第14話 アイの秘密

タンと運動場で会話した数日後、刑務所内に大事件が発生した。

集団食中毒事件だ。

食事係だったゴブリンが食材を盗み、その代わりに刑務所内にいるドブネズミの肉をスープに使ったのが原因らしい。

ちなみにこの世界のドブネズミは、俺たちの世界の猫くらいの大きさがある。

ゴブリンやオークは、ちょくちょくこのドブネズミを捕まえては腹を満たしている。


だが俺たち人間はたまったものではない。

多くの人間が腹痛に頭痛と吐き気、そして高熱に襲われた。

幸いにして俺は症状が軽かった。

問題のドブネズミ・スープは朝食に出たのだが、ちょっとした腹痛と吐き気だけで済んだのだ。

ところがアイの方はそうはいかなかった。

朝食の後はいつも通りに作業に出たのだが、その途中でぶっ倒れたと言うのだ。

俺とティガがカードゲームをやっている所へ、看守から連絡が来た。

「アイが倒れたから監房まで運べ」と言う事だ。

俺はすぐにアイの所に出向き、自分たちの部屋に連れ帰った。

アイを自分のベッドに寝かせる。

かなり苦しそうな状態だ。

アイが作っていた漢方薬を飲ませてみるが、今回は効き目がなかった。


「アイ、大丈夫かな?」


ティガも覗き込んで心配そうにそう言った。


「わからない。食中毒なんていったいどうすればいいのか?」


「人間は食べ物の変化には弱いんだな」


「ティガは平気なのか?」


「アタイたち獣人は問題ないよ。オークやゴブリンと一緒にされるのは嫌だけど」


「そういうと割りと平気な俺も、胃腸はオークやゴブリン並って事か?」


そんな話をしている間も、アイは苦痛に身をよじらせる。


「吐ける物は全部吐いたって聞いたんだが……」


俺がそう言うとティガが決意したように言った。


「アタイが医務室に行って来るよ。そこで診察願と出来れば薬を貰って来る」


この刑務所ではどんなに重病でも、医療担当の魔女に診察願を出し、許可を貰わないと診て貰えない。薬も同様だ。


「大丈夫か? 俺も一緒について行こうか?」


しかしティガは首を左右に振った。


「アタイは平気だよ。それよりイヤーはアイの様子を見ていてくれ。様態が急変するかもしれないからさ」


「でも……」


「今は看守が大勢出ている。それに医務室に行く経路は人通りが多い。そんな中でオークたちも手は出せないさ」


そう言うとティガは俺たちの監房を出ていった。

戻って来たのは一時間以上が過ぎてからだ。


「遅かったな。もしかしてオークに捕まったんじゃないかって心配したぞ」


「ごめん。でも医務室が凄く混んでいて……予約票は入れて来たんだけど、診察して貰えるのは明日にならなきゃ無理みたいなんだ。薬はとりあえず解熱剤だけ貰って来たんだけど……」


ティガが申し訳なさそうにそう言った。


「そうだったんだ。いや、十分だよ、ありがとう」


俺はそう言って彼女から薬を受け取った。



夜になってもアイの熱は下がらなかった。

腹痛よりも頭痛の方が激しくなったらしく、時折意味不明のうわ言を口にする。

刑務所全体でもかなりの人間が、やはり高熱に襲われているようだ。

一方で午後からゴブリンとオークがいる監房は房内監禁命令が出された。

彼らの監房では鉄格子の扉が閉められ、オークとゴブリンは出歩く事ができない。

看守からは「ゴブリンが故意に毒を入れた可能性」と説明されたが、おそらくは人間グループが弱体化したこの機会に、オーク・グループとゴブリン・グループが好き勝手に暴れる事を懸念しての対応だろう。


夜十時半となって消灯時間になった。

しかし一向にアイが回復する様子はなかった。


(もしかしてアイはこのまま死んでしまうのか?)


そう思うと俺は不安だった。

アイは冷たい物言いはするが、根は親切でイイ奴だと思っている。

不満そうにしながらも俺に色んなアドバイスを与えてくれるし、ティガの件だって結局は受け入れてくれている。

そして俺と同じく感覚を強化された異界人だ。

同じ立場の人間がいるという事だけでも、俺にとっては大きな心の支えになっていた。


(アイ、絶対に死ぬなよ)


俺は何度も濡れたタオルを変えて、アイの額に乗せた。

高熱のため、すぐにタオルが温まってしまうのだ。

俺は寝ないでアイの看病をするつもりだ。


深夜零時過ぎ。

四回目のタオル交換の時だった。

アイの着ている囚人服が汗でぐっしょりと濡れている。


(身体ぐらい拭いた方がいいか?)


俺はそう思って、アイの囚人服のボタンを開き、中のTシャツをたくし上げた。

するとその下には、胸全体を覆うように肌色のコルセットが付けられていた。


(なんだコレは? 胸の皮膚病を隠すためか?)


とりあえずコルセットの部分は避けて、腹部と腕の部分だけタオルで拭いてやる。

アイは俺と同じくらいの年齢のはずだが、身体は細くて華奢だ。

次に額を冷やすためのタオルを交換する。

アイのかさぶたとウロコ状の固い皮膚だらけの顔から、前のタオルを取り除いた。

その時、一緒にかさぶたの部分が大きく剥がれ落ちた。


(大丈夫か? 痛くなかったかな?)


気になって覗いてみると、かさぶたの下にはキレイな白い肌が見える。


(治っているのか?)


そう思ってタオルでうろこ状になった他の部分を軽く撫でると、汗のせいかウロコ状の部分も簡単に剥がれ落ちた。

その部分も下からキレイな白い肌が現れる。


(どういう事だ? アイは皮膚病じゃなかったのか?)


俺は慎重にアイの顔から、かさぶたとウロコ状の固い部分を剝がしていく。

汗でふやけていたため簡単に剥がれ、その下からはキレイな白い肌と端整な顔が現れた。

俺は剥がれ落ちたかさぶたとウロコの固い皮膚を手にした。

良く見ると、それは紙粘土と赤土を混ぜたものである事が分かる。


(皮膚病って言うのは嘘だったのか? でもなんで……)


キレイになったアイの顔をよく見てみる。

どう見ても女の子の顔つき、それもかなりの美少女の顔だ。


(まさか……)


俺はTシャツをもう一度たくし上げた。

先ほど見た、胸の部分を覆っている肌色のコルセットを調べてみる。

隠すように右わき腹の所で、紐で止めるようになっている。

俺はコルセットをそっと外して見た。


 ぷるん


目を何度かしばたたかせる。

でも見間違いなんかじゃない。

コルセットの下から現れたのは、形の良い乳房だった。

巨乳ではないが、十分に美乳と言える形だろう。


(アイは……女の子だったのか?)


俺は静かにTシャツを元に戻した。

この高熱なので胸を締め付けておくのは良くないと思い、コルセットは外したままにする。

俺は自分の顔が熱を持っているのを感じた。

直に女の子の胸を見るのなんて初めてだからだ。


(って、今は変な事を考えている場合じゃない。アイの看病をしないと……)


「……ママ……」


アイのうわ言が聞こえた。

ハッキリ聞こえたのは、その一言だけだ。

俺はその後も、熱に苦しむアイの額に徹夜でタオルを交換し続けた。



明け方になってアイの熱はかなり下がっていた。


(どうやら大事にはならなそうだ)


そう思いながら額のタオルを交換している時に、アイは目を覚ました。


「……イヤーか?」


「やっと気が付いたか? 一晩中高熱でうなされていた。もう大丈夫なのか?」


「ああ、なんとかな。どうやら世話になったみたいだな」


アイは上半身を起こしながら左手を自分の顔に当てて……そしてハッとした顔になった。


「悪いな、タオルを変えている時に見てしまったんだ。でも……」


(安心してくれ。俺は誰にも何も言わない)


そう言おうとした時だ。

二段ベッドの上からいきなりアイが飛び掛かって来た。

右手に握った銀色に光る物が目に入る。

とっさに俺はアイの右手を押さえたが、飛び掛かられた反動で床の上に押し倒された。

アイが手にしていたのは囚人たちがよく隠し持っている手製のナイフだ。

ナイフの切っ先が俺の眼前まで迫る。


「ま、待て! 俺は……」


「黙れ……死ね!」


アイの口から押し殺した声が漏れた。

ナイフがアイの体重と共に、俺の左目一センチの所まで迫る。

そのまま行けばナイフは俺の左目を貫通し、脳にまで達するだろう。


(コイツ、本気で俺を殺す気だ!)


俺は左手でアイの右手を押さえたまま、右手でアイの身体を押しのけようとした。

その右手が、コルセットを付けていないアイの胸をモロに掴んでしまう。


「!」


アイが胸を庇うようにして、一瞬だけ怯んだ。

その隙に俺はアイを跳ねのけ、逆に床に押さえつける。


「は、離せ!」


アイが俺の下で暴れた。


「静かにしろ! 騒ぐと他の部屋の囚人に気づかれる!」


それを聞いたアイの身体から力が抜けた。

俺が上、アイが下の体勢で、しばらく沈黙が流れる。


「俺を……どうするつもりだ?」


観念したようにそう言ったアイは、俺から視線を逸らした。

その両目から涙が零れる。


「変な勘違いするな! 何もしないよ」


俺は彼女からナイフだけ取り上げると、ゆっくりとアイの上から身体を起こした。

しばらくしてアイは、警戒するように俺から距離を取ると上体を起こした。

じっと俺を睨んでいる。


「なんでそんな変装をしていたんだ?」


尋ねた俺にアイはしばらく答えなかった。

やがて口を開く。


「俺がここに連れて来られた時、もう女子棟は一杯だったんだ。今でもアッチは一部屋に三人以上が押し込まれている」


「それにしても男のフリして、って言うのは無茶な話だ」


「無茶でもないさ。まず第一に看守がこの事を知っていて便宜を図ってくれる。次に俺は能力で相手の視覚をハッキングできる。何かあっても男の身体に見せる事ぐらい簡単だ。第三に監房は夜は鉄格子で施錠される。一人でいる限り、寝込みを誰かに襲われる心配はない」


「でもこうして俺が配置される事もあるんだよな?」


「ああ、だから最初は驚いたさ。看守たちが約束を破ったのかと思った。だが看守たちにしてみれば、俺が一年以上も男として過ごせている事で大丈夫だと判断したのかもしれないな」


「それでも念には念を入れて、それをしていたのか?」


俺は床の上に落ちていた皮膚病の偽装を指さした。

アイは静かに頷く。


「だからオマエはティガに同情的だったんだな?」


「オマエだって、ここでは女がどんな目に合うか、分かっただろ?」


俺も頷き返す。再びしばらくの沈黙が訪れる。


「なぁ」「おい」


俺とアイが口を開いたのは同時だった。

二人とも目を合わせる。


「なんだよ」そう言ったアイに俺は「オマエから先に言えよ」と促す。

アイはしばらく俯いていると


「いや、何て言っていいか分からない。オマエから先に言ってくれ」


と小声で言った。


「わかった。じゃあ俺から先に言わせてもらおう」


そう前置きして話を続ける。


「アイ、俺と協力してここから脱獄しないか?」


アイは「えっ?」と驚きの目で俺を見た。


「俺たちは無理やりこの世界に飛ばされて、そのまま理由も聞かされず裁判も無しにこの刑務所に連れて来られた。それでも元の世界に帰れるなら我慢するが、ここに居る限りそれも望みは無さそうだ。だったら脱獄して外の世界に出て、元の世界に帰る方法を探すんだ」


「何を言ってるんだ、オマエ!」


「アイだっていつまでも誤魔化しきれるか分からないだろ? 監房の囚人なんて看守の思惑次第でいつでも変えられるんだ。そうなったら今日みたいに秘密がバレる可能性はある」


「そりゃそうだが……でも無理だ。ここから脱獄なんて」


「いや、無理じゃない。視覚を操れるアイと、聴覚を操れる俺が手を組めば!」


アイはしばらく無言だった。


「頼む。俺に手を貸してくれ! そもそも同じ監房のアイが協力してくれないと、俺一人で脱獄なんて出来っこないんだ。頼む!」


しばらく俯いていたアイだが、やがて顔を上げた。


「わかったよ、イヤー。実は俺も脱獄は考えていたんだ。でもそれには信頼できる仲間が必要だ。オマエなら信用できそうだ」


そう言ったアイの目にも、強い決意の光が見える。


「助かった。俺たち二人が手を組めば、きっと成し遂げられる」


そう言って俺はナイフをアイに返した。


「もし俺が裏切ったと感じたら、それで寝ている俺の首を掻き切ればいい。信頼の証だ」


アイはナイフを手にした所で、俺をジロリと睨んだ。


「もし俺に変な事をしようとしたら……その時は遠慮なく刺すからな」


「止めてくれよ。そんなつもりは毛頭ない。俺だって初めての時は、大好きな女の子と互いの気持ちが盛り上がって結ばれたい。無理やりなんて論外だ」


それを聞いたアイは一瞬だけ唖然とした顔をし、直後に「ぷっ」と吹き出した。


「なんだよ、笑うような事か?」


「いや、堂々と童貞宣言した上、オマエがそんなロマンチストとはな」


俺がムッとすると、アイは優しい目で俺を見た。


「でも、いいと思うぜ、そういうの」


その時のアイの笑顔は、女の子らしい、とても優しい笑顔だったと思う。

俺は思わず恥ずかしくなってアイから顔を背けた。


「と、ともかくだな。俺はオマエの事を今まで通り『同室の皮膚病持ちの男』として扱うから。そして俺にとっては唯一の相棒だ」


「ああ、俺にとってもオマエは『やたらとトラブルを持ち込む、厄介な新入り』で相棒だ。改めてヨロシクな」


俺たちは顔を見合わせると、自然と笑顔になった。

こうして俺とアイの、脱獄計画の第一歩が始まったのだ。

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