第8話 燃え尽きてなお……

 露天風呂に残されたのは、異様な静けさだった。

 さきほどまで轟音と炎に包まれていた『火蜥蜴サラマンダーの湯』は、今では何事もなかったかのように静まり返っている。

 湯面はわずかに揺れ、白い蒸気が立ち上るだけだ。


 ローデンの姿は、どこにもない。


「……」


 ルピナは、その場から一歩も動けずにいた。

 手には、ずしりと重いローデンの衣服。

 さっきまで確かに人の体温が残っていたそれは、今もまだ妙に温かい。


 周囲を見渡す。


 客たちは呆然と立ち尽くしている。

 ヴェルナの撮影スタッフらも、声も出せずにいる。

 ヴェルナだけが、眉間に深い皺を寄せて腕を組んでいた。


「……ねぇ。何やってるのよ、あんたのとこの社長」


 苛立ちを隠しもしない声音。


「公共の温泉で、裸の老人がマグマに飛び込むとか……放送コードって言葉、知ってる? トリックだって、リアルすぎると視聴者のトラウマになったりするのよ」


 ヴェルナは、今のはあくまでもトリックだと思っているようだ。

 それに対して、ルピナは返事ができない。

 喉が、完全に塞がっていた。


「……ねぇ、トリックよね?」


 ヴェルナの問いに、誰も答えない。


 ルピナは、ぎゅっと衣服を握りしめた。

 その時――


 ドクン。


 手の中で、何かが強く脈打った。


「……へ?」


 気のせいではない。

 服の内側から、生温かい熱と共に、規則正しいリズムが伝わってくる。


 ドクン、ドクン、グチュ……


「ひいいいいいいっ!」


 ルピナは悲鳴を上げ、反射的に衣服を放り投げた。

 べチャッ、と地面に落ちた服の山。

 それは生き物のように蠢いている。


「ちょ、ちょっと何なのそれ!?」


 ヴェルナが顔面蒼白で後ずさる。


「知らない知らない知らない!?」


 ルピナも負けじと下がる。


「何で動いているのよ、それ!」

「わかんないです。私のじゃないですから!」


 二人は顔を見合わせ、もう一度服に目を向けた瞬間――


 ぐじゅり……


 生々しい音を立てて、服が一回り膨らんだ。


「キモイキモイキモイ! 無理無理無理!」

「何なのよこれ! 呪い!? 呪いの服!?」


 抱き合って叫ぶ二人。

 客たちがざわめく。

 誰もが服からそっと距離を取る。

 そして――


 服が、大きく跳ねた。


「……うむ、満点の出来と言っても差し支えないだろう」


 聞き覚えのある声。

 膨らみ続ける服が、徐々に人の形へと成っていく。


 気が付けば、そこに立っていたのは――


「……先生?」


 ローデンだった。

 完璧な身だしなみで。

 燃え尽きたはずのマントも、何故か身に付けている。


「良い画は撮れたかい、ルピナ君。これが身一つで出来ることだよ」


「良い画じゃないですよ! 何やってるんですか先生ぇぇぇ!!」


 ルピナの叫びが、温泉街に響き渡った。

 予想外の剣幕に、たじろぐローデン。


「やり過ぎだったかな? でも、ヴェルナ君に負けない注目だったろう」


「負けないどころかドン引きでしたよ!」


 ローデンは首を傾げ、困ったように笑う。


「いや、しかし。驚きの復活劇で……」


「この上ないほどに気持ち悪かったです!」


「そ、そうは言うが、復活と同時に服を着るのは、これが結構難しくてだね。服のいい位置に事前に外しておいた心臓をだね……」


「そういう問題じゃないんです!」


 ルピナは涙目で指を突きつける。


「そういうのは! 宴会の席だけにしてください!」


 何を言っても怒声で返される様子に、ようやくローデンも察したようだ。


「……すまなかった」


「はぁ……」


 ルピナの口から盛大なため息が漏れる。

 でもそれは、ヴェルナの口からも同時だった。


「何かもういいわ、何もかも」


 肩を落とし、こめかみを押さえるヴェルナ。


「勝ち負けとか、映像の格とか……全部どうでもいい」


 ローデンを見る。


「この社長にして、この社員ありなのね。本当に頭おかしいわ」


「よく言われるよ」

「一緒にしないで欲しいんですけど」


 誇らしげなローデンと、勘弁して欲しいルピナが同時に返す。

 そんなルピナだが、何だかふっと力が抜けた気がする。


 さっきまでの悔しさも。

 嫉妬も。

 劣等感も。

 全部、どうでもよくなってしまった。


「撮影、終わりですね」


 小さく呟く。


「そうだね。十分すぎるほどだ」


 ローデンは満足そうに頷いた。


「さっきのは編集でばっさりカットしますからね」


「えぇ!? 私の努力は?」


 ローデンの言葉が虚しく響き渡る。


 こうして、勝負は。

 勝敗のつかないまま、うやむやに終わった。


  §


 撤収の時間。

 荷物をまとめる中、ヴェルナがふと立ち止まった。


「ねぇ、ルピナ」


「……何ですか」


「次に会った時は」


 振り返らずに言う。


「圧倒的な映像で、打ちのめしてやるから」


 ルピナは一瞬だけ迷い、肩をすくめた。


「勝手にしてください」


 そして、淡々と続ける。


「もう会うことも、ないでしょうし」


 ヴェルナは鼻で笑った。


「それ、フラグってやつじゃない?」


「知りません」


 背を向け、それぞれの道を歩き出す。


  §


 撤収作業を終えたルピナは、ローデンの元へと向かう。


「……先生」


「なんだい?」


「何で毎回こんな大変な撮影になるんでしょうかね」


「真面目に仕事に向き合っている結果さ。我々の努力という対価が、素晴らしい画となって還元されてきているのだからね」


「ヴェルナはそんな苦労してなさそうでしたよ。爆弾と一緒に打ち上げられたり。歴史的建造物を再起不能にしたり。同僚が焼身自殺したり……。ウチももう少し普通の撮影ができないものですかね」


 ローデンは少し考え――


「善処しよう」


 曖昧に笑った。


 温泉街に、夕暮れの光が差し込む。

 騒がしく、馬鹿馬鹿しく、でも何かを掴んだ気がする。


 ルピナは大きく身体を伸ばしてから、前を向いた。


 撮りたいものは、まだ分からない。

 だが、撮る意味なら少しだけ見えた気がした。


 とりあえず、ローデンのような馬鹿みたいな注目のされ方はやめよう。

 そう、強く思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る