裏京都異聞録

kuroe

 その夏は、探検ごっこがブームだった。


 廃校になった小学校や、廃トンネル。閉鎖された診療所。古い防空壕や、川のヌシがいるという大きな沼。


 二つの山に囲まれたそこそこの田舎だけあって、探検する場所には困らなかった。


 探検隊のメンバーは、年齢としの近いAとB。


 ある日、おれたちは地元の人間ならだれでも知っている、とある集落跡に忍びこんだ。四方を高い柵に囲まれた、カルト教団のアジトだと噂される場所だ。


 夏休みも終わりに近づいたころで、最後に三人で思い出をつくるための、ちょっとした肝試しのつもりだった。


 晩御飯を急いで食べ、こっそり家を抜け出して森の入り口に集合する。


 田舎の夜は真っ暗だ。鬱蒼うっそうと茂る原生林に一歩踏みこむと、月明かりさえも届かなくなる。


 山道を登る途中、Aは怖くなったのか、「もう帰ろうよお」と何度も泣きべそをかいた。


 だが、おれとBは耳を貸さなかった。家から持ち出した懐中電灯を振り振り、競い合うように進んでいく。夏休み最後の冒険というスリルと興奮が、おれたちを突き動かしていた。


 四十分ほど歩くと、ようやく柵が見えてきた。


 柵は想像以上に頑丈なもので、高さは二メートル近い。金網には、紙垂しでのような白い紙がからまっていて、大小さまざまな鈴がぶら下がっている。


「これ、どうする? 道具とか取ってきて、ぶち破れねえかな」


 強気な言葉とは裏腹に、Bが声を震わせながら言った。


「時間がもったいないだろ。登るしかねえ」


 おれも震える手をギュッと押さえつけると、強がりを言った。


 Bが先に柵をよじ登った。次はおれ。それから二人で手を貸して、小柄なAを柵の上まで引っ張り上げた。


 柵を乗り越えた瞬間、背筋にぞっと冷たいものを感じた。


 まるで、その場の空気が一変したような。じっとりと湿ったものが、全身にまとわりついてくるような。


 それ以上、足を踏み出すのを躊躇させるなにかが、その場に横溢おういつしていた。


 おれたち三人は、そろって顔を見合わせた。


 だが、背後は高さ二メートルの柵だ。今はとにかく、先へ進むしかない。


 さらに二、三十分ほど歩いたところで、前方に奇妙なものを発見した。


 木造の古びた、なんだか怪しげなほこらだ。周囲には、古い樫の木が六本立っており、ロープのように注連縄しめなわが張り巡らされている。


 六角形に区切られた空間には、なぜかそこだけ、月の光が差しこんでいた。それがますます、外部からの侵入を拒むような、近寄りがたい雰囲気をかもし出している。


 神様の土地。


 ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。


 いつのまにか、あたりはしんと静まり返っていた。虫がさざめく声や、風で木の葉が揺れる音もぴたりとやんでいる。


 さすがのおれたちも、だんだん気味が悪くなってきた。


 これは本当に、ヤバいところに来ちまったかもしれない。カルト教団とか、そういうのよりずっと、の場所なんじゃないか。


 今さらながらそう後悔しはじめたとき、Aがおれのタンクトップのすそをつかみ、か細い声で言った。


「ねえ、■■。もう帰ろう?」


 昔から病弱なAは、学年が二つ下なこともあり、おれにとって妹のような存在だった。怖がりのくせに、いつもどこかへ出かけるたび、後ろにくっついてきたものだ。


 そんなAに上目づかいに見つめられ、さすがのおれも、決心が揺らぐのを感じた。


「それに夏休みの宿題、まだでしょ」

「げっ、今それを言うかよ」


 おれの反応を見て、今にも泣きそうな顔をしていたAがにっこり笑う。


「わたしが手伝ってあげるから。……ね?」

「ったく、しゃーねえ。そういうことなら、帰るか。Bもいいよな?」


 首をひねって、Bに声をかける。


 この探検の言い出しっぺはBだった。だがBだって、そろそろ家に帰るきっかけを欲していたはずだ。


 それにこの男も、宿題の山にほとんど手をつけていないのは毎年のことである。


 ところが、Bは返事をしなかった。


 おれとAをじろじろ見比べていたが、不意にムスッとした顔をすると、無言で歩き出した。


 あの祠のほうへ。


「おい、B。やめとけって」

「へっ、腰抜けかよ。こんなの、怖くもなんともねえ。おれはあの祠、調べるまで帰らないからな」


 Bは注連縄をひょいとまたぐと、ずかずかと祠に近づいていく。


 おれもBがなにをやらかすのか不安になって、六角形の領域に踏みこんだ。Aも遅れて、小走りに後をついてくる。


 祠はかなり古いもののようで、風雨にさらされ、あちこち傷んでいた。側面の羽目板には、赤い染料を使って、家紋のような印がびっしりと描きこまれている。


 正面には観音開きの扉がついていたが、パズルのような形の掛け金がかかっており、簡単には開けられそうにない。


「なあ、B――」

「うるせえ。少し黙ってろ」


 Bは躍起になって、掛け金をガチャガチャいじくり回していたが、ふと手をとめた。


「よっしゃ、開いたぞ! これだけ厳重に封印されてるんだ。中にお宝があったりしてな」


 Bが興奮して扉を開く。おれもAも怖さより好奇心が上回って、後ろからのぞきこんだ。


 目に入ったのは、狭い空間の四隅に置かれた、ペットボトルほどのサイズの変なつぼ


 その中央には、マッチ棒のように先端が赤く塗られた棒が六本、こんな形に並べられていた。


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 どことなく、体をくねらせ、地面を這い進む蛇を思わせる形。


 たしかに不気味ではある。だが、想像していたものとは全然ちがったせいか、おれもBも肩すかしを食らったような気分になった。


 てっきり古い時代の鏡とか、翡翠ひすい勾玉まがたまみたいなものが出てくると思っていたのだ。


「なんだこれ。祠って、ご神体とかをまつってるんじゃないのか?」

「お宝かと思ったのに、しけてんなあ。ここまで来てマッチ棒かよ」


 Bはつまらなそうに言うと、指先でマッチ棒をつつきはじめる。


 そのとき、人形のように黙りこくっていたAが、急に叫んだ。


「――ダメっ!」

「え?」

「そのを壊しちゃダメぇ!」


 だが、遅かった。


 Bの手から、マッチ棒が一本、ポトリと落ちる。手汗で湿った指先に、棒がくっついてしまったらしい。


 そのときだ。


 チリンチリン! チリンチリン!


 おれたちが来た方向とは反対側から、鈴がものすごい勢いで鳴る音が聞こえてきた。


 おれもBもわっと声を上げ、祠から離れた。Aは力が抜けたように、その場にへたりこむ。


「くそ、おどかしやがって!」


 Bが懐中電灯をかかげ、鈴の音が聞こえたほうを照らす。


 その瞬間、おれは見た。


 いや、。木のかげから女が一人、様子をうかがっているのを。


 女は首を傾け、能面のような無表情でこっちを見ている。


 顔以外の部分は、影になっていてよく見えない。だが、その気配が明らかに――人のものでないのはわかる。


 爬虫類を思わせる縦長の瞳が、懐中電灯の光を浴びてギラリと光った。


「うわあ! 化け物だッ!」

「いやあああっ!」


 Bが懐中電灯を取り落とし、尻もちをついた。Aも絹を裂くような悲鳴をあげる。


 Bはどうにか立ち上がると、Aの腕をつかみ、引きずるようにして駆け出した。そのとき、Aの体がぶつかり、おれはバランスを崩してしまった。


 動けない。


 立ち上がることさえできない。


 まるで、金縛りにあったかのようだ。


 だが、それは恐怖のせいではなかった。自分でもよくわからない、未知の感情がおれをその場に縫い留めていた。


 女は木のかげに隠れたまま、妖艶ようえんな笑みを浮かべ、おれを見つめている。その肌は月の光を吸ったように白く、唇は流れたばかりの血のように赤い。


 女がすべるように一歩踏み出し、その上半身をあらわにした。


 巫女さんが着るような、白衣びゃくえ千早ちはやという格好。オレンジ色の飾り紐が、夜風にはらりと揺れる。


 左右の袖口からは、ほっそりした腕が二本――さらに、そこにあるはずのないが、観音像のように神々しく、そしてどこか禍々しく、背中のあたりから生えていた。


 異形。


 人ならざるもの。


 それを目にしてなお――


「綺麗だ……」


 知らず知らず、言葉が口から出ていた。


 女が一瞬、動きをとめて立ちすくむ。やがてくすりと笑うと、その全身をぬらりとあらわした。


『これでもかえ?』


 玉を転がすような、しかし冷たく、恐ろしい声。


 木のかげから現れたのは、月光にてらてら光る、大蛇おろちの胴体だった。


 六臂ろっぴの上半身に、大蛇の下半身。あまりにも異様な姿なり


 だが、おれはますます熱に浮かされたように、こうつぶやいた。


 ああ、すごく綺麗だ――と。


 半人半蛇はんじんはんだの女が、ほうっと息を呑む。その濡れた唇が、にいっと笑みの形にゆがんだ。


 しゃりん――しゃりん――


 女が長い尾を引きずりながら、こちらに近づいてくる。しゃらしゃらと鳴る音は、女が首から下げている、古びた鈴の音色ねいろだった。


 大蛇の尾はとぐろを巻くと、幾重いくえもの太い輪となって、おれを締めつける。


 だが、不思議と痛くも苦しくもなかった。まるで母親のかいなに抱かれているような、無条件の安らぎさえ覚えた。


 ぴと。


 ぴと。


 ぴと。ぴと。ぴと。ぴと。


 ひんやりと冷たい手が六本、おれの首にからみつく。


『馬鹿な子』


 月明かりに輝くくれないの瞳が、どこかうれしそうに細められ――


 そこで、おれの記憶は終わっている。

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