第10話 声にのせる記憶

 図書館の掲示板に、小さなポスターが貼られた。

「朗読会のお知らせ——詩集『風のあとに残るもの』より」

 日付は、来月の第一土曜日。時間は午後三時。

 その下には、シャーロット・アシュフォードの名前が、丁寧な筆記体で記されていた。

 紫郎は、ポスターを見つめながら、静かに息を吐いた。

「いよいよですね」

「ええ。少し緊張していますが……兄の言葉を、誰かと分かち合えることが嬉しいのです」

 シャーロットは、カウンターの奥で朗読の練習をしていた。

 彼女の声は、柔らかく、けれど芯のある響きを持っていた。

 その声が、図書館の空気に溶け込んでいく。

 —

 ジュリアは、いつもの座布団の上で丸くなっていた。

 けれど、時折シャーロットの声に反応するように、耳をぴくりと動かす。

「ジュリアは、詩が好きなのかもしれませんね」

「ええ。彼女は、静かな言葉に敏感です。まるで、心の音を聞いているようです」

 紫郎は、シャーロットの朗読を聞きながら、ふと自分の心が少しずつほどけていくのを感じていた。

 それは、誰かの声に身を委ねることで、自分の痛みが静かに癒されていく感覚だった。

 —

 朗読会の準備は、図書館の職員や常連の来館者たちの協力もあり、順調に進んでいた。

 椅子の配置、マイクの準備、詩集のコピー——

 紫郎は、ホテルマンとしての経験を活かし、細部まで丁寧に整えていった。

「式部さんは、本当に頼りになります」

「いえ、僕は……シャーロットさんの声が、きちんと届くようにしたいだけです」

 シャーロットは、少しだけ目を伏せて、静かに言った。

「……私、式部さんの声も好きです。いつも丁寧で、優しくて、安心します」

 紫郎は、言葉を失った。

 けれど、その沈黙の中に、確かな想いが流れていた。

 —

 その夜、紫郎は居間のソファーに座り、ふと詩集を開いた。

 そこには、シャーロットが朗読する予定の一篇があった。


 あなたの声が

 風に乗って届いたとき

 わたしは、もう一度歩き出せる気がした


 彼は、そっとページを閉じた。

 そして、静かに思った。

“この図書館は、記憶の場所だった。けれど今は、未来の始まりになろうとしている”

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