第28話 不穏
最終下校まで残り数分。
自分の部屋に戻るため、一度生徒会室へ寄る。
本日は活動がなかったのか、電気さえついていなかった。
静まり返った生徒会室。
長居しても仕方ないので、さっさと壁紙に「帰宅」を書こう。
「――真宵さん、こんばんは。」
ふいに、背後から手が掴まれた。
次の瞬間、身体が壁に押さえつけられる。
静かな空間に、からんとペンの転がる音が響く。
私を覆い隠すほどの大きな人影によって文字が見えなくなった壁紙。
あまりにも突然だったので口から心臓が飛び出そうになった。
強張った身体の中で辛うじて動いた喉で、怒りを買わないよう、慎重に問いかける。
「……馨さん?」
「ふふっ、そうです。気づいてくれて嬉しいです。」
その笑い声が、どこか乾いて聞こえた。
「しかし、そんなに震えた声を出して……。驚かせて申し訳ございません。真っ暗な室内であなたを見つけたので不思議に思いまして。」
口調は穏やかだが、決して私の手を放さない。
馨さんは、何事もないように、そのまま会話を続けた。
「真宵さんは、こんな暗闇の中どちらに行こうとしていたのですか?」
「えっと、自分の家に帰ろうとしていました……。」
「そうですか。急いでいるのはわかりますが、暗い中で動くのは危ないですよ。誰かがいるのに気づかず襲われるかもしれません。今後は控えてくださいね。」
「き、気を付けます……?」
……この状況に突っ込まないのだろうか。
唇を一文字に結んで、横目で馨さんを確認する。
「……馨さん。手を離し――」
「――それで、真宵さんは今までどちらにいらっしゃったのですか?」
私を押し付ける手に力が込められた。
低く、感情を抑えた声に、いつもの柔らかさは感じられない。
本当に馨さんが発した言葉なのだろうか。
はっきり言って怖い。
「ど、どうしてですか……?」
「どうして、と……。こらっ、真宵さん。今問いかけているのは私ですよ。質問に答えてください。」
更に手の力が強くなり、ピリピリした痛みが腕まで広がる。
呼吸が乱れ、肺に空気が入っていかない。
「――今まで、どちらにいらっしゃったのですか?」
……怒っているのか?
馨さんの様子を探ろうにも、身体が壁へ縫い付けられたかのように上手く動かない。
彼は一体どんな表情をしているのだろうか。
「答えられないのですか?ふふ……。黙っていても私は知っていますよ。」
「ねぇ」と馨さんが耳元で低く囁いた。
「――昨日からルルさんのお部屋にいらっしゃいましたよね。」
身体が縮み上がり、動悸が激しくなる。
なぜ、馨さんは私の行き先を知っているのだろうか。
もしかして、私の行動をすべて見透かされているのか。
聞きたいことはたくさんあるのに、恐怖から声が出ない。
反応がない私へしびれを切らしたのか、より一層低く、感情を抑えた声で囁く。
「――何をしていたのですか。」
「馨さんっ……!」
「おっと、危ない。」
意を決して身体をひねり、馨さんを押し出した。
彼は勢い任せに暴れた私を傷つけないよう、とっさに手を放してくれた。
その隙を逃さないように、一心不乱に走る。
息が苦しい。肺が焼けるようだ。心臓も爆発しそう。
足がもつれそうになりながらも、扉を目指して全力で駆け出した。
「また、お話ししましょうね。」
扉を走り抜ける直前、馨さんの方を見た。
暗闇の中、馨さんはまるで何事もなかったかのように微笑み、静かに手を振っていた。
その笑顔が、たまらなく不気味だった。
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