第3話

 スタートラインへ並ぶと、少女はS13のトランクから二台のドローンを取り出した。

 次の瞬間、黒い小型機が羽音を立てて上昇する。


 「…ドローン?」


 男が思わず呟く。


 二機のドローンはそれぞれJZX100《チェイサー》とS13シルビアの後方上空数メートルへ移動し、ぴたりと停止した。

 まるで空から獲物を狙う猛禽の眼のように――高性能カメラが、二台を鋭く捕らえる。


 「配信用。角度アングルは自動で調整してくれる」


 少女が淡々と告げ、男は顔をしかめた。


 「…本当に配信する気か?」


 返ってきたのは言葉ではなく、差し出されたスマホだった。

 UnderLiveの配信枠が開かれ、すでに数百人の視聴者が待機している。


 そこに自分の姿が映る――そう思ったが。


「……なんだ、これ」


 JZX100のナンバーは黒く塗り潰され、特徴的なステッカーや傷は、曖昧なモザイクに。

 男の顔もボカされ、誰が見ても特定不能だ。


 「言ったでしょ。場所も、あなたの情報も写らない」


 少女の声は静かだが、妙な説得力があった。

 男は短く息を吐き、スマホを返した。


 「……なら文句はねぇ。撮りたいなら勝手に撮れ。ただし――」


 彼は自分の車へ戻りながら言い放つ。


 「泣き顔が映っちまっても知らねぇぞ」


 そんな男の挑発に少女は薄く笑みを浮かべ、闇の中でその輪郭を揺らしている。

 その異質な姿に、男は一瞬だけ背筋が粟立つのを感じた。


 ドローンの風切り音が吹き抜け、張り詰めた空気が峠を支配する。

 闇が、まるでこの先の勝敗を見届けようと息を潜めているかのようだった。


 二台のマシンが並び立つと、男の仲間がその間に歩み出る。

 手を高く掲げ、エンジン音のうねりの中で声を張る。


 「――カウントいくぞ! 5、4……!」


 エンジン音が唸り、空気が震えた。

 男のJZX100は重厚な低音を響かせ、車体がわずかに身構える。

 対する少女のS13も鋭い音色を放ち、タコメーターの針を躍らせる。

 

 「3、2、1――!」


 仲間の腕が振り下ろされると同時に、二台が飛び出した。

 直線の伸びではJZX100が一歩抜ける。

 重量のある車体が路面を掴み、力でねじ伏せるように前へ出た。


 男はバックミラーを一瞥する。

 S13はまだ少し後方。

 車の性能差だろうと、勝負は勝負――このまま引き離す。


 コーナーへ突入し、ブレーキを踏み込む。

 頼れるのはライトが照らす細いラインだけ。

 いくつかのカーブを抜け、再びミラーを覗く。


 そこには、迫りくる赤い獣が写っていた。


 「……何っ!?」


 距離が縮んでいる。

 S13は、コーナー出口で速度を保ってついてくる。

 男は思わず舌打ちし、ハンドルを握り直した。


 「上等だ……なら本気で行くぜ!」


 一方、S13の少女は静かに息を整えていた。


 ――速い。

 さすが地元の走り屋。無駄な動きがない。


 前方のJZX100が描くラインを観察しながら、少女はステアリングを切る。

 ブレーキポイント、荷重移動、路面の荒れ具合。

 相手が刻むリズムを一つ一つ拾い上げ、まるで譜面を読むように再現していく。


 まだ仕掛けない。

 ただ、確実に距離を削る。

 まるで“獲物の癖”を覚える狼のように。


 闇の中で、二台の光ヘッドライトが絡み合い、峠はじわりと熱を帯びていった。

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