龍人の暴走と頭突きの制圧



独房で拘束されていた人間に擬態した龍人の女性は、扉を破壊して入ってきたゼノス(ヴァルザーク)を見た瞬間、理性を失ったかのように大声を上げた。


その声は、空気を震わせるほどの轟音だった。

龍人は、鉄の鎖を引き千切るほどの力で手足の枷を破壊すると、鋼のような爪を剥き出しにし、ゼノス目掛けて大振りに腕を振るった。


「ガアアアァ!」


爪が空気を切り裂く衝撃だけで、独房の壁や床には、削り取られたような深い溝が無数に刻まれた。

ゼノスは咄嗟に、防御魔力によるバリアを張ったが、その衝撃だけで上半身の服がビリビリに破れてしまった。


「おい、聖女さんよ。尋常な相手じゃない。さっさと逃げた方が良さそうだが?」


ゼノスは、背後にいる聖女に尋ねた。聖女の力があれば、この状況から脱出するのは容易なはずだ。

しかし、聖女は退かない。


「いいえ、ここで引き返しても意味がありません。あの方は苦しんでいらっしゃる。きっと、呪いや毒の影響で暴走しているのです。頑張って正気に戻してあげましょう」


(分かってたが、勇者使いの荒いな、この聖女はよぉ!)


ゼノスは心の中で愚痴を溢しながらも、聖女の指示に従い、対峙するしかなかった。

龍人は、両腕を振り上げ、「龍刃(りゅうじん)!」と叫びながら、さっきの大振りの引っ掻きを連続で行った。無数の斬撃が、バリアを張るゼノスに襲いかかってきた。


「チッ!」


ゼノスの防御バリアは、龍人の爪による物理的な衝撃波には簡単に崩されそうだった。ゼノスは、バリアを常に修復しつつ、体の予測能力を最大限に活かし、傾けたり、低く屈んだりして斬撃の直撃を避ける。


何度か、腕や足、頬や膝に爪で傷ができるが、致命傷ではない。


(バリアに頼りすぎるのは危険だ。だが、龍人に近づければ問題無い。なぜなら、触れた時点で封印の魔法で動きを封じれば良いのだから)


そう考え、ゼノスが龍人の正面に掌を伸ばし、一気に間合いを詰めようとした瞬間、龍人は大きく口を開き、炎のブレスを吐き出してきた。


「まずい!」


後ろには聖女がいる。避けることは、聖女を炎に晒すことを意味する。ゼノスは、全力の防御バリアを前方に展開し、炎のブレスを耐え続けた。

ゼノスは、炎に耐えながら、龍人を囲むようにバリアを生成し、一瞬で炎のブレスを龍人に跳ね返したが、龍人はバリアを爪の一振りで破壊した。


「やはり爪の攻撃にはバリアは弱い……。仕方ない、最後の手段だ」


ゼノスは、体勢を低くすると、周囲の重力に干渉する魔力を発動させた。


『重力吸引(グラビティ・プル)』


龍人を引き寄せるように、重力をゼノス自身に向けて操作し、同時に下方向へと強く引っ張った。龍人の巨体が、一瞬にしてバランスを崩し、ゼノスの方へと前のめりに引き寄せられた。


「ちっとは我慢してくれよ!」


ゼノスは、頭部に全魔力を集中させ、強固な防御バリアを張り巡らせると、頭突きで龍人の硬い頭の皮膚にぶつけた。


ゴツッッッ!!


ゼノスはバリアを張っているため無傷だが、龍人にとって、それは鋼鉄の壁にぶつかるよりも堅いバリアに、自らの勢いと共に突っ込むことになった。

龍人は、頭に激しい衝撃を受け、一瞬にして意識が朦朧となり、その場で混乱状態に陥り、倒れてしまった。


ゼノス(ヴァルザーク)は、渾身の頭突きで龍人の女性を昏倒させ、息を切らしていた。彼の服装はビリビリに破れ、額にはかすり傷が残っていたが、龍人の爪による致命傷は避けることができた。

ゼノスは、戦闘の終結を確認すると、後ろにいた聖女を呼んだ。


「おい、聖女。正気に戻すと言っただろう。今だ、意識を失っている間に早くやれ」


聖女は、ゼノスの荒っぽい制圧方法に一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに使命感に満ちた顔つきに戻った。


「分かりました!ゼノス様、お疲れ様でした。後は私にお任せください!」


聖女は、ゼノスの破れた服や傷を気にする素振りも見せず、倒れている龍人の傍に跪いた。


聖女は、意識を失っている龍人の額に手をかざし、全身の聖なる魔力を集中させた。


「聖なる祈り(ホーリー・プレイ)」


その光は、これまで見たどの治癒魔法よりも強く、優しかった。龍人の体内に潜んでいた、暴走の原因となっていた毒や呪いの闇が、聖なる光によって瞬く間に包み込まれ、浄化されていく。


龍人の肌に浮き出ていた鱗のような紋様が薄れ、苦悶に歪んでいた顔の表情が、次第に穏やかになっていった。


ゼノスは、その光が自らに飛び火しないよう、最大限の警戒を保ちながら、聖女の治癒を見守った。聖女の力は、やはり魔王軍の幹部を凌駕するほど強力だった。


数分後、聖女が手を離すと、龍人の女性は静かに目を開けた。その瞳には、先ほどの狂気に満ちた光はなく、理性と、そして深い困惑が宿っていた。


「……ここは……」


龍人は、拘束具の破片が散乱した独房で、自分の体を見つめた。


聖女は優しく微笑みかけた。


「もう大丈夫ですよ。貴方を苦しめていた呪いは、消えました。ご自身の安全な場所に戻りましょう」

龍人は、聖女の言葉と、自分を救ったであろう目の前の勇者たち(ゼノスと聖女)の姿を、呆然と見つめるのだった。


(これで、また一つ面倒な人外種族との縁ができてしまったな……)


ゼノスは、新たな厄介事が増えたことに内心で嘆息しながらも、残りのエルフたちと、この龍人を無事にアジトから脱出させるため、次の行動に移る準備を始めた。


闇ギルド「ブラッディハウンド」のアジトでは、エルフたちが次々と解放され、安全な場所に避難していた。ゼノス(ヴァルザーク)は、気を失っている闇ギルドの連中を一掃しようとしたが、聖女がそれを止めた。


「ゼノス様、お待ちください。このような卑劣な輩でも、私たちが直接手を下す必要はありません」


聖女は、慣れた手つきで持参していた丈夫な縄を取り出し、気を失っている闇ギルドの連中をテキパキと縛り上げていった。


「縄で縛り、騎士団に通報すれば十分です。罪は罪として、人間社会の法で裁かれるべきです」


そう言い終えると、聖女は懐から訓練された伝書鳩を取り出し、手早く情報を記した紙を括りつけると、夜空へ放った。


「これで、王都の騎士団がすぐに動きます。私たちも早く長老様の元に戻りましょう」


(全く、余計な手間をかけさせやがって……)


ゼノスは内心で毒づきながらも、聖女の合理的で清廉な行動に異論を唱えることができず、龍人の女性を抱きかかえ、森へ引き返した。


賢者の森に戻ると、長老イグニスは、無事に戻されたエルフたちを見て深く感謝した。泣きながら再会を喜ぶエルフたちの姿に、聖女は満足げに微笑んでいた。


ゼノスは、長老に龍人の女性を引き渡した。


「長老。依頼通り、エルフは全員解放した。だが、アジトにこの女が捕らえられていた」


長老は、回復した男性エルフの治療を済ませた聖女に代わり、龍人の女性の脈と状態を診た。


「ふむ……。聖女殿の治癒で、生命に別状はないようじゃが、体内の毒が抜けるには少し時間がかかりそうじゃな」


長老は、龍人の姿を改めて確認した後、ゼノスに言った。


「御主、この娘は賢者の森の仲間ではない。どうやら別口のルートで捕まっていたようじゃ。闇ギルドは、エルフだけでなく、希少な人外種族なら何でも狙っていたようじゃな」


これで、ゼノスには龍人の女性を置いていく理由がなくなった。彼女を置いていけば、密猟者に再び狙われるだろう。


龍人の回復を待つ間、ゼノスは、この龍人をどうするか聖女に尋ねた。


「聖女。この女が回復したら、どうするつもりだ。ここに置いていくわけにもいかないだろう」


聖女は、即座に、迷いなく答えた。

「当然です!回復するまでお世話をし、そして私たちと一緒に連れて行きましょう」


「彼女は危険な目に遭ったばかり。騎士団に引き渡すにしても、私たちが保護した方が安全です。私たち勇者の旅は、誰かを守るためにあるのですから」


聖女の言葉に、ゼノスは心底嫌そうな顔をした。新たな同行者。しかも、先ほど自分に全力で襲いかかってきた強力な人外種族だ。自分の秘密を知る人間が増えるだけでなく、常に緊張を強いられる。


(また厄介な奴が増えた。これ以上、パーティーを増やしてどうする。私の魔王としての安寧はどこへ行くんだ!)


ゼノスの顔には、隠しきれないほどの不満と嫌悪感が浮かんでいた。

その表情を見逃さなかった聖女は、すぐにゼノスを咎めた。


「なぜ不満そうなんですか? 助けた命を連れて行くのは当然でしょう?まさか、この方が人外種族だから、嫌な顔をしているのですか?」


聖女は、ゼノスがまたもや「呪い」や「偏見」に苦しんでいると誤解し、責めるような目を向けるのだった。

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