第5話【エージェント・ピスタチオと始まりの杏仁豆腐】

香港の夜景より、冷凍庫の霜のほうが落ち着く。俺はエージェント・ピスタチオ。世界平和より世界の全アイスの平和的完食を願う、しがないサラリーマン……みたいなエージェントだ。


創設者“G”から届いた不可解なメッセージ。『君が幼い頃、母親が作ってくれた“あの”杏仁豆腐の味を思い出せ』だと? 知るか。俺が思い出したいのは、昨日の夜に食べたハーゲンダッツの味だ。だが、続く指令には逆らえない。『ミッション:君自身の過去を調査せよ』。マジかよ。しかし、創設者“G”とWESAの指令は別々に来た。どういうことだ?


かくして俺は、数年ぶりに日本のど真ん中、俺が生まれ育ったクソのどかな田舎町に降り立った。WESAからの追加指令は簡潔だった。『実家に眠る、母親の“究極のレシピ”を回収せよ』。なんで俺の母親のレシピが組織の重要アイテムになってるんだ。うちの母さんはただのパートしてる主婦のはずだぞ。


「いらっしゃいませー」

実家へ向かう道すがら、見慣れたコンビニに立ち寄ると、自動ドアを破壊せんばかりの巨漢がレジに立っていた。あの店員だ。名札には「エリアマネージャー」とある。おいおい、こんなド田舎にエリアマネージャー? しかもその装備は何だ。米俵をボディアーマー代わりに着込み、腰には干し柿とキュウリのぬか漬けがぶら下がっている。背中には漬物樽と長ネギ数本。俺が呆気にとられていると、彼はニヤリと笑った。「お客さん、いい体してるね。うちの新商品、プロテインおにぎりどうだい? これが俺の『農家直送アーマー』さ。米の防御力と、発酵食品による自己回復機能……最新鋭だろ?」

キャラ変えた?……最新鋭の方向性が明らかにおかしい。


実家の上空には、けたたましいプロペラ音を響かせるドローンが飛び交っていた。間違いない、バズキングTVだ。「『ピスタチオの里帰り!日本の原風景で幻のおふくろの味をスパチャで再現SP!』絶賛生配信中! みんな、ピっさんを応援してくれよな!」うるせえ! 俺は隠密行動中なんだよ!

「おお、タナカくんじゃないか!」

背後から声をかけてきたのは町内会長だった。なぜか祭りのハッピを着ている。「ちょうどよかった! 盗まれたワシの自転車のサドルが、この町の伝統的な祭り『サドル奉納祭』の御神体になっていると聞いてな! ワシ、今年から実行委員長なんじゃ!」

ここあんたの町じゃないが?……もうダメだこの町。情報の交通渋滞がひどすぎる。


神社の向かいにある実家の前に着いた瞬間、俺は複数の殺気を感じ取った。甘く、それでいて凍てつくような殺気。俺の隣には佐藤さん。いつの間に。

「生垣の中にいるのはWESA内部の過激派閥『フローズン・ジャスティス』。世界の食の調和という“G”の理想を歪んで解釈し、甘味の兵器転用で世界を支配しようと企むエリート集団よ。パフェを食べるスプーンの角度まで定めようとしている連中なの。それだけじゃないわ。物置の陰にはドルチェ・マフィア、柿の木の上には甘味解放戦線の気配まである。気を付けて。」そう言って消えた。

「なんで俺の実家が甘味テロリストの国際会議場になってるんだよ!」


案の定、レシピを巡る戦いの火蓋は、町内会長(部外者)が仕切る『サドル奉納祭』のクライマックスで切って落とされた。神社の境内で、盗品と思しき自転車のサドルが御神体として奉られている最中、全勢力が入り乱れての大乱闘だ。フローズン・ジャスティスのエージェントが飴細工の包丁を煌めかせ、マフィアが懐から拳銃を取り出し、甘味解放戦線は柿を投げる。戦いは向かいの神社の境内までもつれ込み、俺は絶体絶命のピンチに追い込まれた。クソ、ここまでか……! いや、待てよ。こういう時はハッタリだ!

「待て! レシピは不完全だ! 最後の隠し味は、この俺の涙腺を刺激しないと出てこない特殊な玉ねぎなんだ!」

一瞬、その場の全員が動きを止めた。我ながら意味不明なハッタリだが、効果はあったらしい。

その静寂を破ったのは、神楽鈴の涼やかな音色だった。振り返ると、そこには巫女姿の女が立っていた。佐藤さん!? 彼女は舞を舞うような人間離れした動きで敵をいなし、俺の耳元で囁いた。

「“G”はあなたのすぐそばにいた。WESAはもう彼の理想からかけ離れてしまったわ」


混乱に乗じて俺は神社を脱出する。飛び乗ったのは、祭りの景品運搬用の軽トラックだ。だが敵もさるもの、フローズン・ジャスティスはどこからか奪ってきたコンバインで、ドルチェ・マフィアは祭りの山車をジャックして猛追してくる! 田んぼのあぜ道を舞台にした、前代未聞の田園カーチェイスが始まった。

「お客さーん! お助けしますぜ!」

そこに現れたのは、あのコンビニ店員だった。いつから荷台に?彼は仁王立ちになると、『農家直送アーマー』から長ネギを抜き放ち、ムチのようにしならせてコンバインのフロントガラスを叩き割る! さらには漬物樽をグレネードのように投擲し、山車の車輪を破壊した。あのアーマー、マジで最新鋭だったのかよ……!


俺は追っ手を振り切り、町を一周して実家に戻ってきた。庭では甘味解放戦線が母に怒られている。柿なんて投げるから。

コンビニ店員が母に挨拶している。「干し柿ありがとうごさいます」腰の干し柿、うちのだったのか。

「母さん、うちにレシピ書いたノートってある?」

「あら、来てたの?急にどうしたの。リビングの引き出しにあるけど」

「ちょっと借りるね」

「いいけど…。新しい仕事はどう?国家機密だから言えないか」

「まあね」


俺はリビングの小さな引き出しに手をかけた。中には、母さんの古びたレシピノートが。最後のページを開いた俺は、息を呑んだ。そこには古い家族写真が挟まれていた。俺の祖父母らしき人と若き日の母さん。優しく微笑む祖父らしき男の顔は、WESAの資料で一度だけ見たことがある。

佐藤さんの言葉を反芻する。「すぐそばにいた」。まさか。創設者“G”は、俺のじいちゃん。

今の顔と全然違うじゃねぇか。昔の写真を宣材写真にすんなよぉ!


「そういえばあんたに手紙来てたわよ。じいちゃんから」と母から渡された。

手紙にはすべてが書かれていた。プロジェクト・ジェラートの真の目的は、食を通じて世界から争いをなくすこと。そして俺がエージェントに選ばれたのは、世界一の味覚を持つ“美食家の遺伝子”を、両親から受け継いでいるからだという。

レシピ関係ないじゃん。何のためにレシピ取りに実家まで来たんだ!とりあえず借りてくけど。


実家から帰ってきた俺はノートのレシピ通りに、「ピスタチオグリーンの杏仁豆腐」を作った。口に含んだ瞬間、優しい甘みが広がった。これは、母さんが親父を想って作った、愛情という名の隠し味が効いたスイーツだった。これで親父を射止めたらしい。二人の始まりの杏仁豆腐。俺のピスタチオ好きは親父譲りってことか。だが、なぜ杏仁豆腐にしたんだ!


後日、WESAから報酬が届いた。俺が愛してやまないプレミアムピスタチオアイスがぎっしり詰まった、業務用の巨大な冷凍庫だ。これだよ、これ。俺が求めていた平和は。人質が倍になって帰ってきた。

だが、その中に一つだけ、見慣れないカップがあった。手書きのラベルが貼られている。

『ごめん。そしてこれからもよろしく Gちゃんより愛をこめて』


嫌な予感がした。蓋を開けると、中身はあのピスタチオグリーンの杏仁豆腐(アイスVer.)だった。スプーンを入れるとカツッと何かに当たる。あの金属カプセルだ。

俺の絶叫が部屋に響き渡った。


「だから! 俺はピスタチオアイスが食いたいだけなんだよぉぉぉぉっ!」

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