第11話 奥平梨沙

 まとまりのない今岡の考えが、あの会社では冴木の人柄を代表しているのなら、なんで美紗和さんが勧めたのかさっぱり判らん。更に美紗和さんに言われも、そこに行く用事は冴木が握っていて単独ではまだ無理だ。

 自室に戻ると隣からチェロの響きが聞こえてきたが音楽、特にクラッシックに関してはまったくの素人だ。誰の何の曲か判らないが心に染みた。一番奥の冴木さんの隣が山上で、その隣が今チェロを弾いてる奥平梨沙、小野田美由紀、岸部憲和と続いている。暫くしてチェロをケースに入れて部屋から出て来た。それに合わして、切っ掛けを作ろうとして山上も部屋を出た。当然表でかち合わす。

「良い曲ですね」

「聴いてたんですか」

 いや、聞こえていた。聴けば練習場を管楽器の連中に占領されて、これから練習にまた大学に行くそうだ。芸大は知らないと関心を示すと、じゃあ一緒に来ればとなった。

「でも年食ってるから目立つんじゃない」

「まだ二十八でしょう。それに山上さんは若く見えるわよ」

 何処まで真に受けて良いか掴みにくい子だ。二人とも部屋を出てダイニングルームを取りまく廊下を伝って行った。

「此の吹きに沿ってる回廊は、今日はいいけど休みの日は目立つわね」

 それでも梨沙は満更でもないと颯爽と歩いて行く。オートロックは出るときはそのまま閉めれば鍵は要らない。なんか本当に鍵がかかったのか気になるが、梨沙も初めは何度ももう一度、開かないドアノブを廻してチェックしたそうだ。

「これって、良く冴木さんが変えたもんだねぇ」

「先生は面倒くさがりや、でも便利な物は何でも採り入れる人なんだから」

「でも還暦過ぎだよ」

「先生、元気ですよ。十キロは平気で歩くから」

 もちろん目的もなくブラブラ歩くときだが。

 芸大に行く北山通のバス停は、五六百メートルで十分もかからない。河原町に行く市バスのバス停は直ぐそこだが、初めて来た時は判らずに遠回りしたと、苦々しく深泥池前のバス停を行き過ぎた。

辺鄙へんぴな割には交通の便はいいですね」

「そうでしょう。大学にも河原町にも乗り換えなしで行けて、しかも途中の出町柳駅から大阪に行く電車まであるのよ」

「梨沙ちゃんは大阪?」

「ううん、そこからJRで和歌山まで行くの」

「実家は和歌山か」

「そう、紀ノ川のほとりで、冬はここみたいに寒くないから、なんせ冬は狭い部屋で暖房がきつすぎると此奴こいつに良くないからね」

 チェロケースを梨沙は撫でた。それでいつも大学に置いてる。やはりここの気候は楽器にも影響するようだ。

 二人は北山通で来たバスに乗った。大学までは五キロもない。その間にシェアハウスの面々の実家を聞いた。小野田美由紀は信州の安曇野で岸部憲和は奈良と聞いて通えば良いのにと思った。彫刻に打ち込むと通学時間が気になり、岸部は今のシェアハウスを見付けた。社会人の柳沢吉行も北原祥吾も同じ京都なのに、会社が近くて此処に決めたようだ。

 梨沙は大学の張り紙を見て色んな条件が気に入り、此処で面談して入居した。他の四人もそうらしいが入居基準が気になった。梨沙もその点は良く解らない。性格は温厚でハッキリした目的に向かっている所が入居者に共通していた。そこにいくと山上の共通点はどうなのかと聴かれてしまった。此の中では一番その点があやふやだが、美紗和さんの紹介が効いて納得したようだ。

 大学は白川通に面して、直ぐに幅の広い石段を登った先に校門がある。毎日通学する彼女はスイスイとあの大きいチェロのケースを持ったまま上まで登っていった。暫く運動不足の山上は、距離を空けられてしまって、上で待ってる梨沙に追いついて一緒に学内に入った。

 校内は山の斜面を切り拓いて作ったようで、思ったより色んな建物が建ち並んでいる。梨沙は建物の間を通り抜けて目指す建物に入った。長い廊下に教室が並んでいるのは何処の大学でも同じでも流石に芸大で、壁や柱の色やデザインが凝っている。

「ほうー、こんなモダンな校舎で習っているのか」

「エッ、山上さんはどんな大学で勉強してたんですか」

「まあ、この街では有名な国立大学だが、国の予算不足か、はたまた学ぶのに環境は必要ない。意欲の問題だと言ってしまえばそれまでだが……」

 私立と国立の教育方針の違いかと思っても、梨沙にはまったく関係ないと言わんばかりに此の環境でチェロを弾いている。

 防音室で温度と湿度も良いが、音の吸音材と反射板が交互に壁面に設置されている。これじゃあ、あのシェアハウスで弾きたがらないのも解った。

「此処がレッスン室、良く響くわよ。他の管楽器が使って、やっと空いて昼からなの。それまでに他のメンバーが揃うまでにお昼を済まさなきゃあ」

「昼は学食か」

「そんなイメージじゃなく、モダンな洋食店みたいな感じ、お昼どうします、ここで食べますか? 食べるのなら案内するわよ」

 肯くと梨沙は楽器をしまってモダンな学食に向かった。幾つかの校舎を抜けると、梨沙が言うようにモダンな店があった。室内の受付はやはり似たようなものだが、カラフルな模様の床にロココ調の凝った椅子とテーブルだ。でも食べ物はスパゲッティに好みの具材で注文できた。梨沙と似た物を注文してテーブル席に着いた。

「ほかの二人もお昼は此処で食べてるのか」

「色々、白川通にはそれこそ色んなお店があるから、あたしは昼からみんなと演奏するから」

「岸部君が彫ってる作品は見たことあるのか?」 

「みんなひと癖あって余り干渉しない。憲和が何を彫ってるか美由紀も知らないと思う」

 みんなバラバラなのか。それじゃあ個別に聞くしかないか。期限を切られている訳ではないし。まあ、良いか。

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