10 名乗るほどのモンじゃぁございやせん


 チバが入院してから二週間ほどが経過していた。


 医者をして『驚異的な生命力だよ』と言わしめるほどの回復力を見せたチバは、既にリハビリをある程度こなしており、通常の運動であれば全く問題ない程度にまで復帰している上、銃創も完全にふさがり、傷跡は残ってしまったが、激しい運動をしても傷口が開く心配もなくなったらしい。


 というわけで、本日はリハビリルームの奥にある武道場を利用する事にしたのだ。


 蛍人イィンレンにとって荒事というのは切っても切り離せぬもの。

 何故なら蛍人イィンレンの本懐は海龍島ハイロンダオ地下部ダンジョンに潜り、各階層の健全化を行いながら、海龍島ハイロンダオを襲った災害である異層の原因究明と再発防止のための情報を得る事である。


 ダンジョンに潜るとなれば緑氷獣リュービンショウなどとの戦闘は避けられないし、今では蛍盗イィンダオという厄介者も少なからず存在している。


 そんな状況で、まずは自分の身を守るためにも、武術の心得というのは持っていて損はないという話だ。




「初めて入る場所だけど、どんなもんなのか……」


 手前の更衣室で訓練着に着替えたチバは、武道場の引き戸の前で一度深呼吸を挟む。


 おそらく、その奥に広がっているのは武術の訓練に勤しむ蛍人イィンレンばかり。


 そこへ踏み入れるのに、ふざけた態度や心持ちではよろしくない。

 チバは精神を集中させ、澄んだ心で引き戸を開いた。


「頼も――」


「っんだ、テメェ、その目はァ!」

「反抗的な態度、指導ォ!」


 引き戸を開けた瞬間、聞こえてきたのは武道の精神の欠片もない声であった。


 武道場の中は結構広く、手前にあったリハビリルームと同程度の敷地を持っている。


 リハビリルームには各種の器械が揃っており、数十人からの入院者が同時に利用しても問題ない様に出来ている。


 その条件を満たすには、ある程度のスペースがなければまともに運用できないのだが、同程度の広さを持つ道場というのも、リハビリルームと同じくらい重要視されているのも窺い知れる。


 だが、現在そこを利用しているのはたった五人のみ。


 道場の隅で二人を囲むように三人が立ち、相対している二人には遠目からでも体格差が把握できた。


 一人は大男。そしてもう一人は少年。


 日系人らしい大男は、浅黒い肌の少年を前に下卑た笑みを浮かべつつ、うずくまっている少年を床に転がすように蹴とばした。


「こんなガキが相手じゃ、訓練にもなりゃしないなぁ」

「このっ……!」


 少年の方も負けん気が強いのか、どれだけ体格差があっても勝負心が消えることはないらしい。


 蹴とばされた直後には起き上がり、睨みつけるように大男を見据える。


 そんな態度が気に入らないのか、大男を含め、周りの男たちも少年に罵声を浴びせていた。


 それを見て、チバは呆れたようにため息を吐く。


「あー……なんというか」


 引き戸を開ける前の静謐せいひつな気持ちも、どこかへ吹き飛んでしまった。

 まさかこんなところでも、こんな光景を目の当たりにするとは。




 事実として、海龍島ハイロンダオでは人種差別がある。


 悲しい事ではあるのだが、人間が複数人集まればそこに差異が生まれ、上位の者が下位の者をおとしめるという状況は、古今東西で耳が腐るほど聞いてきた話だ。


 そしてその上下関係というのは個人の資質だけを原因に決まるわけではなく、個人が持つ家族や友人との関係から始まり、歴史的背景や現在の世界状況までもが奇妙に絡みつき、出来上がってしまう。


 海龍島ハイロンダオでは白九龍パイクーロン社の影響も強いためか、大陸にルーツを持つ華人が頂点にあり、次いで韓人、日系人、そして最下位に東南アジア系の人々が位置してしまっている。

 これは東アジア経済圏連合の縮図とも言える関係性であり、大陸でも同様の差別は存在していた。


 連合内では、こういった人種間の差別を失くすような動きも活発ではあるのだが、悲しいかなここは海龍島ハイロンダオ


 一般世間とは切り離されている世界でありながら、島外の習慣を引き継いでしまっている面もある。


 また自浄作用も薄いので、状況が改善される見込みは薄い。




 見たところ、少年を囲んでいる男たちは全員日系人。

 そして少年は東南アジア系であろうか。


 日系人の彼らも華人や韓人に弾圧される場面もあるだろうに、その腹いせを自分たちより辛い立場の人間にぶつけるなどと、下劣極まりない行為である。


 その点、どれだけ人数差、体格差、力量差があったとしても、決して戦意を失わない少年の、何と勇敢なことか。


 仮に彼らに人種間のいざこざを超える複雑怪奇な事情があったとて、チバは少年の味方をしようと決意したのだった。




「ガキが、いい加減テメェの立場ってのを理解しろよ」


 少年に対し、大男は威圧するように見下しながら、イラつきを隠そうともせず顔をゆがめる。


「反抗的なのはよろしくねぇよなァ? 蛍人イィンレンにもなりきれてねぇ半端モンがよォ」

「お前たちみたいに、まともにダンジョンにも潜れず、弱いものイジメしか出来ない連中になるなら、死んだ方がマシだ!」

「言うねェ……」


 大男の瞳に嗜虐心しぎゃくしんではなく、殺意に近い炎が灯る。


 先ほどは少年を押し倒すぐらいのつもりで蹴りを放っていたが、次は踏み込みからして違っていた。


 まるで少年を踏みつぶしてしまおうか、とでも言うかのような、強烈な前蹴り。

 しゃがんでいる少年にとっては、その顔面にクリティカルヒットする位置である。

 何の防御もしなければ、本当に踏みつけられて潰れてしまいそうであった。




 だが、そこに横槍が入る。


「はい、ストップ」




 文字通り横から入ってきた茶々は、当然チバによるもの。


 二人の周囲に陣取っている連中にも気取られず、素早く二人の間に割り込み、大男の蹴りを横から蹴り飛ばすようにして妨害する。


 結果、前蹴りはあらぬところに着地し、大男はバランスを崩してよろめいていた。


「な、なんだァ?」

「見てらんねぇんだよ。同郷のモノとしてさ」


 動揺する大男を前に、チバは少年を庇うように立つ。

 相対してなおさら実感するが、大男はかなりの体格を持っていた。


 二メートル近い身長に、分厚い筋肉。

 本土であれば立派なスポーツマンであったのかもしれないな、などという来歴が推察出来てしまうほど、肉体は出来上がっている。


 それなのに、そんな肉体を使ってすることがイジメとは。


「嘆かわしいね。訓練の相手が足りないなら、俺の相手をしてくれんか?」

「なんだ、テメェ、誰だ?」


「名乗るほどのもんじゃございませんよ。アンタらだって、それだけ動けるんだ。もうすぐ退院だろ? 多分、もう会う事もない」

「なにィ……?」


 乱入してきたチバに対し、大男が剣呑けんのんな雰囲気を漂わせ始めたことによって、ようやくといった風に周りの男たちも対応を始める。


 取り囲んでいた輪をもう一段階狭め、いつでも大男の助太刀が出来るような間合いを取ったのだ。


 周りの男たちも、チバが誰にも気取られずに乱入したことにより、その力量の一端を思い知っただろう。


 空気のピリつきは相当なレベルに達したが、本当の死地をくぐったチバにとっては、こんな状況も子犬とじゃれる程度にしか感じない。


「来いよ、アンタらがどの程度の蛍人イィンレンなのか、確かめてやる」

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