恋とデータの不確定性原理

プロローグ：あなたの理性、もう少し誤作動してくれない？

　冷たい蛍光灯の下で、世界はいつも二つに分かれて見えた。

　画面の向こう側に並ぶ数字と、スクリーンから漏れる光の先にある湿った現実。どちらが真実かを決めるのは――本来ならデータだ。確率、相関、標準偏差。因果を示すきれいな線と、再現可能な実験手順。秩序はその中にしか生まれない。

　相葉陽太は、それを信じていた。

　データは嘘をつかない。感情はノイズだ。だから人は間違う。だから世界を正しくするためには、測定と数式が必要だ。

　彼の机の上には、解析結果のプリントと未読のコード、そしていつも冷めかけのコーヒーが置かれている。彼の胸の鼓動はログとして記録できるが、鼓動そのものを説明する数式はまだ誰も持っていない。

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　一方で――高橋美咲は、陽太のその論理を嘲るように笑った。

　彼女の言葉は乱暴で速く、脈絡よりも熱量を選んだ。泣くことも怒ることも、誰かを引き止めるための戦術になる。数字に還元できない嘘や裏切りを抱えた過去を持ちながらも、彼女は自分の感情に向き合うことを恐れなかった。

　彼女にとって、心は測られるものではなく、使うものだった。

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　ある日、二人は同じ車両に乗った。

　共同ミッションのための二泊三日。社内のロジックは――確率17.3%、相性最悪と評したが、確率は人を縛るための言葉に過ぎない。見知らぬ地方都市へ向かう新幹線の窓に、夕陽が引き伸ばされて映る。

　紙が何枚か床に落ち、指が触れ合ったとき、世界の計測がほんの少し狂った。

　その瞬間、陽太はメモアプリを開き、冷静な数値を並べた。心拍132、体温+1.8℃、呼吸波にノイズ。だがその数字は、彼の胸の内で叫ぶ声を消せなかった。

　美咲は「なかったことにしよう」と言うが、彼女の手の震えは否定より雄弁だ。

　◆

　観測者は被観測者になり、測るという行為は、いつの間にか世界を書き換える。

　キスは事故だと説明する言葉は、どれも薄い。理論は脆く、身体は正直だ。誤作動は、ただの障害ではない。心が動くためのスイッチかもしれない。

　もしあなたがこれを読んでいるなら、今がその瞬間だ。

　ページをめくるたびに、理性が静かに崩れ、ノイズが歌い出す。数式が示す不確実性と、胸を裂く確信のあいだで、何が正義で何が罪か――その境界を一緒に歩いてみないか。

　次のページで、僕は宣告するだろう。

「――結論から言うと、この恋愛は失敗します」

　それでも、あなたは読み進める。

　そうでしょ？