第9話:第1回ダンジョン課外授業 後編
黒い渦に入った瞬間、景色が変わった。はじめてダンジョンに入ったのは明日翔だけではなかったらしく、全員が声をあげている。
梅田地下街にいたはずなのに、今見えているのは土壁に土の天井。壁にはところどころに光る鉱石のようなものが埋まっており、ダンジョン内を照らしている。
だが、構造には見覚えがあった。
先程居た泉の広場のように円形に開けた広場に立っており、そこから二方向へと通路が伸びている。
「これがダンジョン……」
明日翔の言葉に、理事長が頷きを返した。
「二方向に分かれていますが、ダンジョンの主はこっち方向です。大阪駅前ビルの方角ですね」
「ビルの中にいるんです?」
「いえ、あくまでも方角というだけです。あっちの道をずっと真っ直ぐ行けば、主がいると思います」
言葉尻だけを捉えれば自信がなさそうに感じられるだろうが、理事長の声音は自信に満ちているように明日翔には感じられた。
理事長には、なにかの気配を辿る力でもあるのだろう。
そう納得し、明日翔は頷くことにした。
「では先程説明した通り、ダンジョンを進んでいきましょう」
「わかりました」
「同じ前衛同士、よろしく頼むよ柊管理人」
「ああよろしく頼むぞ、優花」
明日翔は腰に差していた剣を引き抜き、理事長の示した方角へ進み始めた。
洞窟のようになっているだけあり、空気が重く薄く感じられる。元々地下なのだから、空調設備がなければこのようなものだろうが、それでもこの冷たく尖ったような空気は、異質だった。
歩を進めるだけで、気が重くなっていくのを感じる。
ため息を吐きそうになったと同時に、何かの咆哮のような音が聞こえた。目の前を注視する。
「お前ら構えろ」
明日翔は言いながら剣を構え、目の前を注視した。先程の咆哮の主は、四足歩行の獣のように見える。猛スピードで突進し、こちらへと近づいていた。
ハッキリとその姿を視認できたときには既に間合いに入られており、剣を振るう。ケモノは剣心を前足の爪で蹴り、後方に跳躍。
大型の野犬のようでありながら、額に赤い宝石のようなものが埋め込まれた未知の生物が、明日翔達を睨んでいる。
「あれがケモノ……」
優花がぽつりと呟くと同時に、明日翔が地面を蹴った。一瞬で敵の懐に入り込み、ケモノの爪を掻い潜り、薙ぐ。今度は前足に掠り、血が流れる。
ケモノは血を流しながら飛び退いた後、上空に跳躍した。
「優花!」
振り返ることはせず声を張り上げると、「すまない!」と声が聞こえてきた。同時に炎が飛んできて、ケモノの体を焼いていく。
この世のものとは思えないような唸り声をあげながら焼け焦げていくケモノの体を、明日翔は容赦なく両断した。
血しぶきが舞い、明日翔の髪やスーツを汚していく。
「ふう……なんとかなったな」
「すまない柊管理人、呆けてしまっていたね」
「いや上出来だ」
「管理人さんなかなか強いですねえー!」
「昔取った杵柄だ」
教頭のマネをしてみせると、魔法傷女たちの顔つきがほんの少しだけ緩んだようだった。
(これでいい、緊張しすぎて動けないよりは)
剣に付着した血を払い、再び前へと進む。血で髪とスーツがベタついているのが気になったが、どのみちこれからまた血を浴びることになるのだからと、今は放っておくことにした。
「皆さん、先程の説明は一旦忘れてください」
突然、後ろから理事長の凛とした声が響いた。
「どの説明です?」
「記憶とか思念とかの話です。ここの主はもう自我が無く、手遅れのようなので」
「なるほど……そうなると記憶も思念も流れ込んでこず、助けることもできないと」
「その通りです」
明日翔は、管理人になってから最も大きなため息を吐いた。辛い記憶だろうと、流れ込んできたほうが幾分か気分が良かっただろう。
これから対峙する相手は、元は人間だったのだ。自我がなくなってしまったマモノは、元には戻らない。
だから、殺さなければならない。
隣にいる優花の強張った顔を見て、明日翔は自身も顔に影を落としながら彼女の背中を叩いた。
「安心しろ、お前達にはやらせない」
明日翔が言うと、優花は眉をハの字に曲げて、静かに頷いた。
しばらく歩いていると、ただ真っ直ぐに歩いていくだけで、ケモノが何体も襲ってきた。全てを明日翔が両断し、優花とユラが自分たちの仕事がないと申し訳なさそうに言いながら、どこかホッとしたような声を出す。
そんなやり取りを何度かしたところで、それは唐突に現れた。これまでとは違う明らかな人型。
だが、明らかに人間ではないとわかる異形だ。腕があらぬ方向に折れ曲がっており、顔には目が4つ付いている。ほかは人間の特徴と同じだが、あれがこのダンジョンの主であるマモノだということは誰の目にも明らかだった。
セーラー服を着ており、体つきも女性的。魔法傷女の成れの果てであるということが、よくわかる外見をしている。
明日翔は彼女を注視しながら、深く息を吐いた。
「俺が前に出る。優花たちはサポートに徹してくれ」
「任せてもいいですか? 柊管理人さん」
「理事長の手は煩わせませんよ。どうせ知ってるんでしょう?」
「ええ、それと釈迦に説法だとは思いますが、狙うなら首です」
首を傾げる優花たちに向けて、理事長が説明を始めた。明日翔はそれに全く耳を傾けずに、目の前のマモノにだけ意識を向ける。マモノは、人間が死ぬようなダメージを負っても死なず、再生する。マモノを殺すには、首を切り離す必要があった。
姿勢を低く落とし、切っ先をマモノの首に向ける。
「悪く思うなよ」
言いながら、地面を蹴った。
『来ないで』
誰かの声が、脳内に響く。明日翔は、この声の主が誰かを知っていた。目の前にいるマモノを置いて、他にはいない。完全に自我を失っているはずだが、ハッキリとした意志を持っているかのような声色だ。
(俺は知っている。自我を失っているのは表面上だけで、実際は奥に秘めているということを)
明日翔が懐に飛び込もうとした瞬間、地面が隆起した。咄嗟に地面を強く蹴り、前へ跳ぶ。
『来ないでよ……!』
先程まで明日翔が立っていた場所に、尖った土の柱が現れた。彼女の恐れが、地面に伝播しているようだと明日翔は思った。彼女が使っている土魔法の元となったトラウマ感情は、恐れだ。拒絶するかのような彼女の震える声を切り裂くように、マモノの懐に入って一閃。
血を流し後ずさる彼女に追いすがり、胸を剣で貫く。そのまま捻ってさらに深く突き刺し、一気に引き抜いた。血飛沫とこの世のものとは思えないような咆哮を浴びながら、明日翔は飛び退く。地面から土の塊が飛んできた。剣で撃ち落としながら、足元の僅かな揺らぎを感知して隆起を避け、切っ先を相手に向けて引き金を引く。
すると理事長の説明の通り、真っ赤なエネルギー弾が射出され、相手の右足を貫いた。あっという間に再生していく足に再度エネルギー弾を打ち込みながら、再び間合いを詰める。
『どうして、どうして私を置いていったの! お父さん……お母さん……私を一人にしないで!』
「安心しろ、お前はもう一人にはならない」
彼女のトラウマの正体がわかるような言葉に一瞬だけ躊躇ったが、明日翔は唇を噛みながら彼女の首を斬った。硬いものに当たった感触がして、思い切り圧し斬り、マモノの首を飛ばした。
『……ありがとう』
断末魔の代わりに脳内に響いたのは、そんな言葉だった。気分が悪くなりながら、剣に付着した血を払い、輝く砂と化して崩れゆくマモノの最期を見届けた。剣を腰に差したところで、周囲が崩れていく。
主を失ったダンジョンが、消えようとしていた。
「柊管理人さん、お疲れ様です」
「はい」
「本当に強いんだね、柊管理人は」
「すごかったですよお!」
目をキラキラと輝かせる真理を見て、明日翔はいつものように苦笑した。
「ああそうだ、戻ったらみんなで俺を囲んで歩いてくれ」
「そうだね、その格好は目立ちすぎるね」
クスクスと笑う優花に微笑みを返し、明日翔は血で塗れたスーツを見てため息を吐いた。
一張羅なのに、と。
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