症例2

 モスヘティアを訪れたのはもう二十年前の話です。ちょうど二十歳になりますね。当時は海外経験もなかったのですが、友人が誘ってくれて四人で行きました。


 なぜパキアを選んだのか……もう記憶にないですが、初めて町の写真を見たとき、これぞ私の海外だと感じたことは覚えています。まぁ、洋風趣味ですよね。憧れていました。


 実際パキアは良い町でした。古い記憶ですから多少美化しているでしょうけど、とにかく沢山の写真を撮りました。


 カメラに映すことでそこが私のものになるような……私の人生になっていくような……そういう気がする時期だったんですよ。写真はほとんど消去しましたけど、いくつか額縁に残していましたよ。どこにあったかな。


 あぁ、モスヘティアの話でしたね。正直、現地の記憶はほとんど消えています。夢のせいとかではなくって、二十年前ですし、ただの通り道でしたから。


 海外で一人行動なんてしませんから、現実のモスヘティアと夢の町を混同することはないと思います。


 現実のモスヘティアの記憶と言えば、一つだけ。アクアパッツァを食べたんです。四人全員じゃありませんでした。一人、とくに仲の良かった子がいて、その子と二人で食べたんです。


 パキアは魚が有名で、モスヘティアにもお店がありました。モスヘティアは花屋さんが多いし菜園も盛んじゃないですか。そのお店もフェンネルを家庭栽培して料理に使っているんですって。お洒落ですよね。そのお店のことをやけに覚えていて。


 夢の話ですね。何というか……変なことはないんですよ。話しかけられるだけですし、内容も大したことなくて。最近は頻度も減ってきましたし。


 覚えている限り直近で見た夢のことを話しますね。


 花壇の縁に座っていました。時間はおぼろげなんですけれど、いつもぼやけた昼のような気がします。空は曇りなのに、町は明るいような。


 そこには色とりどりの花が咲いていました。種類までは分からないですけど、どれも見たことのあるような花でした。


「綺麗な花ですね」

 女性が話しかけてきました。顔も覚えていないけれど、若くて穏やかな近所の女性に似た空気でした。


「私が育てたんです」

 そう答えていました。もちろんモスヘティアで花を育てたことはありませんよ。勝手にそう答えているんです。花たち一つずつを眺めた女性は慈しむような笑顔を浮かべていて。私も嬉しくなりました。


 やがて彼女は顔を上げて、花壇の隅を指しました。

「この花、もう枯れてしまいそう」


 私はその指先を見て、黒い花を見ました。私はなぜだか、それはもとよりそういう花なのだと感じていて、返事ができません。女性はいつの間にか、両手でジョウロを持っていました。


「水をやりましょう」


 そこで目が開きました。朝ご飯を作らないといけないのでキッチンに行って、そのあと息子を起こしたんです。


 そのとき、あの子の飼っているクワガタムシと目が合いました。もちろん籠の中ですよ。黒くて見えないはずの、まん丸の目が見ていたんです。


 そこで、最近虫かごの餌が減っていないことを思い出しました。確か数日前から気がついていたんですけれど……忙しくて言い忘れていました。


 息子が何か調べて、餌を取り替えたらすぐ元通りです。最初はどこにでもいるような虫だと思っていたんですけどね。今では虫かごに私の摘んだ花を入れてみたり。意外と似合いますよ。あとは匂いさえどうにかなればいいんですが。


 あぁ、言っていませんでしたね。ガーデニングが趣味なんです。あとで庭を見ていってくださいよ。


 まぁ、これは明らかに夢の影響ですけれど、操られているとか、そういう気はしません。庭に来る虫が増えて、夫も生き生きしていますし、今ではしょっちゅう息子と一緒に観察しています。


 今の夢は先週くらいに見たものです。その前は先月でしたね。旅行から時間が経つごとに、頻度が減っている気はしています。


 でも十年くらい前……ちょうど息子が生まれたくらいですね、その時は毎日のように夢を見ていました。


 色々なことを話して、試して、とても忙しかったですね。一つ一つ向き合っているうちに、いつの間にか、いつの間にか落ち着いていました。


 私にとってモスヘティアは、休憩所だったり停留所だったり、忙しいときに少し顔を出せるような場所でした。こちらの生活が落ち着いて向こうに行くことは減りましたが、私のどこかにずっとある気がします。


 そこには既存のものが何もなくて、知っているものが何もないんです。いっときだけ別の世界に行けるというか……この世界にありながら、誰もいない隙間のスペース。そこで自分なりに結論をつけて、こっちに戻ってくるんです。



 以上が2つ目の叙述である。ここまでで、かなり夢の内容や現実への影響に共通点が見えてくる。しかしここで、これまでの記述と相反する印象をもつ3つ目の例を紹介したい。


 こちらは今回の執筆に協力していただいた複数人の中で唯一、相手から連絡をもらって話していただいた内容である。掲載許可は出ているものの、以降の連絡がつかず、私としてもどうしていいか分からないが、彼の強い意思に従って紹介させていただく。

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