・「飲る」の真似
「やる」を漢字で書くことはできるだろうか。
辞書的には「遣る」が正解となる。
『広辞苑 第七版』によると「その場の勢い・なりゆきにまかせて他方へ行かせる」という意味があるようだが、現代でもっとも身近なのは「『行う』『する』のやや口語的な言い方」という使われ方だろう。
たとえば「今日は近くの公園でイベントをやっている」といった具合である。
どうやら「行る」という表記もできるようで、「おこなう」も「行う」と書くように、現代で使われる汎用的な「やる」を漢字表記する際は、実は「行る」が当てはめやすいのかもしれない。
そんな中、「飲る」と書いて「やる」と読ませる場合がある。
最近だと『町中華で飲ろうぜ』という番組名でも使われており、「飲ろうぜ」と書いて「やろうぜ」と読む。
つまり、「一杯やる」という言い回しにおける「やる」が「飲む」を意味しているため、そのまま「飲」という漢字を充てることで「やる」と読ませているのである。
これが非常に面白いので、他の「やる」でも採用できるのではないかと思い、いくつか考えてみることにする。
冒頭で提示した「イベントをやっている」の「やる」にふさわしい漢字は何だろうか。
それを突き止めるには「やる」を別の動詞に置換する必要がある。
これがたとえば「演劇」であれば「演る」という表記には見覚えがある。
「演る」と書いて「やる」と読ませるのは、業界では一般的であるように思う。
しかしイベントといっても演じる要素のあるものばかりではない。
「イベントをやる」の「やる」は「催す」を意味しているのではなかろうか。
つまり、「イベントをやる」は「イベントを催る」と書き表せると考えられる。
「ゲームをやる」ではどうだろうか。
ゲームは「遊ぶ」ものであるから、「ゲームを遊る」でも良さそうだ。
もしゲームを「操作する」もの、すなわち「操る」ものととらえるのであれば、「ゲームを操る」とも考えられる。
しかし「操る」では「あやつる」なのか「やる」なのか見た目で判別できないため、いっそ「操作る」と書いてしまっても良いのかもしれない。
「仕事をパソコンでやる」の場合の「やる」について考えてみる。
これこそ先ほどの「操作る」が使えそうな気がする。しかし、この場合、仕事の中身が重要になってくるように思う。
たとえば機械の操作をパソコンを介して行うのであれば「操作る」でも良いが、エクセルで資料を作る仕事であれば「操作る」は少し実状とずれているのではなかろうか。
その場合の「やる」は「作る」……いや、これだと「つくる」か「やる」か一目でわからないので、「作成る」がふさわしいだろう。
ただこれなら「作成る」ではなく「作る」で良いし、読みも「つくる」で良いのではないか。
わざわざ「作成る」と表記するのは、もう「恐喝る(ガジる)」とか「売捌す(トバす)」みたいな、『忍者と極道』のルビと同じ方向性になっている。
「表計算(エクセル)作成(ツク)ってええのか!?」じゃないんだよ。
こうして眺めてみると、「操作る」や「作成る」のような『忍者と極道』チックな表記法では「やる」と読ませづらいし、この場合は「あやつる」「つくる」とルビを振る方がまだ自然であるように感じる。
さらに「やる」を別の漢字で置き換える場合は、「飲る」「演る」のように漢字一文字にすべきで、かつ「作る」「操る」のような元の活用語尾が「る」である漢字の選択は避けるべきだとわかった。
これを踏まえて別の「やる」について考えてみる。
「あの店は今日もやっている」の「やる」は「営む」なので「あの店は今日も営っている」。
「NHKでニュースをやっている」の「やる」は「報じる」なので「NHKでニュースを報っている」。
「彼がガイドをやるらしい」の「やる」は「務める」なので「彼がガイドを務るらしい」。
どうやらだいぶ慣れてきたようだ。この調子ならさまざまな「やる」を量産できそうである。
次の例文はどうだろうか。
「朝起きて、まず洗濯をやる」
この場合の「やる」はもちろん「洗う」なので「洗る」に置き換えると、
「朝起きて、まず洗濯を洗る」
果たしてそうだろうか?
これだと「洗濯」を「洗う」ように思えてしまう。「洗う」対象は「服」などであり、ここでの「やる」対象は「洗濯」という行為そのものである。
であれば、「洗濯を遣る」や「洗濯を行る」になるが、「洗る」を用いるならどうすべきか。
この場合、「朝起きて、まず服を洗る」とするのが「洗る」の正しい使い方となる。
しかし、「服をやる」という言い回しでは何をするのか全く伝わらない。
これでは『「服を洗う」で伝わります』という画像リプを投げられてしまうだろう。
思えば発端である「飲る」は非常に特殊と言える。
「一杯やる」という言い回し自体が広く浸透しており、シチュエーション次第では「やってく?」だけで「飲みに行く?」という意味だと理解できる。
服を洗濯する場合に「一着やる」などとは言わないし、ましてや仕事帰りにコインランドリーの前を通りがかったときに「やってく?」と同僚を誘ってスーツを洗うような人間はいないのである。
しかし、もしそのようなシチュエーションで「やってく?」というのであれば「洗ってく?」とか「濯ってく?」になるのであろう。
と、深く考えるとどこまでも掘り進めそうなのでこの辺りにしておこうと思う。
「やる」が口語的であること、「やる」が「する」より発話者の意志を伴っていることなど、関わってきそうな要素も多岐にわたる。
この連載も「書く」では荷が重いのでタイトルを「記す」にしたのだが、「記す」ではなく「記る」くらいのカジュアルさでも良いのかもしれない。
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