第8話





「おかえり!」




 部屋に入ると、すぐに庭先から声を掛けられた。


 周瑜は目を瞬かせる。


「……うん……ただいま。……伯符はくふどうしたんだ? そんなとこで」


「お前の帰り、待ってたんだよ」


 眼で、問いかけて来る。


「周瑜ごめん!」


 孫策は夕暮れの庭先で、もう一度頭を下げた。


「お前がいない間、毎日あそこの川、探したんだけど、笛は見つけられなかった……。

 母親の形見を捨てられるなんて俺なら絶対ムカつくし、腹が立つし、落ち込むと思う……。

 でも、ごめん! 許してくれ!

 こんなこと、二度としないって約束する!」


 周瑜は孫策の側まで歩いて来た。


「気が済まねえって言うなら、一発思いっきり俺を殴っていいぞ。

 お前、この前俺に謝ったけど、今回のことでお前が俺に謝らなきゃなんねえ理由、やっぱどう考えても少しも無いぜ。

 全部、俺が悪かったんだ。

 頼む! 水に流してほしい!」


「……それを言うために私を待ってたのか?」


「母上に言われたんだよ。親父が戦で死ぬことも、ちゃんと考えたことがあるかって。

 俺は正直、考えたことが全くなかった。

 おかしいよな。孫家は武門で、親父は今までもいろんな場所に行って、色んな戦いをして来たのに、親父が負けて死ぬなんて、俺は少しも想像してなかった」


「……とても強いひとだからね」


 周瑜が言う。

 孫策は頷いた。


「でもそれとこれと何の関係が?」


「それはつまり……、一日一日を、無駄にすんなってことだな!」


 孫策は青灰色せいかいしょくの瞳を輝かせる。


「こういう時代だから、不測の事態が起こることはいつでもある。

 だから、いつも後悔せずにいろってさ。

 親父が出陣する時は必ず見送って、

 お前とも、喧嘩で一日費やすよりも今まで通り競い合って、楽しく費やした方が、同じ一日でもずっといい。

 だから……その……」


「うん」


 不意に気恥ずかしくなって俯いた孫策を、周瑜は優しい表情で見遣った。


「ごめん、伯符」


「ん?」


「君が、そんなに笛を探していてくれたなんて知らなくて。

 言っておけばよかったな」


 周瑜は言って、懐から笛を出した。


 それは孫策が投げ捨ててしまった、あの笛だった。


「あれっ⁉ おまえ、それ……」


「実はあの夜、あの後気になって、川に行ってみたんだ。

 月が明るかったし、見えるかなと思って。

 今は雨の少ない時期だし、川が荒れてないなら絶対川底にあると思った。

 案の定、見つけられたよ」


 周瑜は笛に唇を触れさせ、軽く吹いてみた。


 流して吹いた音でも、背筋がぞわぞわするほど澄み切った、美しい音だ。

 周瑜は顔を上げ、微笑んだ。


「音も大丈夫。箱に入っていたから、運よく水が入らなったんだ」


 孫策はそこに尻もちをつく。


「なんだ~~~~~~~……よかった……! 俺てっきり、もっと下流まで流されたんじゃないかって思ってさ……」


 要するに孫策は周瑜が回収した後、ずっと探し回ってたということだ。


 安堵して、そこにしゃがみ込んだ孫策を、周瑜は優しい表情で見下ろす。


 無駄足を踏ませるなと怒られるかと思ったのに、孫策は怒らなかった。

 笛が見つかったことを、心の底から安堵してくれてるのが伝わってくる。

 周瑜は庭先に下りて、座り込んだ孫策の前に、しゃがみ込んだ。


「ごめん。もっと早く言っていれば良かった」


「まぁそうだけど。お前本家の用事だったんだし、仕方ない。見つかったならいいんだよ。俺、すげー気になってたから……」


「探してくれて、ありがとう伯符」


 顔を上げると、周瑜が夕暮れの陽射しの中で、微笑んでいる。

 優しい、綺麗な笑顔に孫策は一瞬見蕩れた。


「私と仲直りしてくれるか?」


 笑いかけられて、夕暮れで良かったと、孫策は思う。

 じゃないと今、顔が赤いことが周瑜にばれたはずだ。


「うん。俺も、ごめんな。周瑜」


「いいんだ」


「うん」


「今から夕食なんだ。折角だから、一緒に食べて行くか?」


「うん」


 よし、じゃあ行こう、と周瑜が立ち上がり、孫策に手を貸して引っ張り上げる。


 孫策は胸の辺りを摩った。


「あ~~~~……なんかお前とぎこちなくなるの嫌だ。どうも落ち着かなくなる。

 もう二度とこんなことしたくねえ……」


 そんな風に呟くと「わたしもだ」と周瑜も吹き出して笑った。



◇    ◇    ◇



 笛の音が聞こえて来た。


 周瑜ではない。


 修錬場を覗くと、孫策と周瑜が一緒にいて、孫策が笛を聞かせてやっているようだった。


 吹き終わると側で兎を抱え、聞いていた周瑜が明るい声で孫策を誉めた。


「とても上手くなったんだな、伯符。すごいよ」


「へへ……ほら、武門と言えども一つくらい雅な嗜みがないと駄目だからな。

 一曲だけだけど……全然吹けないよりはいいかなぁって」


 うん、と周瑜が頷いている。


「そりゃ、お前に比べれば下手だけどさ」


「そんなことはない。上手だよ」

「おだてるなよ。俺は調子にすぐ乗る」

 周瑜が笑った。

 抱えていた子兎を撫でてやる。

「この兎の足の手当ても、君がしたんだろう? ちゃんと出来てるよ。傷はもう治ってる。

 あとはしばらく庭にでも放っておけば、元通り走れるようになると思うよ」


「そうか! お前が前に猫の足手当してやってたの見てたから、もう見様見真似でやってみたんだ」


「偉いな。全部ちゃんと出来てる。孫策に見つけてもらって、良かったな」


「山に返して俺が狩り取ったら嫌だから、屋敷で飼ってもいいかな? れいがなんか飼いたいって言ってるんだよ」


 周瑜は頷く。


「じゃあ、怪我が治ったら妹君に贈ってあげたら?」


 籠に戻すと、兎は籠からひょこ、と顔を出し耳をふくふくと動かしている。


「こいつの世話してたらさ、黎の『遊んでくれ』攻撃も少し止むかと思って」


 なるほど、そういう策なのか。

 周瑜は笑った。

 自分の笛を取り出す。


「一緒に吹いてみるか」


「俺お前ほど上手くねーぞ」


「一緒に吹いてみたいだけだ」


 くすくすと周瑜が笑い、軽く指を動かす。


「君は今の曲をもう一度吹いてくれ。私が合わせるから」


「ん。分かった」


 

 孫策が吹き始めると、周瑜は静かに旋律を合わせ始める。


 孫堅は吹いている二人を眺めながら、修錬場の入り口に凭れかかり、微笑ましそうに見ていたが、やがて静かにその場を後にした。


 さすがに合わせる周瑜の音は際立ったが、孫策も合わせやすいのだろう、さっきよりも音が伸び伸びと響いている。


 あの二人はそういうところがあるのだ、と彼は思った。



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