第10話 彼の過去の断片

夢だ、と思った。


本来白いはずのベッドも壁も、ほのかに橙に色づいている。カーテンの揺れる窓の外の空は燃えるように赤い。ぴ、ぴ、と鳴る機械音に紛れて、壁に掛けられたテレビからクリスマスソングが聞こえてくる。


幼少期通いなれた場所――母親の病室だ。

しかし、母はベッドにいない。そりゃそうだ、彼女はとっくに亡くなっている。


「やあ」


不意に後ろから声がした。

振り返ると、そこには翔が立っていた。目を見開く。


「おま……え……」


――いや、翔ではない。


確かに、真っ黒の髪も眼鏡も、目元のほくろも、大人しく陰気な雰囲気も、低い身長も、ゲーマーらしい若者感ある服装も、翔のものだけれど――何かが違う。笑い方……そうだ、アイツは、こんな表情を見せたことはなかった。


この世の全てを見てきたかのような深い沼のような黒い目が、細く歪められている。嘲笑するような、憐れむような、そんな嫌な笑みだった。


「誰だ?」


訊けば、翔の姿をした何かは答えた。


「あっは、分かんねえの? アンタの中に寄生しているスヱだよ~」

「……」


こちらを煽るように、そいつは言った。まったく翔らしくない口調で。

スヱ。ここ二日の出来事が一気に頭を駆け巡る。スヱ――こいつが、俺の世界を狂わせた、元凶。

言いたいことはたくさんあった。

けれど、何より先に訊かなければならないことがある。


「なんで翔の姿をしているんだ……!」

「へえ! 翔の姿に見えてんのか!」

「質問に答えろよ!」

「そういう習性。としか言えねえわ。スヱの卵はその人間の記憶から形を作る」

「何が目的で、俺の前に現れたんだ」

「アンタと話したかったからだよ。というわけで、こっちも訊きたいことがあるんだけどさ」

「……なんだよ」

「アンタ、すげえ食べにくいんだけど。ちょっとは諦めたりしてみない? もう抵抗がすごくてさぁ。生きたい生きたいって。なんなの? 生きることへの執着? ハンパねえよ。これじゃあ、少しずつしか浸食もできねえわ」

「へえ。そりゃ良いこと聞いた」


ニヤリと笑い返してやれば、スヱは唇を尖らせた。


「長く生きてきたけど、アンタみたいなやつ、はじめてだ。人間ってのは、自分より他人を優先する不思議な生き物だと思ってたのになぁ」

「そりゃあ、まあ、随分と善良な人間たちばかり食ってきたんだな。あいにく俺は善良じゃないから、俺が生き残ることが最優先だ」


スヱは途端に表情を明るくした。その瞳が、夕焼けを映して赤く染まる。俺は眉を潜めた。


「あは! オレと同じだなあ! オレもさ、生きることが一番大事だと思ってんだ。だから、今までの人間たちの考えはサッパリ理解できなかったけれど、アンタの考えは分かりやすい。生き残る、それしか考えていない。そのためには他人を巻き込むし、他人を騙す」

「……」

「なあ、リスキルちゃんに言ってた『普通の学生はそういうもんだからそうしてる』、あれ、嘘だろ。普通の学生は学校とそれ以外で雰囲気まで変えない。リスキルちゃんは常識ないから騙せると思ったんだろ」

「……」

「一生懸命、目立たないように、学校でも外でも『よくいる普通の学生』になろうとして、大変だなあ?」


スヱは演説でもするかのように手を広げて病室を歩くと、ベッドに腰掛けた。

俺は言い返す言葉を探して口を開くが、言葉が出てくる前に、スヱが意地悪く言った。


「そんなに必死になってまで、詮索されないように、ひた隠しにしている過去はなんだろうなあ! 気になるじゃねえか?」

「うるせえ」

「ま、教えてくれるとは思ってねえよ。だから勝手に覗く。アンタの中にいる俺には、それができる」

「やめろ」

「さ、見てみようじゃねえか」

「やめろ!」


――電気を消したように、世界が、暗転した。


は、と気が付くと、周囲には色と音が溢れていた。見回す。古ぼけたゲームセンターの中だ。


目の前には、見慣れた筐体があり、そこには勝利を告げる文字が躍っていた。


「ちょっと」


声をかけられて、視線を上げる。

横に、翔が立っていた。眼鏡の奥の瞳はどこか幼くて、俺はなんとなくホッとしてしまう。


「なんだよ」


俺の口は自然と動いた。俺の意思を無視して、表情筋も勝手に動く。

不機嫌な表情で、俺は翔にガンつける。そうだ、いちゃもんを言われると思って、俺はこの時、強気に彼に相対したのだ。

翔はゲーム画面を指さして言った。


「おまえ、嫌な戦い方するな」

「なんだ、さっきの対戦相手か。なんだよ負け惜しみか?」

「いや、強くてすげえ」

「は?」


予想外の言葉が飛んできて、俺は訊き返す。

翔はバッグにカードをしまいながら言う。


「その制服……隣町の学校だよな」

「そうだよ。お前、名前は?」

「伊野翔」

「翔か。ま、翔もけっこう強かったよ」


俺はそう言って立ち上がった。

そうだ、これは初対面の時の――。


翔は真面目な顔になって指摘する。


「でもさ、おまえ、名前が『漆黒神』はどうかと思うわ。ネーミングセンス疑う」


俺はムッとして言い返した。


「『純白の宿題』に言われたくねえわ。ただの宿題やってねえ奴じゃねえか。絶対お前成績悪いだろ」

「まあね」

「なんで自慢げなんだよ。宿題やれよ」

「宿題なんてのは、さぼるためにあるんだぜ」


はは、と笑った翔に、つられて俺も笑う。そうだ、こうして俺たちは出会った。


ここから俺たちは何度も遊んだ。

何日もゲーセンで出会って、何日も一緒に出撃した。


「おまえ、マジで強いよ。今度東京の大会に出ようぜ。きっと天下取れる!」


そう宣言する翔に俺は呆れて言う。


「さすがに目標高すぎだっつーの。大会は無理だろ」

「じゃあ、東京でプレイの称号だけでも手に入れにいこう」

「記念受験みてえなことすんなよ」


そんな会話をしたのは、いつのことだっただろう。

戦友であり、きっと親友というやつだったのだと思う。走馬灯のように、その日々が駆け抜けていった。


この後に訪れる出来事が分かってしまって、俺は目を閉じる。

見たくない。見たくない、と念じる。



――目を開くと、学校の門にいた。


ああ――と、俺は嘆くけれど、俺の足は止まらず、学校へと入っていく。この頃はまだ、眼鏡もかけていなければ、髪だって整えていない。素のままで登校していた。それが間違いだとも気付かずに。


教室のドアを潜れば、今日も俺に向かってヒソヒソ話が飛んでくる。

嫌だ、嫌だ、と思いながら席に向かえば、すれ違いざまに『死神』と囁かれた。何も聞かなかったことにして、席に着く。いつもだったら、すぐに収まるヒソヒソ話が、今日はどうにもおさまる気配がない。嫌な予感がした。


ドタバタ、と廊下を走る音がして、バン、とドアが開かれた。

そして知らない男子生徒が一人、教室に駆け込んでくると、俺に一直線に向かってきた。そいつは俺に向かって叫んだ。


「死んだ!」

「は?」


訊き返せば、胸倉を掴まれる。


「死んだんだよ! 俺の幼馴染が!」

「な、なんだよ突然……何を……」

「伊野翔ってやつ、知ってるだろ!」

「え、ああ」

「死んだんだよ! おまえのせいだ!」

「え……?」

「おまえが――」


ああ、止めろ。その続きを、言うな。


「おまえが、死ねば良かったのに!」


そして、男子生徒は俺を突き放すと、泣きながら教室を出て行った。

残されたクラスはシン、と静まり返っていた。俺は、耐えられなくなって、バッグを抱えて立ち上がると、教室を出た。


途中ですれ違った当時の担任だった国語教師に、「早退します」と言えば、担任は「おう」と一言だけ返した。俺にまったく興味なんてないような様子だった。


学校を出て、あてもなくウロウロした先、見つけた公園のベンチに座り込む。

そっとスマートフォンを開いてSNSを見に行けば、にわかに騒がしかった。そこには、閲覧注意、グロ注意の文字が所狭しと並び、画像が――。


「う……」


少年の無惨な死体の画像。

慌ててブルーシートでそれを隠そうとする警官たちの動画。

事件が起きた住宅街の場所の地図。

それは――その場所は、よく知っていた。最近よく遊びに行っていた家。

死体の画像の奥には、『伊野』という表札が見えていた。


――翔が死んだ。


だとすれば、この死体、は。

俺は震える手でスマートフォンを握りしめ、SNSをもう一度見る。SNSにはこう書いてあった。


『死んだ奴の親友は――■■■■らしい』

『■■■■かよ。久しぶりに名前聞いたな。母親も殺しておいて、今度は親友か』

『■■■■が死んでくれたら、みんなハッピーだったのにな』


その名前を見て、俺は吐いた。地面に向かって身体を押し曲げ、見てしまった言葉と画像を反芻して、吐いた。

苦しさに目を閉じる。


「ふうん。アンタ本名は■■■■っていうのか」と――静かな声が聞こえた。



目を開ければ、俺は病院の床に向かって吐いていた。

冷たい床は、俺の吐しゃ物を吸水マットのように吸収して消していく。


ああ、これは夢なんだ、と再度自覚して、ようやく現実感が戻ってきた。

翔の姿をしたスヱが、少し苦い表情をして立っている。


「それにしても、ひどい話だなあ。アンタは何もしてない。アンタが死んだところで、翔が生き残れたわけでもない。それなのに、周囲はアンタを責めたのか」

「……いまさらそんなこと、ひどいとは思わねえよ。ほとんどの人間は、俺を憎んでいる。昔から、ずっとそうだった。これからも、そう。そういうもんなんだ」

「なあ、アンタは昔、何を――周囲がそんなに敵視するほど、何を、やらかしたんだ?」


ベッドに腰掛けたままスヱは言う。俺は息を整えながら答えた。


「何も。ただ、上手く立ち回るのに失敗して、周りから恨まれた――それだけだ」

「母親を殺した、というのは?」

「……」

「うーん。気になるけれど、そろそろ時間か」


スヱはそう言うと、ベッドをトントンと叩いた。


「座れよ。上映会のお礼に、いいものを見せてやる」

「……」


とてもじゃないが、そいつの隣に座る気にはなれなくて、でも体力は厳しくて、俺は身体を引き摺るようにして、ベッドの足元に寄り掛かるようにして座り込んだ。


途端、目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。

ふと、目の前に一人の子供が現れる。


目立たない外見の大人しそうな少年――翔だった。彼を認識したとたん、世界が色づいて、俺は小さな部屋に座っていた。見慣れた、翔の部屋だった。翔は部屋に置かれた鏡を見て、そして首元の包帯を外した。


首元に浮かび上がっているのは、鱗だった。彼は苦しそうな表情をして、首をさする。


「痛い……どうしたらいいんだ……助けて誰か……助けて……」


そして、景色がグルンと一転。

真っ赤な夕日の中、怯える母親に向かって爪を伸ばす翔……だったものの、影。ソレは泣きながら叫んだ。


「殺したくない! 殺したくない! 誰か――止めて! 誰か殺して――!」


そうして――ソレの背後では、サイドテールの少女が剣を振り上げていた。




――は、と俺は目覚める。

不思議な夢だった。気付けば、足の痛みはなくなっている。

あの夢がどこまで本当かはわからない。けれど――……


「……」


まだ部屋は真っ暗。

冷えた空気がシンと静まり返っている。身体を捻って枕元のスマートフォンを見れば、時刻は夜中の二時。俺はスマートフォンをスリープさせると、再び目を閉じた。

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