第23話 やがて光は雪へと変わる
シルフィアの身体が黒い炎に包まれていた。
ユキの放った光の中に閉じ込められ、かつやっちょはもがいた。部屋の様子は真上から見て取る事が出来た。
「シルフィアー!!シルフィアー!!」
何度も叫ぶが声は届かない。
「くっそ……どうすりゃいい。早くシルフィアを助けないと丸焼けにされちまう!」
相手はユキ。飛び降りた時のままのユキだった。
今のシルフィアじゃ彼女に声は届かない。
シルフィア≠ユキ。
愛を拒む事で自己を肯定してきたシルフィアと、愛を望んだ事で自己を否定するしかなかったユキ。そんなんどうやって理解し合えっていうんだ。
かつやっちょは歯がゆい思いに歯を食いしばった。
「シルフィアーー!!」
その声はただ光の中で虚しく木霊しただけだった。
「ごめんなさい。……ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。────」
シルフィアは謝るしかなかった。何度も謝った。
炎は尚も燃え上がる。
「謝ってほしいんじゃないの。
私の苦しさは貴方には分からない。貴方は私が死んだ事を罪だと思ってた。それどころか、自ら死を選んだ者を罪人のように扱った。傲慢で幼稚な貴方の世界。それは貴方の罪なの。私は“生きたかった”だけ。
……普通に、生きたかっただけ。」
「ユ、ユキ。……お前、は。ゴホッ。ずっと。……この部屋での出来事を見ていた、のか?ゴホッ。」
さっきからずっと黒い煙を吸い続けている。肺はもう限界だ。
「えぇ。最初から。
いいね本当に。あの男の人、あなたに惚れてるんじゃない?……イヴァンって人もね。どうでもいいけど。苦しい?」
ユキは手を挙げた。光がシルフィアを覆い、まとわりついていた黒い炎が消えていった。
シルフィアは膝から崩れ落ちた。
「はぁはぁ。ユキ。本当に、す、済まなかった。私は……忘れていた、んだ。お前の事、……冬花の事、父将嗣の事、冬弥の、事。
あの日、ゴホッ。私は……死んだ。み、見ず知らずの場所に、ゴホッ。……立っていた。」
シルフィアを覆う炎は消えたが、部屋を燃やす黒はますます燃え上がった。
シルフィアは続けた。
「ゴホッゴホッ。……そしてベルドナと契約した。奴は魔王を倒せ、神を殺し神になれ、と私に命じた。私は死んでも時間が巻き戻るという呪いを与えられた。その力を使うしか無かった。
目の前にあったのは死と、絶望だけだ。私は、六千六百六十五回、“あの世界”で殺された。」
「え?……そんな。 」
ユキの顔に驚きが滲む。
「死を選ぼうと何度も思った!
だが出来なかった!私は“生きよう”としていた!どんなに絶望的な死に方を繰り返しても!私は生きたいと!仲間を、皆を!守りたいと願った!!
……今ならわかる。自ら死を望み選べば、死に戻りの呪いは解けていたのかもしれない。
でもそんなのは罪滅ぼしにはならない!
私は……私は!!」
シルフィアの呼吸が一瞬止まる。息を吸う。
「ユキ……お前じゃなかった。“冷血の魔女”シルフィア•ローズだ。」
「そんな……。 」
ユキの瞳は見開き、微かに揺れる。呆然と立ち尽くす。身体の力がスっと抜けていった。
黒い炎は、静かに力を失っていった。
「何で。何でよ。
何でよおおおおお!!何でそんな“死”を耐えたの。……何で。」
ユキは座んだ。涙が流れた。
ユキには理解出来なかった。“生きたかった”ユキの願いを、シルフィアが背負っていた事に。
「ユキ…………。 」
シルフィアはユキを抱きしめた。何も言えなかった。氷のような冷たさが胸を突き刺した。
「シルフィア。私は生きたかった。お母さんに愛されたかった。でもダメだったの。お母さんの愛はいつも白かった。たがらお母さんの白で、全部塗りつぶしたかった。色を視る私は私を許せない。
ねぇ。……教えて?貴方は私。じゃあ私は、誰?
ねぇ、教えてよ!!!」
ユキはフラフラと立ち上がる。左眼の緑が黒く光り出すと、部屋の炎が再び燃え上がった。
……まずい。これ以上シルフィアが攻撃されたら!!かつやっちょは必死に光の中でもがき続けた。
一瞬だけ、光の中に亀裂。ユキの心を割いた亀裂。かつやっちょは見逃さなかった。力一杯に飛び出す。脱出だ!
「ふっざけんなああああああ!!!」
ユキは上を見上げる。
バチィン!
「いたっ!」
かつやっちょはユキの頬を思いっきり叩いた。
「かつや。……良かった。」
シルフィアのホッとした表情を見るよしもなく、かつやっちょはぶつけた。
「お前はユキだ!愛されなかったユキだ!生きたかったユキだ!なぁ、そうだろシルフィア!冬花は、お前の母ちゃんは“生きて”って言ったんだ!それは、シルフィアじゃねぇ!ユキ、お前への言葉だろぉぉ!!」
白い部屋に黒い炎、舞い散る光の粒。その中に、オレンジ色の光が差し込む。
ユキは目を見開いた。緑色が涙で揺れていた。
「そして冬花はシルフィアと会った!見てたんだろ?お前の母ちゃんは直ぐに“ユキちゃん”って。わかるか!?それは、母ちゃんの祈りが母ちゃんを救った瞬間だった!お前の染めた白は、シルフィアが受け継いでここまで連れてきた!!
お前が救ったんだよ!」
「な、何で。……そんな。私がお母さんを、救った。」
ユキは後ずさる。
「わ、わたしが、お母さんに。ち、ちゃんと、愛して貰ってた。生きて欲しかった……の?」
黒い炎が消えていく。部屋が白を取り戻していく。
シルフィアはユキを抱きしめた。
「お前は私だ。私はお前を、愛してる。ユキ、生きていいんだ。生きていいんだよ。」
涙が舞う。流れ落ちた涙が光の粒に弾けた。
そして光は、雪へと還る。
「光の雪……。キレイ。」
ユキは光の粒を手で掬った。
「シルフィア。貴方を、赦す。」
ユキは微笑んだ。
シルフィアもまた微笑み、手を伸ばす。
「
我は“冷血の魔女”シルフィア•ローズ。
舞い散る雪の中に一筋の陽を。
“生きて”。
我々の母が望んだ結末を、果たす心を、お前は持ち合わせるか?お前の白は私がどこまでも運んでいく。この身が尽きるまで、持っていく!
問う。生きるか、死ぬか。」
シルフィアの頬に涙が伝う。ボロボロの顔に光が宿る。心の中で苦笑する。
―──何度目の涙だ。私は泣き虫だ。
ユキは口をゆっくり開いた。
「“生きる”。」
「扉を開ける。ユキ。……うっ。うぅ。 」
笑顔でなどいられない。声が震える。喉が熱い。溢れる。
「泣かないでよ。シ、シルフィ……。ぅぅ、ぅあああああああああああああああああああああああ!」
ユキはシルフィアを抱きしめた。
「ごめんなさい、ごめんなさい!私はあなたを、私は私を、傷つけた!お母さんの事、ずっと好きだった!でも愛されてないって思ってた!違ってた!わたし、わたし、お母さんに抱きしめて欲しかった!
ずっとずっとずっとずっと一緒にいたかった!嫌われてたけど、お父さんが話しかけてくれるのも嬉しかった!冬弥もねえちゃん、って!言ってくれるの嬉しかった!わたし本当は、死にたくなかった!皆に死んで欲しくなかった!
私が生きても、もう、誰もいないよ!!誰もいない!!」
シルフィアはユキの頭を撫でた。
「ユキ……。心配するな、大丈夫だ。
私“達”がいる。だろ?かつやっちょ。」
「あぁもちろんだ!」
親指を立てながら笑顔を見せた。
「貴方達だって消えるかもしれないじゃない!なんでそんな事!」
「ばっきゃろー!!俺達が消える訳ねーだろ。な?シルフィアお姉様?」
「ふ。いつもいつも。
奇跡にすがれ。ユキ、かつやっちょ。願いの力は扉を開ける。」
「そんな曖昧な!」
「大丈夫だ。シルフィアを信じろ。俺もばちこり生き返ってみせる。んで、俺はお前を見つけ出すよ。……何年かかってもな。
もはや妹だろ。“お兄ちゃん”って呼べ。ふはは。」
「バカは死んでも治らないな。
……いよいよか。 」
白い部屋が崩れ出した。
「さぁ、行け。ユキ、かつやっちょ。」
「シルフィア……。私、私、忘れないから!生が尽きるまで、私も貴方を連れていくから!!」
「あぁ、ユキ。私もだ。……ありがとう。
生きろ。私の分まで、尽き果てるまで、生きろ!!」
「うん。」
ユキは扉を開いた。そして微笑み、消えていった。
その笑顔はいつかのキャンパスに描いた、母と冬弥と手を繋ぐ“私”だった。
「かつやっちょ。」
シルフィアはかつやっちょに近づく。
「ちょ、なに?」
そっとキスをした。
「……ありがとう。
お前が居て楽しかった。少し寂しいな。」
「少し?めちゃくちゃ寂しそうじゃん!?初めてのチュー俺でいいの?」
かつやっちょは真っ赤だ。
「は、初めてじゃない!……バカ。」
「シルフィア。扉開け。何度も試してたんだろ?俺を生き返らせたいって。知ってたぜ?もし成功しなくても構わないから……。まぁもし成功したら、ユキは任せろ。
早くしろ!部屋が崩れてるぜ?」
「お前の任せろは信用出来ないが。
その時は頼む。」
「最後はベルドナか?最後まで見守るつもりだったけどな。それだけ心残りだ。お前なら大丈夫。さぁ早く!」
「かつやっちょ。分かった。
──────生きるか、死ぬか。」
「どこまでも生きる!!」
かつやっちょは扉を開いた。
「シルフィア、好きだ。じゃあな。」
「私もだ。
ユキ、かつやっちょ。
─────ごきげんよう。」
そして白い部屋は、崩壊した。
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