4. 明日のための悪いこと
時刻は23時を過ぎた頃。パパと神原さんが帰宅し、ラボには私ひとりだけが残された。帰宅の際に消された電源を付け、私はコンピュータの前に腰を下ろす。
この時間こそが、私に与えられた計画遂行のチャンスだ。パパたちがいない間に、隕石データから理論解明に繋がる特徴を消さなければならない。
この隕石データから得られる成果は二つ──上位次元(余剰次元)の存在証明と干渉の実現、そして新たなエネルギー種の発見。後の超弦理論の完成に大きく貢献したのは後者だった。さすがに両方の結果を消してしまうと怪しまれかねない。だから今回は、後者の成果に繋がる特徴だけを隠蔽することにした。
もちろん、ただ消すだけでは駄目だ。あくまで自然なデータとして見せかけなければならない。なんていったって、未来の天才科学者であるパパと神原さんを欺くんだ。決して改ざんに綻びがあってはならない。
私は隠蔽後の理想モデル案を紙に書き出し、なんとかそれらに近づけようと隠蔽方法を模索する。考案したモデルが悪いのか、そもそもの隠蔽手法が悪いのか。ひとつの失敗に対して考え得る原因が多すぎる。あれでもないこれでもないと試しているうちに、気づけば窓から朝陽が差し込み始めていた。
時計に目をやると5時半を示していた。パパたちが出勤してくるまであと4時間くらい。
「もうそんな時間なんだ。案外夜も早いもんだねー」
集中が切れた途端、疲労が一気に押し寄せる。背もたれに身を預け、軽い気持ちで瞼を閉じた。
...
......
「おーい、楓! そんなところで寝てたら風引くぞ!」
聞き慣れた声に目を覚ます。どうやら作業の途中でうたた寝をしてしまったみたい。
「あ。おはよう、遊馬さん。えっと......。なんでここに?」
「一応は出勤時間だからな。それよりもだ。昨日から夜通しでデータの解析をやってたのか?」
パパは私の前のモニターと、机いっぱいに散らばった数式のメモに視線を落とし、じっとこちらを見る。
「うん、まあそんなところだよ。ふたりに任されたデータを解析してたら面白くて、つい寝るのを忘れちゃったよ」
笑ってごまかしながら慌てて机上の紙をかき集め、パパの視界から外れる場所へと滑りこませる。これらはデータの隠蔽のために作ったモデル式だ。賢いパパだったら、ひと目見ただけで意図を悟られてしまうかもしれない。危ない......次からはふたりの目に触れないようにしないと。
「まったく。研究を止めはしないけど、まずは体調第一だ。部屋もベッドもあるんだから、しっかりベッドで寝ること。分かった?」
パパに注意されてしまった。私は「はーい」と、つい子供っぽい返事をしてしまった。
ともあれ深夜に作業をしていたこと自体は、不審に思われてはいないみたい。けれど油断はできない。パパたちの研究が進めば、私が手を加える前にデータを参照されてしまう可能性がある。
こうして日中はパパたちと研究を進め、深夜は私の計画を遂行する、そんな日々のリズムが出来上がっていた。毎晩と試行錯誤を繰り返して、少しずつ理想とする完璧な隠蔽に近づいていった。
深夜に作業を続けること五日間。遂に完璧と思える改ざん手法にたどり着いた。早速ラボに保存されている隕石データへと改ざんプログラムを実行し、狙い通りに重要な特徴だけが自然に削除されたデータが完成した。
私は何事もなかったかのように表向きの研究へと戻る。改ざん後のデータを解析し、その結果をパパたちに共有した。するとふたりは顔を見合わせ、どこか嬉しげな笑みを浮かべている。その直後、即座にミーティングが開かれた。
「ここまでのデータ解析の結果について、色々と話し合いたいことがある。まずはこの部分なんだが」
パパが隕石データのグラフを映し、指し棒で気になる箇所を指し示す。
「この時刻、俺たちが加速器で隕石と衝突させた瞬間だ。やはりここだけエネルギー放出量が増大している。そしてその同時刻に膨大な粒子と重力波が観測されている。つまり、この現象が示唆しているのは......」
「マイクロブラックホールの発生ですね。これはもう少し詳細に調査しても良さそうですね。それより遊馬さん、この時刻の直後のエネルギーの減少は何でしょうか?」
ふたりは次々と仮説を出し合い、熱を帯びた議論を交わしていく。
マイクロブラックホールの観測については、余剰次元の証明、すなわち理論完成への一歩となる成果が含まれている。けれど衝突直後のエネルギーの減少については、特に理論完成に繋がる知見は得られない。
だってその現象は私が起こしたものだから。時間遡行には、どうしても遡行先に存在する莫大なエネルギーを必要としてしまう。私の時間遡行で、本来存在した膨大なエネルギーが一瞬にして失われた──それがこのグラフに刻まれた減少の正体。
もちろんそんな真実を口にするわけにはいかない。
私は平然を装い、その答えを知らない風に議論に加わる。
議論は白熱し、やがてひとつの結論にたどり着いてひと段落となった。パパは今から夜通しでマイクロブラックホールの発生についての詳細を調査するみたい。一方で神原さんは、一応エネルギー減少の調査を進めるとのこと。
この隕石実験は、着実に成果を生み出しつつあった。
窓の外はしんと静まり、深い黒に包まれていた。時刻が23時を回った頃に神原さんが帰宅し、ラボに残っているのはパパと私だけ。私はソファに身を横たえ、パパはコンピュータの前で黙々と解析作業を続けている。
パパが何をしているか気になるし、何よりパパが頑張っている姿を見ながら自分だけ寝室に引き上げるなんてできなかった。けれど、その頑張る背中を目にするたびに、胸の奥がきゅっと痛むのだった。
ソファに寝ころび、ぼんやりと天井の柄を見つめる。
そういえば、パパと二人きりになる機会なんて、最近はほとんどなかったな。
「ねえ、遊馬さん」
気付けば無意識に声をかけていた。
「なんだ楓、まだ起きてたのか。もう夜も遅いんだし、早く寝ないとだぞ」
ソファから顔だけをひょっこり出して、パパの方をじっと見つめる。
「遊馬さんはね、超弦理論が完成した先の世界ってどんなのだと思う?」
「そうだなー、きっとロマンの溢れる世界だと思うよ。宇宙を解明できたり未来が見えたり、今では不可能なことが可能になる世界。考えただけでも面白そうだよな」
「そうだよね。きっと素敵な世界が待ってるんだよね。でも、本当にいいことばかりなのかな......なんてね」
私は少し笑ってごまかすように視線をそらした。
「いいことばかりじゃない、か。確かにその通りかもしれないな。どんな変化にも良い面と悪い面が必ずついてくるもんだ」
「遊馬さんは、それが分かってても研究を続けるの?」
「そうだな、続けるさ。少なくともこの理論の完成は、人類の大きな進化の礎となるものなんだ。そこに俺のエゴもあるけど、人類の未来に貢献できる研究だから、なんとしても完成させてみせるさ」
パパは少し言葉を切り、真剣な眼差しで続ける。
「でもわがままかもしれないけど、皆が悲しむような未来にだけはなって欲しくないな。あくまで俺は今をより良くするために、いわば皆がハッピーになるような世界を目指したい。後付けの建前みたいに聞こえるかもだけど、真剣にそう思ってるんだ」
パパの目指す世界には、光もあれば影もある。変化っていうのはそういうもので、どんな理想にも代償が伴う。パパの目指す世界だって例外じゃない。それは摂理なんだ、条理なんだ、仕方がないんだ。
けれどそんな未来を、パパも私も、この世界の誰もが望んではいない。パパの言う通り、ハッピーな世界が一番なんだよ。誰も......あんな結末なんて願ってなんかいない。
そうだよね、パパ。やっぱりあんな世界、あるべき姿じゃないよね。
私はパパの想いを胸に抱きしめ、噛みしめるように心に刻んだ。
「そうなんだね。なんかごめんね、変なこと聞いちゃって」
「なあに気にするな。俺も昔はそんなことをよく考えていたさ」
パパが壁時計を確認し、グッと腕を上に上げてから、私に目を向ける。
「楓、そろそろ寝なさい」
「いやだ。遊馬さんの勇姿をここから眺めとく」
私はぷいっとパパとの視線を逸らし、ソファーの陰に身を隠す。
「まったくしょうがないなぁ......」
そう口にしてから、少しずつ足音が近くなっていく。やがて近くで足音が止んだその瞬間、私の身体はソファから離された。
「わわっ! なになに! なにをするっ!」
私はあたふたと手足を暴れさせながら、私を担ぎ上げるパパの方を向く。
「夜更かしをする悪いお嬢さんをお部屋に連行します」
片腕で私の身体は担ぎ上げられ、しばらく宙に浮きながら自室のベッドへと連れられた。ベッドに横になった後、パパが上から布団をかぶせる。
「じゃ、おやすみ、楓。また明日」
電気を豆電球にし、ゆっくりと扉が閉ざされた。
ここまでされちゃ、もう寝るしかないよね。私は諦めて、今日は寝ることにした。
「おやすみ、パパ」
小さな子でそう呟いて、私は静かに目を閉じた。
それから私たちは毎晩毎晩遅くまで研究を進めた。次々と解析が進んでいく中で、未来の超弦理論の完成に繋がる成果はまだ現れていない。もちろんふたりが疑う様子もない。なにせ一切の綻びがないように入念に改ざんを施したのだから。私の計画は、今のところ順調に進んでいた。
そしていよいよ、隕石実験の最終的な結果が出た。
得られた結果は、余剰次元に関する知見のみ。もうひとつの新エネルギー種に関する兆候は一切現れなかった。つまり、私の計画は成功したんだ。
当然そんな事情を知らないパパと神原さんは、新たな成果の捻出に心から歓喜していた。私もふたりの横に並んで喜びを表していたけど、どうしても胸の奥に後ろめたさが残った。
この短期間、目的は違えどパパたちと一緒に研究ができたことはとても楽しかった。パパたちが創り上げた超弦理論についても、パパについても色々と知ることができた。
やっぱりパパは凄かった。未来を語る姿はどこまでも眩しく、ロマンを信じて研究に身を投じるその背中は本当にかっこよかった。そんな姿を真横で見てきたからこそ、私の胸に渦巻く後ろめたさは強まるばかりだった。
複雑な思いを抱え込む私をよそに、パパたちは研究成功を祝おうとディナーへ誘ってくれた。パパと神原さんは私の手を引き、ラボを飛び出した。電車に乗って、駅から歩いて数十分。たどり着いた先は......
「かえでちゃん! 久しぶりだね、もう二週間くらいは会えてなかったよ。元気にしてた? (あーやっぱり見ても可愛い!) 」
瑞沢さんのお店だった。夜間営業のはずなのに、なぜか店内にお客さんが誰一人としていない。
「あ、瑞沢さん。お久しぶりです」
私の返事に瑞沢さんは「んー?」と小さく唸って首をかしげる。
「かえでちゃん、なんか元気ないじゃん。どったの?」
「そうなのか? どうした、悩みか? そうかあれか、さっきの結果で何か納得のいかない点があったのか!」
「なるほど、そういうことだったんだね。遊馬さん、さすがの名推理です」
「いやいやそんなわけないから。研究オタクたちは黙ってて」
軽く一蹴すると、瑞沢さんは優しく私の頭を撫でた。
「きっとこのデリカシーのない男共には言えない悩み事があるんだよね。かえでちゃんも苦労してるね......。あとでゆっくりお姉さんとお話しようね」
相変わらず瑞沢さんは鋭いな。なるべく表情に出さないようにしてたんだけど、あっさり見破られちゃった。私は表情を取り繕い、いつもの笑みをして見せた。
「ううん、私は大丈夫だよ。それより、早く瑞沢さんのご飯が食べたいな。もうおなかペコペコだよ」
「そうだよね。じゃあまずはご飯にしよう! 話はその時にしようか」
4人掛けのテーブルに全員が座り、様々な料理を囲みながら談笑していた。おいしい料理と楽しい会話に包まれたこのひとときは、現実を忘れさせるような安らぎを感じさせた。
しばらくしてパパと神原さんにお酒が回ってきた頃、瑞沢さんが私を店の奥へと促した。小さなテーブルと椅子が並ぶ小さな個室に入り、向かい合わせに座る。
「あのふたり、かなり酔っぱらってたね。ちょっと度数が高いのを飲んじゃうとすぐああなっちゃうの」
「え、もしかしてわざと飲ませたとか......?」
「まあそんなことは置いといてさ。かえでちゃん、本当に大丈夫?」
「さっきの件ですか? 本当に大丈夫ですよ。ほら、もうこんなににっこり笑顔」
私はわざと口角をぐいっと上げ、両人差し指で頬をちょんと押さえてみせる。さっきまでの楽しい雰囲気に呑まれて、少しは調子に乗ることができた。
瑞沢さん、私のことを気にかけてくれてたんだ。その優しさがありがたいよ。でも、こんなこと誰にも話せるわけないじゃん。
「にっこり笑顔ができるくらいには元気ってことだね。ちょっと安心したよ」
瑞沢さんは同じようににっこり笑顔を私に向けた。真似をされて、自分がこんなことをしたのかと恥ずかしくなる。
「もし間違ってたらごめんね。かえでちゃんを見てるとなんとなくだけど、なにで悩んでるか分かるんだよね」
「へ?」
「かえでちゃん、何か悪いことでもしたの? なんだか今日ずっとね、遊馬くんのことを申し訳なさそうに見つめてたから、そうなのかなって思った」
「え、えっと、それは......」
「やっぱり、当たりだね」
心の奥に隠していたことを言い当てられ、動揺を隠せない。どうして分かったの? 私、そんなに分かりやすいのかな。いや、それもあるかもだけど、きっとずっと私のことを気にかけて見てくれてたからなんだと思う。
「あはは、瑞沢さんには全てお見通しなんですね」
「当然、ずっとかえでちゃんのことを見てたからね!」
「ずっと......?」
そんなに見られてたの? と少し驚きつつも、胸の奥が温かくなる。
「そうです。私は遊馬さんたちに悪いことをしちゃいました。でも当の本人たちは気づいていないし、きっとこれからも気づくことはない。ふたりは今を喜んでいるけど、私はその横に立つ資格はない」
「でも、それはかえでちゃんが望んだわけじゃないんでしょ? 何か大事なもののために、仕方なくやった。きっとそうじゃないかな?」
どうして......どうしてこの人は、こんなにもまっすぐ私の心に踏み込んでくるの? どうして私をそこまで信じられるの?
「なんで、そう思うの?」
「短い時間だけど、かえでちゃんと過ごしてきて分かったんだ。そんなことをする子じゃないって。直感って言ったら信じられないかな。でもね、不思議とそれ以上の何かを感じるんだよね。だから、かな。ごめんね、理由になってないよね」
私はしばらく言葉を失った。瑞沢さんは、私の抱えるものを少しでも軽くしようとしてくれている。それが分かった瞬間、胸が熱くなり、視界が滲んでいった。
「うん、そうなんだ。私の本意じゃない。でも遊馬さんのために、やらなきゃいけなかった。仕方が......なかったんだ」
言葉を震わせながらも、私はようやく打ち明けることができた。
「そっか、やっぱりそうだったんだね。だって、かえでちゃんだもんね」
瑞沢さんはそっと私の頭に手を置く。
「遊馬くんのことを想って、ずっと苦しみを抱えていたんだね。かえでちゃんはほんと強い子だよ」
それ以上、深く事情を聞こうとはしなかった。ただ黙って話を聞き、私の気持ちを受け止めてくれる。
本当に、頼もしいお姉さんみたいだ。しばらく話しているうちに、胸に絡みついていた重しが少しずつほどけていくのを感じた。
30分くらいは話していただろうか。根本的なところは解決していないけど、誰かに気持ちを聞いてもらえるだけでも心が軽くなった気がする。私たちは店の奥からテーブルに戻り、パパたちの元へと合流した。
「おかえり、おふたりさん。なんの密会をやってたんだ?」
瑞沢さんと顔を見合わせ、互いに小さく笑い合う。
「プチ女子会だもん。ふたりには教えてあげないよー」
いたずらに笑いながら、話題をさらりと流した。
「そういえばあの
津麦兄妹を交えた本格的な共同研究。以前よりも随分と早い段階で始まるみたい。きっと、私が早く研究に関わって、成果が出るのも早かったなのかも。
パパたちを欺くことはできたけど、真くんとママも欺けるかな......。いや、大丈夫。パパでさえ見破れなかったんだ。きっとこのまま、うまくいく。
あとは学会発表の日まで、この世界の研究成果を見届けるだけ。計画が完了するその日まで、気を抜かずにいよう。
「楓ちゃんは津麦兄妹のことは知ってるの?」
「うん。このプロジェクトの共犯者って聞いてるよ」
「あのふたり──特に兄の方は色々とすごいから、きっと面白い話ができると思うよ。人柄も研究も、どっちもね」
真くんのシスコンのことを言ってるのかな。確かにあっちのママも当時は頭を抱えていたっけ...。まあ、あれを目の前にしたら誰だって同じ反応になるか。
私は「そうなんだ、めっちゃ楽しみ!」と笑みを添えて返した。
デザートをつまみながら4人で他愛ない話を続け、ゆっくりと夜は更けていった。
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