第31話「予感、筧リン」
湿気を含んだ初夏の風が、開け放たれた窓から教室に吹き込んでいく。
朝のホームルーム前。ざわついた空気がいつもより騒がしい。
そのざわつきの原因が何なのか、正也にはわからなかったが、前の席の男子生徒たちの会話が耳に入ってきた。
「今日、転校生来るんだってよ」
「男? 女?」
「女らしいよ。小っちゃくて可愛いって」
頬杖をつき、小さくため息をついた正也は窓の外を眺めた。
『この時期にか』
二年生になってから約一か月。この時期に転入してきてクラスに馴染むことは、正也にとっては至難の業のように思えた。
『無難に仲良く出来れば良いな』
正也はそう思いながら、自身の後ろ、追加された席を振り向く。
風の心地良さにしか興味が無いようなふりをしながら、櫻とのそれとは違う同学年との友情に僅かに想いを馳せた。
そのとき、担任の男性教師が扉を開けた。
「はいおはよー。今日はホームルームの前に転校生紹介するからなー」
『ざわざわ』
そんなオノマトペがしっくりくる話し声が教室中に広がり、正也は思わず笑ってしまう。
「はい静かにー。じゃ、入ってきて」
男性教師の合図に合わせ、一人の少女が教室に入ってくる。
「っ……」
余裕の表情を浮かべていた正也は、彼女を見て顔を強張らせた。
その小柄な少女の纏う、高校生離れした沈美な雰囲気と、他者との壁を隠そうともしない無表情から目が離せない。
本能的に探ろうとした目の奥も、長い前髪と黒縁の眼鏡というベールに隠された。
「じゃ、名前書いて、自己紹介してくれるか」
男性教師に促され、少女は欠片も躊躇わずに左手で白いチョークを手に取る。
『筧(かけい)リン』
無機質な文字を書き、振り返った少女――リンの右手小指に、“紫色の石の指輪”が光る。
『指輪? まさか』
しかしリンはそれを隠す素振りも見せず、はっきりと前を向いて口を開いた。
「筧リンです。親の転勤で引っ越してきました。趣味は読書です。これからよろしくお願いします」
鈴が凛と鳴るような声。
少しの混じりっ気も無く真っ直ぐ響き、静かな衝撃が教室中に広がる。
それは、“自分たちとは違う完成品が現れた”という衝撃。
「……よし、じゃ皆、拍手ー」
促され、呆けたようにまばらな拍手が起こる。
正也はただ、リンを見ていた。
彼女と、彼女の右手の“櫻のものと似ている指輪”を見ていた。
「じゃ、席は一番後ろだな」
教師にそう言われ、俯きがちのまま、しかし堂々と歩いてくる。
『こいつ、ただ者じゃない』
それは、本能的な恐怖、直感。
「ッ!」
リンが横を通り過ぎるそのとき、正也はその眼鏡の奥の目を見た。
それは、少しのことでは動じないだろうという確信を与える、据わった目。
冷たさの中に断固とした意思が滲む、強い目。
そんな目をした人物を、正也は一人しか知らなかった。
「じゃあ、挨拶ー」
立ち上がり、身体がいつも通りに挨拶をする。
しかし正也の胸のざわめきは、昼食の時間が来るまで収まらなかった。
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