を見渡し、息を整える。
「このあたりにまだ潜んでいる可能性もあるわ。薪を集めつつ、周りを偵察してくるから……今日は早めに準備を済ませましょう」
「そだねー。暗くなる前に焚き火起こしちゃお!」
ノノが立ち上がり、ぱん、と手を叩く。
シャドーバードの死骸は、夕飯に食べる分は頂き、残りはせめてもの印として、森のほうへ少し寄せて石をいくつか積んでおいた。
◇
野営の準備は、いつもより手際よく進んだ。
慣れもあるし、さっきの戦闘である程度動きが温まっていたせいもあるのかもしれない。
焚き火がぱちぱちと音を立てて燃え始め、簡単なスープとパンを温める香りが漂う。
「なんか、今日のスープ、いつもより美味しく感じますね」
カイトがそう言って、スプーンを口に運ぶ。
「いっぱい動いたからじゃない?」とティナが笑う。
「そうかも。結構歩いたし、シャドーバードと戦って……うん、ちゃんと倒せたし」
俺も一口スープを飲んでみる。
塩気の効いた、それでいて優しい味。腹の底にじんわりと広がる。
(……たしかに、うまいな)
焚き火の光に照らされたノノの横顔が、どこか満足そうに見えた。
「ねぇ、アウラちゃん」
「なんだ」
「さっきの、ほんとに調子が良かっただけ?」
「……ノノ、しつこいぞ」
「えへへ。でも気になるじゃん。あれだけ動けるようになったの。何だか急に剣の達人みたいな動きで、ちょっとびっくりもしたからさ」
その気持ちは分かる。
むしろ俺のほうがよっぽどびっくりしている。
(スキルポイント、か)
焚き火の炎を眺めながら、朝のステータス画面を思い出す。
剣術Lv5。残りスキルポイント7。
さっきの動きからして、剣術だけでこれだけ変わるなら──他のスキルも、ちょっと真面目に考えたほうが良さそうだ。
(今後、どんな魔物が出てくるか分からないしな)
今日だって、シャドーバードが複数で来た。
あのおおねずみ+寄生スライムみたいな意味不明な敵が、また現れないとも限らない。
(そのとき、スキルポイントを温存してたせいで対応できなかった、なんてことになったら……)
後悔しても遅い。
ゲームなら「ロードします」で済むかもしれないが、これはそうはいかない世界だ。
(ちゃんと、今のうちから考えておくべきだな)
どのスキルを取るべきか。
どこまで振るべきか。
戦闘だけじゃなく、旅をするうえで役立ちそうなものもあるかもしれない。
社畜時代、後先考えずに仕事を受けて、あとで地獄を見る──というパターンを何度も経験した。
同じ失敗を、別の世界でまで繰り返すのはごめんだ。
「アウラ?」
ティナが、少し心配そうに覗き込んでくる。
「さっきから難しい顔してるけど、大丈夫?」
「ああ、いや……ちょっと、考え事をしてただけだ」
「真面目だねぇ、アウラちゃんは」
ノノが笑う。
「でも、さっきみたいに戦ってくれると、こっちも安心できるからさ。無茶しない程度に、お願いね?」
「努力はする」
そう答えると、ノノは満足そうに頷いた。
焚き火の火が、ぱちん、と弾ける。
上を見上げれば、森の影の向こうに、星がちらほらと見え始めていた。
(今夜、見ておくか)
ステータス画面。
そして、取得可能スキル一覧。
ちゃんと準備しておこう。
咄嗟のときに「何もしてなかった」なんてことにならないように。
焚き火の温かさを感じながら、そんな決意だけは、はっきりと胸の中に刻んだ。
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