第29話 夏コミ~Side白~(前編)
日曜日の朝。
目覚ましが鳴る。7時。
……今日、夏コミ。
ベッドから起き上がる。リビングに向かう。
母さんが朝食を作っていた。
「おはよう、遥」
「おはよう」
「今日は?」
「……勉強しにいく」
漫画の。
と心の中で付け加える。
母さんが笑顔になる。
「えらいわね。朝から勉強なんて」
……ごめんなさい。
罪悪感が胸を刺す。でも、行かないと。
市場調査。次のコミティアで結果を出すために。
朝食を済ませて、部屋に戻る。
リュックにスケッチブックとペンを入れる。ポップのデザイン、スケッチしてこよう。
スマホが震える。蓮からメッセージ。
『今から出る』
『あたしも』
『10時、ビッグサイト集合な。一般入場だから並ぶと思う』
『わかった』
……蓮と、夏コミ。
市場調査。
なのに、なんだか少しドキドキする。
いやいや、市場調査よ。それだけ。
りんかい線、国際展示場駅。
電車を降りた瞬間、人の波に飲まれそうになる。
……すごい。
こんなに人がいるの?
改札を出る。蓮を探す。
いた。改札の前で待ってる。
「……おはよう」
「おはよう」
蓮、私服。いつもの制服じゃない。
……私服、初めて見たかも。
「すごい人ね」
「……ああ」
ビッグサイトに向かう。
人の流れに乗って歩く。みんな、同じ方向に向かってる。
入場列に並ぶ。
圧倒的な人の数。数千人?数万人?列がどこまでも続いてる。
「……これが、コミケ」
「……コミティアとは、スケールが全然違うわね」
蓮が頷く。
10時、開場のアナウンスが流れる。
歓声が上がる。
列が少しずつ動き始める。
……でも、なかなか進まない。
10分経っても、まだほとんど動いてない。
「……暑いわね」
8月の日差しが容赦ない。列の周りには日陰がない。
ペットボトルの水を飲む。もうぬるくなってる。
周りを見る。みんな、慣れた様子で待ってる。
折りたたみの椅子に座ってる人。日傘を差してる人。凍らせたペットボトルを首に当ててる人。コスプレしてる人。台車を引いてる人。業者みたいな装備のグループ。
……さすが、コミケ常連。装備が違いすぎる。
「……あたしたち、なめてたわね」
「……ああ」
「あの人たち、何冊買うつもりなんだろ」
「……俺たちも同じこと思われてるかもな」
「あたしたちはまだ手ぶらよ」
「……帰りはどうなるかわからないけど」
「あんた、買う気満々じゃない」
「市場調査だ」
「……あたしも」
お互い、目を逸らす。
……うん、市場調査。それだけ。
「……初参加丸出しでちょっと恥ずかしいわね」
「……まあ、初心者だから今回こうして勉強しに来たんだ」
「……そうね。来年は、ちゃんと準備しましょ」
来年も来る前提で話してる。ちょっと嬉しい。
しばらく無言。列は相変わらず進まない。
「……ねえ」
「こんなにたくさんの人が、同人誌を買いに来てる」
蓮が頷く。
「いつか、コミケも出してみたいわね」
「……そうだな」
蓮の目が、真剣だ。
……同じ気持ちなんだ。
10時半。まだビッグサイトの建物すら見えない。
スマホを見る。SNSで「夏コミ」と検索。
『入場待ち1時間コース』
『今年も暑いな』
『水分補給大事』
……みんな、同じ状況なんだ。
11時を過ぎた頃、ようやく入場ゲートが見えてきた。
「……あと少し」
「……ああ」
11時半。やっとホールに入れた。
冷房が効いてる。生き返る。
人の波。押される。
「っ……!」
蓮が手を引いた。
「離れるな」
……!
手。温かい。大きい。
蓮の手。
ドキドキする。
でも、離さない。離れたら、迷子になる。
そう。迷子にならないため。だから手を繋ぐの。
他意はない。
……多分。
ホールに入る。
サークルスペースがずらり。机が何百、何千。その上に本が並んでる。
「……すごい」
「……ああ」
こんなに、サークルがあるんだ。その中で、見つけてもらうのってめちゃくちゃ難しいんじゃないかしら。
どうすればいいんだろう。
……どこから見ればいいんだろう。
広すぎて、全然わからない。
「まず二次創作エリア行ってみようか」
蓮が提案する。
「あたしたちはオリジナルだけど、売れてるサークルの見せ方は参考になるだろ」
「……そうね」
まずは少年漫画の二次創作コーナーから回ることにした。
……すごい盛り上がり。
人が多すぎて、前が見えない。
人気漫画のキャラクターたちが、いろんなサークルの表紙を飾ってる。
「あ、この漫画、あたしも読んでる」
思わず声が出た。
「……俺も」
ファンが多い。列ができてるサークルもある。
ふと、一つのサークルの前で足が止まる。
表紙。あの漫画の、あのキャラクター。
でも、絵柄が……。
R18。
そのキャラクターが、すごくエロい構図で描かれてる。
え……。
あの真面目なキャラクターが、こんなことしちゃうの……?
原作ではクールで頼れる先輩なのに。表紙では顔を赤らめて、服がはだけて……。
顔が熱くなる。
ちらっと隣を見る。
蓮が、こっちを見てた。
エロ本を見てるあたしを、見てた。
「っ……!」
思わず本で顔を隠す。
「……行きましょう」
早足でその場を離れる。
蓮も何も言わない。あんたも気まずそうな顔してるじゃない。
……あたしたちも、こういうの描いてるんだけど。
でも、蓮と一緒に他の人の作品を見ると、なんか違う。
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