第2話:魔法傷女特別学級

 魔法傷女寮に来て2日め、朝食を作っていると、優花が申し訳なさそうに目を伏せてキッチンに来た。


「昨日の二人の態度、代わりに謝罪するわ」

「ん? ああ……」


 昨晩は、オムライスとサラダ、オニオンスープを作った。優花は美味しそうに食べていたし、実際に美味しいと感想を口にしてくれた。

 だが、二人は仏頂面で食べていた。元気な真理すら、優花が食べるまで手を付けようとせず、時折なにか言いたげにこちらを見ては目を伏せていた。

 思い返して、明日翔は苦笑した。


「初日だしな、警戒するのは当然だ」

「叱っておくわ」

「いや叱らなくてもいい」

「……だけど正しくないから」


 唇を尖らせる優花がおかしくて、明日翔はまた苦笑を浮かべ、彼女に食器を手渡した。トーストとサラダと目玉焼きが載った皿を目を輝かせて眺めながら、優花は「まあいいけど」と食卓に運ぶ。

 全員分の食器を運び終えて、優花が二人を起こした。それから朝食を摂ったが、やはり仲睦まじくとはいかない様子だった。


 身支度を整えて、玄関に集合する。


「さあ柊管理人、登校しようか」

「そうだな」


 魔法傷女寮規則。

 少女らだけで、寮の外に出てはならない。寮の管理人が担任教師も兼ねるのは、この規則のせいだ。

 いやに厳しい規則だ、と顔を顰めていると、優花がローファーを履いて玄関扉を開けた。


「厳しいけれど、魔法は危険だもの」

「でもでもお! 超広い庭あるしい! ゲームも最新機や最新作がすぐ支給されるしい! 退屈はしないかなあ」

 

 昨晩のあの態度はなんだったのか、と思うほどに真理が元気いっぱいに笑みを向けてきた。彼女なりに態度を反省したのか、はたまた優花に叱られたのか。

 (後者だろうなあ)

 朝日に目を細めながら、寮を施錠する。

 邸宅という大きな外観だが、あれほどまでの広い庭園があるのはやはりおかしく思える。まるで異空間だ。

(そんな属性の魔法なんかあったか?)

 しかし、わからないことを無駄に考えても仕方がないとの昨晩の自分の言葉を思い出し、頭を掻いた。


 しばらく校舎に向けて歩いていると、優花がため息を吐いた。それからすぐに、男子生徒を引き連れた胸の大きな女性が姿を現す。

 驚いたのは、その大きな胸を放り出すかのように、胸元のボタンが3つほど開かれているということだった。


「あら、魔法傷女寮の新しい管理人さん?」


 胸元を大胆に開けた女性が、長い黒髪をかき上げながら話しかけてきた。砂糖菓子が蕩けるような声に、思わず眉間にシワが寄る。

 ふと、髪をかき上げた拍子に、内側に赤色が見えた。大胆に開けた胸元といい、インナーカラーといい、まるで教師には思えない姿だ、と明日翔は益々眉間にシワを寄せた。


「はい、柊明日翔です」

「私は魔法傷年寮の管理人、橘愛璃たちばなあいりよ、よろしくね新人さん」


 愛璃は、目を細め、口元に手を当てて微笑む。その笑みが、妙に妖艶に思えて、明日翔は咄嗟に目を逸らした。

 何かが気に障ったのか、ユラが舌打ちをしている。


「今日の1時限目、魔法傷女学級は分類学ね」

「分類学?」

「魔法の分類に関する説明ね」


 愛璃が続けた説明によれば、新しい管理人が就任したときの、恒例なのだそうだ。

 男子生徒たちの「長く続かねえから聞き飽きるんだよな」という、不満の声が聞こえた。


「前の管理人ってどれくらい続いたんですかね」

「ん~、前は1週間、その前は2ヶ月、結構続いたほうね」

「2ヶ月でですか」

「さらに前は最高記録! 1年続いたのよね~」


 最高記録が1年とは、離職率のあまりもの高さに驚かされる。

 なおも「その前は~」と続けるつもりらしい愛璃の前に掌を向けて、頭を振った。


「いやもういいです」

「ふふ、辞めないでくださいね、明日翔さん」

「努力しますよ」


 そうこうしているうちに、校舎に着いた。当たり前のことだが、一般生徒が大勢いる。彼ら彼女らは、昇降口で友人たちと笑い合ったり、恋人なのか手を繋いで登校したりと楽しそうだ。

 当然、彼ら彼女らは魔法を使えない。

 一般人の中に魔法を使える存在が紛れて生活をするということが、どのようなことなのか、思い知らされるようだった。

 思い出すのは、昨晩も読み込んだ魔法傷女寮規則。

 魔法の存在を知られてはならない。

 (そりゃあ、そうだよな)

 大人数で屈託なく笑い合う男女の姿を見ていると、自分たちは異分子なのだと、思い知らされるようだった。

 

 愛璃と優花に案内されるがまま、教室に着いた。一般教室がある東棟ではなく、特別教室のある西棟の3階突き当り。嫌に離れた場所にあった。

 寮も校舎から離れており、教室も離れている。

 関係者以外誰もいない廊下に、自分たちの足音だけが響くのが妙に心地悪かった。


「教室はお隣なので、またなにかあれば声かけてくださいね、明日翔さん」

「それはもちろん」


 愛璃に会釈をして、教室に入る。普通の教室と同じように、いくつもの椅子が並べられているが、座るのは3人だけ。

 中央あたりの席に3人で固まって座るのは、寂しい光景だった。

 着席と同時に、チャイムが鳴る。


 (さあ、元気よくやっていくか、管理人兼担任の先生を)

 深く息を吸って、教壇に両手をついた。


「そんじゃ、朝のショートホームルームを始めるぞ」

「やる気なさそお!」

「失礼な、今気合い入れ直したところだぞ」

「そういうふうには見えないですわ」

「今日は近年稀に見るハイテンションな日なんだが……」


 どうやら、明日翔のやる気は伝わらなかったようだ。無理もない。明日翔は常に、気だるげな雰囲気を纏わせているのだから。

 本人も自覚しているが、元気よく宣言したつもりだったため、がっくりと肩を落とす。


「点呼……は要らないな」

「全員一緒に登校する決まりだからね」

「連絡事項……は初日だし俺が知りたいくらいだな」

「ですわね」

「……あれ? 話すことなくね?」


 明日翔が顎に手を当てながら首を傾げると、教室は静まり返った。明日翔は「あはは」と乾いた笑いを零し、「じゃあ」と軽く右手を挙げ、また教壇の縁に戻す。


「ここで衝撃の事実をひとつ……実は俺は教員免許を取得してないんだ」

「え」

「はあああ? じゃあなんでここにいるんですの!?」


 絶句したように頬を引き攣らせる優花に、目を見開いて声を荒げるユラ。満足のいくリアクションに、思わず口角が緩んだ。


「成績優秀だったし、一応難関大学に入ってたんだぞ」

「ですが中退したのでしょう?」

「おう」


 胸を張ってみせると、優花が「ふふっ」と息を漏らした。


「胸を張って言うことではないね」

「まあ、そんな感じだが、教えるべきことは教えるつもりだ」

「説得力がありませんわ……本当、なんで採用されたのかしら」

「理事長と俺の後見人が親戚だそうだ」

「縁故採用だあ!」


 自己開示をしたおかげか、教室の雰囲気は和やかだ。優花以外の二人の態度も、昨日より随分と好ましい。確かな手応えを感じながら、ショートホームルームが終わり、程なくして1時限目が始まった。

 愛璃が言った通り、ほかの教員による魔法の分類学の授業だった。これは生徒に向けたものというよりも、管理人である明日翔に向けたものだろう。

 明日翔は教壇の隣にあった自身のデスクではなく、敢えて生徒側の席に座ってみた。優花の隣だ。


「おや柊管理人、今だけ生徒になるのかな?」

「今だけはな」

「ふふ、歓迎しよう」


 教壇に立った壮年の男性教員が、コホンと咳払いをした。


「教頭の深神博士みかみひろしです」

「あ、新人管理人の柊明日翔です」

「よろしくお願いしますね、柊くん……では早速、魔法の分類について現在判明しているところを――」


 正直、深神教頭の講義は明日翔にとっては退屈だった。管理人の業務にあたるため、事前に調べていた内容とほとんど変わらなかったからだ。

 現在の魔法の属性は、炎・水・風・草・土・雷・氷・聖・性・魔・闇・光・無に分類される。

(改めて思うが、多いな)

 紐づくトラウマ感情は、順番に怒り・悲しみ・喜び・嫌悪・恐れ・驚愕・冷静・幸福・快楽・憎悪・絶望・希望・諦念とされている。もっとも、無属性の諦念については諸説ある。

 

(諦念派閥と無感情派閥と、全感情のオーバーフロウによって開いた心の穴派閥が争ってるんだったか)


「というわけで、今回の分類学の講義を終えます」

「ありがとうございました」


 挨拶すると同時に、チャイムが鳴った。タイムキープは完璧。流石は教頭といったところだろうか。

 退屈な1時限目の後は、古典の授業だ。優花に現在どこまでやったのかを教えてもらい、明日翔が教壇に立つ。


「さあて楽しい楽しい源氏物語の時間だ」

「管理人さんが言うと楽しくなさそおですね!」

「そう言うなって」


 教頭のマネをして、コホンと咳払いをして話し始めた。


「夕顔はあれだ、簡単に言えば身分の高い女性との付き合いに疲れちまった光源氏が、夕顔という親しみやすい女性に誘惑される話だな」

「……っ」

「光源氏はクズですねえ!」

「現在の価値観に当てはめるのは正しくないよ」


 めいめいに反応を示しているが、ユラの反応が妙だったことを明日翔は見逃さなかった。目を大きく見開いたかと思ったら、青い顔をしている。他二人は気がついていないのか、真理の発言に優花が呆れ笑いしながらツッコミを入れており、和やかに見える。

(ちょっと突いてみるか)

 教科書を開き、三人の顔を注視する。


「夕顔は一見親しみやすい素朴な女性のようだが、あの世の中で渡り歩いてきただけのことはあって、結構強かなんだ」

「時代が時代だからね、むしろ庶民ほど強かかもしれないな」

「百戦錬磨の手練で、光源氏を誘惑したわけだ」


 また、ユラの顔色が一層悪くなったように見えた。唇を震わせ、寒がっているかのような反応を示している。

 さあもっと刺激してみようかと口を開こうとした――。

 その瞬間、ユラの足元から太い茨が何本も湧き出て、反応する間もなく教室の床、壁、天井をビッシリと這った。


「ユラ!?」


 真っ先に反応したのは、優花だった。虚ろな目をしているユラの肩を掴み、名前を呼んでいる。


「誘惑なんて……ダメなのですわ!」


 叫んだ瞬間、茨が明日翔の顔面めがけて飛んできた。


「……ッ! 柊管理人!」


 明日翔は顔色ひとつ変えず、茨を躱し、アッパーを見舞う。太い茨がボロボロと崩れ落ちた。

 トラウマの刺激による魔法の暴走。はじめて見る事象だったが、なんとなく理解した。ユラにとっては、誘惑という行為が心の傷なのだと。

 それに軽々しく踏み込んだことへの罪悪感を抱かないわけもなく、明日翔は次々と襲い来る茨を躱し、必死の形相でユラの両肩を掴む。


「しっかりするんだ、呼吸に集中しろ」

「管理人さん?」

「ひとつ、ふたつ、心のなかで数えながら息を吸って吐き出すんだ。自分の呼吸の音と、俺の声にだけ耳を傾けろ」


 ユラは震える唇をゆっくりと開け、息を吸い込んだ。真理が背中を擦り、明日翔がひとつふたつと数えていく。

 少しずつだが、唇の震えが弱くなっていき、襲ってくる茨の本数が減っていく。


「いいぞ、そのまま、そのまま」


 時計の分針の音が6回聞こえた頃、ユラの震えが完全に止まった。目には生気が宿り、教室中を覆い尽くしていた茨が跡形もなく消えた。

 ユラは目を伏せて、未だに落ち着かない呼吸を少しずつ落ち着けようとしているのか、何度も深呼吸をし、それから顔を上げた。


「申し訳ありませんでしたわ……私としたことが」

「いや、悪いな、何がトリガーとなるか俺は知らないんだ」

「いえ……」


 流石に授業をこのまま続けるわけにはいかず、夕顔の解説は中止になった。試験にも出さないから安心しろと言うと、ユラは弱々しく笑った。

 その笑みを見て、明日翔はパン、と手を叩く。

 

「よし、ここからは雑談タイムにしよう」

「じゃあ質問があるのだけれど、いいかな?」

「なんだ優花」

「あの身の熟しは一体なんなんだい?」


 明日翔は「あー」と苦笑しながら、後頭部を掻いた。


「昨日言ったろ? 独学の武術だ」

「なるほど……?」

「慣れてましたねえ、異常事態に! 管理人さんが採用された理由がわかった気がしますう!」

「それはどうも」


 それから、明日翔は質問攻めにあった。質問をしていたのは、主に優花だったが。

 なぜ管理人になったのかという問いには、他の職に就けなかったからだと答えた。なぜ中退したのかという問いには、黙秘権を貫いた。

 そうこうしているうちに、授業終わりのチャイムが鳴る。


 それからの授業は、何も変わったことがなく、平穏無事に終わった。

 

 帰宅後、自室のデスクでノートにペンを走らせる。昔から使っているトラベラーズノート。考えを整理したいときは、いつだって手書きのノートに文字を書いていた。


(今日のユラの様子……トラウマを刺激するにしても、やり方に気をつけないとな)


 直接的なキーワードを出したり、追体験させようとしたりするのは危険だろう。

 周囲に被害が及ぶのはもちろん、魔法傷女たち本人にとっても負担が大きすぎる。それだけの痛みを負う必要があると言ってしまえばそれまでだが、抑えられるなら抑えたかった。


「わかっていたが、管理人も楽じゃないな」


 ぽつりと独り言ち、トラベラーズノートを閉じる。

 それから立ち上がり、頬をパチンと叩いた。


「さて、夕飯作るかね」


 まだじんじんと痛む頬の感覚を自嘲しながら、今日は何を作ろうかと思案し、結局ビーフシチューを作ることにした。

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