第3話 おとなの本気を見せてやる
金曜日、仕事を終えた俺と余田さんは、途中で富田さんを拾って宮沢さんの実家に向かった。運転するのは俺だ。
夜空は雲で埋め尽くされ、月も星も見えない。
「まさか余田氏も俺と同じ性指向とはね」
後部座席で腕組みをして富田さんがしみじみという。余田さんは前を見たまま静かに答えた。
「そういうわけじゃねえ。日野さんだからだ」
「わかりますよ。日野さんを見ていればね」
「どういう意味ですか」
ルームミラーを見やると、富田さんが安らいだ笑みを浮かべた。
「このかたね、業者のボクにさえも、丁寧に対応してくれたのですよ。メンテナンス業者なんて、透明人間みたいなもんじゃないですか。ああこれやっといて、なんて、顔も見ないで指示されるのが普通なんです。それなのに日野さんは、こちらが名刺を出したらすぐさま名刺を出してくれてね。帰りは出口まで送ってくれた。余田氏、いいかたとめぐり会いましたね」
余田さんが恥ずかしそうにさえぎった。
「やめろ。照れるじゃねえか」
三、四台のバイクが俺の車を追い越した。見るからに改造車だ。運転するのは、背中にびっしりと漢字を刺繍した服を着た若い男たちだ。二人乗りもいる。
余田さんが窓枠にひじを載せ、頬杖をついた。
「久しぶりにトップク着てる連中見たわ」
「トップクって何」
俺が質問すると、富田さんが丸メガネを鼻に乗せ直しながら答える。
「特攻服の略称です」
つまり、俺たちを狩る連中ということだろうか。俺の不安を余田さんが口にする。
「俺らの相手ってもしかして、あいつらか」
「その可能性は大いにありますね。高橋氏に連絡しましょう」
富田さんがスマホを左耳に当てて下を向くのがルームミラーで見えた。
「今、トップク着た連中が追い越しましたよ。恐らく今回のお相手は彼らでしょうね。あ、今から合流する。ありがたいです。ぜひお願いします」
案の定、さっきのバイクが俺たちの前に来た。
「後ろにもいやがる。はさみやがったな」
余田さんの声が戦闘モードに切り替わっている。
「どうやら何らかの方法でこの車を特定して、追いかけていたみたいですね。ま、こちらも彼らを追跡していましたから、おあいこですけども」
富田さんの軽妙な語り口に鋭さが加わる。
赤信号で停止した。前にいるバイクがウインカーを出す。いきなり運転席側のパワーウインドウがノックされた。俺が顔を向けると、金髪を逆立てた十六、七歳の少年が手を上下に動かしている。
「日野さん。開けてやって」
余田さんがいうので、俺は上三分の一ほどパワーウインドウを下げた。
金髪の少年がいった。
「左折して、運動公園に入れ」
わかった、と答えようとしても、恐怖で俺は声が出せない。代わりに答えたのが余田さんだった。
「わかったから先に行け」
信号が青に変わった。金髪の少年が先に発進する。俺はあわててウインカーを出して左折する。
よく見ると、俺の実家がある市の運動公園だ。中学時代、陸上競技部に所属していたので、練習や大会でよく利用した。
「入り口に一番近い場所に停めて」
余田さんのいうとおりに駐車する。
「日野さんはここから出るな。連中は俺が絶対にこの車には近づけねえ」
初めて見る余田さんが目の前にいた。眉間にしわをきざみ、両目は日本刀を思わせる鋭さを帯びている。
「何かあったらすぐに一一〇番してくださいね」
富田さんが丸メガネをはずす。彼の目もまた日本刀のようにぬらりと光っている。
俺は首を縦に振ることしかできない。
新たにワンボックスカーが駐車場に入ってきた。俺の車の隣に駐車する。降りて来たのは四人。糸目の男、顔も体も真四角の男、丸顔の男、そして、今どき珍しいリーゼントの男。
彼らと余田さん、富田さんの会話が聞こえる。運転席側のパワーウインドウを閉めていないことに今、気づいた。
「いいねえ、いいねえ! もとワル、勢ぞろいだな」
リーゼントが嬉しそうにいった。
「宮沢さん、お久しぶりです」
余田さんが頭を下げる。
「余田っち、今の会社、続いててえらいじゃん。俺んとこ就職してくれたのに、倒産してごめんな。そのぶん今日は暴れるぜ。令和のワルガキどもに、昭和の不良パワーを見せつけてやる」
「昭和のワルは宮沢さんだけでしょ。俺らは平成のワルですよ」
富田さんが冷静に突っ込む。
「さっそく始めるか」
糸目が両手の指を鳴らした。
「平井、一番左にいるガキを頼む」
「了解。高橋はどいつにする」
「一番ガタイのいいあいつだ。あの赤いトップク」
糸目は平井さん、顔も体も真四角の男は高橋さんというらしい。すると丸顔が羽鳥さんか。
「なにごちゃごちゃしゃべってんだよ」
一人だけ真っ赤な特攻服を着た少年がすごんだ。彼の他は全員、黒い特攻服を着ている。
「老害は黙れや。おとなしくあの世へ行っちまえ」
俺の車のパワーウインドウをノックした金髪が怒鳴る。
羽鳥さんが大声でいい返す。
「まだ俺らは二十代だ。老害じゃねえ。てめえらこそ調子乗ってんじゃねえぞ。おとなの本気を見せてやる」
余田さんたちが横一列に並んで少年たちに向かって歩いてゆき、立ち止まる。
「かかってこいや!」
宮沢さんが両腕を広げて叫んだ。
とたんに余田さんたちが動いた。少年たちも走る。入り乱れた。
俺は背中を丸めて小さくなり、フロントガラス越しに余田さんたちを見守る。
夜間照明の下、余田さんたちが戦う。怖い。出るなといわれなくても俺は車から出られなかっただろう。
余田さんの動きがはっきりと見えた。金髪と戦っている。身長は同じくらいだ。
金髪は立て続けに左右のパンチを打ち込む。余田さんは下がったり脇に出たりしながらよける。俺は大学生のときに居合を少し習っていた。だから打撃系格闘技の経験はない。その俺から見ても、金髪の攻撃は稚拙だった。けれどパンチは速い。
金髪が右腕を振りかぶる。危ない! 叫び出しそうになった俺が見ている前で、余田さんが金髪のみぞおちを右足の裏で蹴った。体勢を崩した金髪の顔面に余田さんの右上段突きが突き刺さる。金髪が倒れた。余田さんは金髪の襟をつかんで引き上げ、横っ面を拳で殴りつけた。金髪は失神したようだ。ぐったりしている。余田さんが金髪を投げ捨てた。
黒い特攻服の少年が一人、俺が隠れている車に向かって走る。走りながら仲間たちに叫んだ。
「おっさんどもの車、ぶっ壊すぞ! 帰れなくしてやる」
「そうはいかねえぞ!」
宮沢さんが少年たちが停めた改造バイクの一台に飛び乗り、エンジンをかけた。前輪を高く上げ、後輪だけで走りながら、さっき叫んだ少年を追いかける。
「オラオラ、テキはこっちだぜ!」
少年は足がもつれ、転んだ。宮沢さんは転んだ少年の前にバイクを停め、少年の胸もとをつかみ上げると、勢いよく頭突きを食らわせる。少年は膝から崩れ落ちた。
でも、まだ終わらなかった。鉄パイプを持つ少年二人が、俺の車に走ってくる。
俺は動けない。どうしよう。どうしよう。体が小刻みに震え、歯がかちかちいう。
少年二人の前に余田さんが立ちはだかった。
だめだ。鉄パイプで殴られたら、余田さん、死ぬかもしれない。
逃げろ。俺は余田さんに叫ぼうとした。でも声が出ない。恐怖で喉が詰まって言葉が出せない。
「てめえらの相手は車じゃねえ。俺だ!」
割れるような声でいって余田さんは、少年一人の頭に左上段蹴りを見舞った。下ろした左足を軸に、右上段蹴りも打ち込む。少年は駐車場に膝をつき、うつぶせに倒れた。
もう一人の少年が鉄パイプを振り上げる。
「ぶっ殺してやる!」
余田さん! やっぱり俺の声は出ない。車から出て余田さんをかばいたいのに、足がすくんで動けない。
逃げろ。逃げてくれ。俺は余田さんから目が離せない。
ところが鉄パイプは振り下ろされなかった。鉄パイプをもったまま、少年が膝をつき、頭を下げ、倒れる。
「危ないところだったな、余田ちゃん」
羽鳥さんが右手をぶらぶら振りながらいった。
「わりいな、羽鳥。助かったぜ」
「余田ちゃんから教わった手刀打ち、クリティカルヒットだぜ」
ああ。ようやく俺の喉から声が出た。
よかった。余田さん。よかった。羽鳥さん、ありがとう。
高橋さんが赤い特攻服の襟をつかんで投げ飛ばす。赤い特攻服がアスファルトで舗装された駐車場に背中から勢いよく落ちた。
宮沢さんの相手は、角材をふりかざす少年だ。宮沢さんは角材を奪い取り、少年の胸を突く。少年が尻もちをついた。
「だめだろう、ケンカは素手でやらなくちゃあ」
いって宮沢さんは角材を力いっぱいアスファルトに打ちつけ、折った。少年が立ち上がって宮沢さんにむしゃぶりつく。宮沢さんはあざやかに少年をぶん投げた。
富田さんはスマホを右手にかざしながら、同じくらいの背丈の少年の横っ腹を蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた少年の足を平井さんが払って転ばせる。羽鳥さんは倒した少年の胸ぐらをつかんで、いった。
「馬場がやれっていったんだろ」
富田さんがスマホを、羽鳥さんがつかまえた少年に向ける。
「正直にいったほうがいいですよ。一部始終撮影しましたから」
少年は周囲を見回す。仲間たちは全員、駐車場に伸びている。誰も助けてくれないとわかったのか、少年が情けない声で答えた。
「そうです。馬場さんからいわれてやっただけなんです。だから許してください」
ワルは基本、ぼっちなんだ。一人では何もできないビビりなんだ。余田さんがいったとおりのワルがそこにいた。
平井さんが少年の頭をひっぱたく。
「やったことには変わりねえだろうが。暴力は許されないんだよ」
自分のことを棚に上げた発言だが、どっちもどっちだと俺は思う。
「俺だって、先輩からついてこいっていわれて、ついてきただけなんです。俺は悪くない。やれっていったのは、先輩です」
「責任逃れすんな。馬場の電話番号いえ。直接聞くから」
宮沢さんが一喝した。少年が声を上げて泣き出す。
「勘弁してくれよ。馬場さんの電話番号なんて、俺、知らねえ」
「誰が知ってる」
ポケットに両手を入れて余田さんが少年を見下ろす。少年は泣きながら答えた。
「テツ先輩。赤いトップクの」
高橋さんが赤い特攻服の少年を引きずり起こした。伸びていただけで意識はあるらしい。高橋さんがいうと、少年はポケットからスマホを取り出し、画面を操作した。
馬場が出たらしい。俺には聞こえないが、余田さんたちが赤い特攻服の少年が差し出したスマホに向かって話している姿が見える。
余田さんたちが戻ってきた。少年たちは駐車場に座り込んだ、あるいは横たわったまま、動かない。
運転席側のパワーウインドウ越しに余田さんが笑う。俺は安心したあまり、ドアを開けて出て、余田さんと向かい合った。ほんとうは抱きつきたかったけれど、人前なのでがんばって自制する。
「出ちゃだめだっていっただろ」
優しくいわれ、俺は泣きそうになるのをこらえて笑った。
「もう大丈夫だから。怖い思いさせてごめんな」
余田さんが俺の両肩を両手のひらで包んでくれた。俺の目から涙があふれる。
「宮沢さんのワンボックスカーについてくぜ。俺、運転するよ」
余田さんが優しく俺の背中を押してくれた。余田さんが運転席に、俺が助手席に、富田さんが後部座席に座る。
下を向いて泣く俺に、富田さんがそっとポケットティッシュを差し出してくれた。ありがとうございますといって受け取ると、富田さんはどういたしましてといって小さくほほえんだ。
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