渋柿探偵 高峰修二

第1話 薄明の探偵

朝の光が、事務所のすりガラスを淡く染めていた。

 「探偵・高峰修二」と書かれた看板は、もう色あせていて、半分は錆びついている。

 今日も依頼は、ない。

 コーヒーの代わりに安いインスタントをすすりながら、高峰は机の上の封筒を見つめていた。

 一通の請求書。電気代。支払い期限は昨日だった。


 落ちこぼれ探偵。

 そう言われて久しい。

 もともと警察にいたが、ちょっとしたミスで上司を怒らせ、辞職。探偵として独立したものの、浮気調査や猫探しばかり。誰も「事件」を任せてはくれなかった。


 そんなとき、ドアが開いた。

 入ってきたのは小学生くらいの女の子。

 くたびれたランドセルを背負い、両手で封筒を抱えていた。


 「……ここ、探偵さんですか?」

 「一応な」

 「これ、見てください」


 差し出された封筒には、丸い字でこう書かれていた。

 『あなたの秘密を知っています。明日までに500万円を公園のベンチの下に置け』


 高峰は眉をひそめた。

 「君の家に届いたのか?」

 「うん。お母さんがすごく怖がってて……でも、お金ないから……」

 「警察には?」

 「行ったけど、『イタズラかもしれませんね』って」


 高峰は机の引き出しを閉め、立ち上がった。

 「分かった。ちょっと、散歩に行こうか」



 夕暮れ、公園のベンチ。

 風に落ち葉が舞う。高峰はベンチの影にしゃがみこみ、小さな黒い袋を置いた。中身は新聞紙を丸めたもの。

 「囮(おとり)だ。これで様子を見る」

 物陰に隠れて見張ること一時間。


 やがて、公園の入り口から一人の男が現れた。

 作業着姿、帽子を深くかぶっている。

 男は辺りを見回し、ベンチの下に手を伸ばした。


 「動くな」


 声をかけた瞬間、男は逃げ出した。

 高峰も反射的に追いかける――だが、足がもつれ、見事に転んだ。

 「いってぇ……!」

 痛む膝を押さえながら立ち上がると、男はすでに角を曲がって消えていた。


 落ちこぼれのままだ。

 そう自嘲したとき、ふと地面に光るものを見つけた。

 銀色のライター。作業着のポケットから落としたのだろう。

 刻まれた名前を見て、彼の胸がざわついた。


 ――「藤原工務店」


 それは、依頼人の母親が勤めている会社だった。



 翌朝。

 高峰は工務店に足を運んだ。

 事務所には、疲れた顔の中年男性が一人。社長の藤原だ。


 「藤原さん、少しお話を」

 「……なんだね?」

 「あなた、昨日、公園にいましたね」


 男の顔が凍りついた。

 「なぜ、そんなことを……」

 「このライターを落とした。あんたのだ」


 藤原は、深くため息をついた。

 「……悪いのは私だ」

 「どういうことです?」


 「彼女――君の依頼人の母親に、金を貸していたんだ。返せないからって泣くもんでな……つい、脅かせば払うかと思って。脅迫なんて、初めてだ」


 高峰は黙って聞いた。

 やがて、静かに言った。

 「今から、一緒に警察へ行きましょう」



 事件が解決したあと、母親は何度も頭を下げた。

 少女は、ぎこちなく笑って言った。

 「探偵さん、ありがとう。ほんとのヒーローみたい」


 高峰は首をかしげた。

 「俺はヒーローなんかじゃないさ。転んでばっかりだ」

 「でも、ちゃんと捕まえたもん」


 少女が帰っていったあと、事務所に残ったのは夕暮れの光だけ。

 錆びた看板が、少しだけ金色に輝いて見えた。


 ――落ちこぼれでも、まだ終わっちゃいない。


 高峰は、新しいコーヒーを淹れ直した。

 今度は、少しだけいい豆を使って。

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