第8話 旅人と猫

 その日、図書館には珍しく県外からの来館者があった。

 年配の男性で、杖をつきながらゆっくりと館内を歩いていた。

 紫郎はカウンターからそっと様子を見守っていた。

「こんにちは。何かお探しですか?」

「……ああ、昔この図書館に通っていた者です。懐かしくて、ふらりと立ち寄りましてな」

 紫郎は微笑みながら、椅子をすすめた。

 ジュリアが、ゆっくりとその男性の足元に寄っていく。

「おや……この猫は、昔からいましたか?」

「いえ、ジュリアはここ数年の住人です。けれど、皆さんに愛されております」

 シャーロットが、奥から現れた。

 彼女は、男性に丁寧にお辞儀をし、静かに言葉をかけた。

「ようこそお越しくださいました。わたくし、ボランティアでこちらにおります」

「これはこれはご丁寧に。外国の方ですか。ご出身はアメリカ? それともイギリス?」

「イギリスです。兄がこの地に縁がありまして……」

 男性は、ふと目を細めた。

「……もしかして、アシュフォード君の妹さんか?」

 シャーロットは驚いたように顔を上げた。

「兄をご存じなのですか?」

「ええ。彼は、よく詩を書いていた。わしも、何度か話をしたことがあります。静かで、優しい青年でした」

 シャーロットの瞳に、静かな光が宿った。

 紫郎は、その横顔を見つめながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。

 —

 その午後、三人は読書室で静かに語り合った。

 ジュリアは、男性の膝に乗り、まるで昔からの知り合いのように喉を鳴らしていた。

「人は、誰かの記憶の中で生き続けるものですな。君の兄さんも、きっとこの図書館の風の中にいますよ」

 シャーロットは、そっと頷いた。

「……ありがとうございます。私、少しだけ、前に進めそうです」

 紫郎は、彼女の言葉に静かに寄り添った。

 そして、ふと思った。

“人との出会いは、記憶をつなぐ橋なのかもしれない”——

 —

 夕暮れ、男性はゆっくりと図書館を後にした。

 シャーロットと紫郎は、並んでその背中を見送った。

 ジュリアが、座布団の上で丸くなりながら、静かに目を閉じた。

 その姿は、まるで「今日も、よい一日でした」と告げるようだった。

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