『元イージス艦長(50)、江戸のチンピラ岡っ引き(20)に転生。背中の仁王を晒しつつ、北辰一刀流(不殺)で悪を斬る』
月神世一
第1話
『最適化』できぬ状況(ハード・ラック)
「…以上をもち、次世代イージス・システム搭載艦における人的リソースの最適化、及びAIによる戦術シミュレーションの第一次報告を終了する」
無機質な会議室。市ヶ谷の防衛省、統合幕僚監部。
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳、一等海佐。彼の報告に、居並ぶ制服組(背広組も含む)は沈黙で応える。
(…疲れたな)
報告書(データ)に一片のミスもない。だが、この国の防衛という「未来」を構築する重圧は、彼の精神を日々すり減らしていた。
昼休憩。食堂で15分で栄養バランス食を流し込み、仮眠室の簡素なリクライニングチェアに体を沈める。ポケットの中の、コーヒーキャンディの袋を無意識に握る。
(祖父(じい)さん…あんたが死んだ海は、今やシステム(これ)で守る時代だ…)
特攻で死んだ祖父の顔がよぎる。
「人命の、非合理な損失」。それを根絶するために、彼はここにいる。
ゆっくりと、坂上の意識は深い(はずの)仮眠に落ちていった。
…ガヤガヤガヤ…!
…ジャラジャラジャラ…!
(…うるさい)
まず、坂上真一(50)が感じたのは、不快な騒音だった。
次に、悪臭。汗と、埃と、獣じみた男たちの匂い。
(なんだ…? 演習か? 敵の奇襲か? いや、ここは仮眠室のはず…)
目を開けた。
そこは、薄暗い土間のような場所だった。
裸電球ではない。揺らめく「蝋燭(ろうそく)」の灯り。
目の前には、粗末な布(むしろ)が敷かれ、その上で二つのサイコロが転がっている。
周囲には、目を血走らせた男たちが、自分の体を睨みつけていた。
(状況を分析。私は仮眠していたはずだ。この場所は…データベースにない。拉致か? にしては、この男たちの装備は旧時代的すぎる…)
「さぁ張った張った!」
みすぼらしい着物を着た大男が、壺(つぼ)を叩きつける。
「丁(ちょう)か! 半(はん)か!」
(…丁半博打? まさか…)
混乱する坂上の脳を、野太い声が殴りつけた。
「オラァッ! 真(しん)! さっさと張りやがれ!」
「真」と呼ばれた瞬間、周囲の視線が全て自分に突き刺さる。
(私か? 私の名前は「しんいち」だが…)
坂上が状況分析のために沈黙していると、胴元の男がさらに凄んだ。
「テメェ…! 負けそうだからって、また同心(なかま)達を呼んだら承知しねぇからな!」
(同心? 警察組織か。この体(私)は、彼らにとって裏切り者、あるいは厄介者として認識されている、と)
その瞬間だった。
ガシャアァン!
外の戸板が蹴破られ、甲高い声が響き渡った。
「御用だ! 御用だ! 北町奉行所の手入れだ、神妙にしやがれ!」
「「「げっ! 出やがった!」」」
「北町の…早乙女の蘭だ!」
博徒たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
先ほどの胴元が、逃げ際に坂上を指差した。
「に、逃げろ! 真! お前に地獄を見せてやからな! よくも裏切りやがって!」
(裏切り? 私は何もしていない)
坂上が冷静にその場に立ち尽くしていると、混乱の煙の中から、一人の少女が飛び出してきた。
「このクズ! 坂上真一! お前も御用だ!」
ビシッ、と十手が目の前に突きつけられる。
年の頃は20歳(はたち)そこそこ。勝ち気そうな瞳が、こちらを心の底から軽蔑して睨みつけている。
(…坂上真一?)
坂上(50)は、初めて「自分」の状況を理解した。
彼は、自分と同じ名前の「誰か」になっている。
「坂上真一、か。…同姓同名だな」
冷静に、状況把握(ファクト・チェック)を試みる。
「すまないが、君の名前は?」
十手を構えた少女は、この世の終わりでも見るかのように目を剥いた。
「はぁ!? 早乙女蘭(さおとめ らん)だよ! ボケてんのか!?」
(早乙女蘭…)
その名前をトリガーに、坂上(50)の脳内に、他人の「記憶」が濁流のように流れ込んできた。
(…江戸時代。田沼意次の治世。北町奉行所。同僚の早乙女蘭。上司、平上雪之丞。奉行、井上白長…そして、俺…坂上真一、20歳)
(…成る程。この「坂上真一」という輩は、相当なクズらしい。潜入捜査を理由に賭博に入り浸り、負けそうになれば仲間(蘭)を呼んで場を潰す…しかも…)
ごわごわした着物の襟元がはだけ、己の胸元が見えた。
肌に刻まれた、青黒い模様。
(…背中に仁王の入れ墨。非合理的の極みだ)
坂上(50)は、深く(見えない)ため息をついた。
艦長として、統幕の幹部として、数々の修羅場を越えてきた。
だが、これほど「最適化」から程遠い状況は初めてだった。
「おい真! 聞いてんのか! ふざけてないで、とっとと縄につきやがれ!」
蘭が、苛立ち紛れに叫ぶ。
坂上(50)は、すっと背筋を伸ばした。
50歳の海佐としてではなく、今、この場を切り抜ける「坂上真一(20)」として。
「蘭殿」
「…は? ど、殿?」
彼は、イージス艦のCIC(戦闘指揮所)で指示を出す時と、寸分違わぬ冷静な声で告げた。
「俺は賭博に潜入していて、情報を抜き取っていたのだ」
「な…」
「今宵もこうやって、君たちの手入れのタイミングを計り、賭博を片付けた。作戦(ミッション)完了だ」
「はぁぁぁぁ!?」
早乙女蘭は、聞いたこともない「カタい」言葉と、見たこともない「真面目な」顔で言い放つクズ(同僚)を前に、完全にフリーズした。
坂上真一(50)の、江戸での最初の一日が、今、始まった。
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