ノイタ王子
[シン]
通された部屋は、大型犬でも走り回れるくらい広かい。床にはくるぶしまで埋まる絨毯が敷かれ、その上には何人もが寝られるくらいのテーブルが置かれていた。
シンとレイは、ときどき結界に鳥獣が打ちつける攻撃を耳にしながら、繻子張りの椅子に並んで、緊張気味に腰を掛けていた。
「レイ、僕は宮殿が嫌いだ」
「わたしも」
「ろくな思い出がない」
「フィリといたくせに」
「……」
ノイタ王子とセゴが入ってきたので、シンとレイはお互いぎこちなく立ってお辞儀をした。後ろからお付きの者が、美しい木箱に並んで二人で入れられた大剣、片手剣をうやうやしくテーブルに置くと、王子の頷きとともに、退室した。
「どうぞお掛けください」
ノイタは若いにも似合わないほど穏やかな声でうながした。
シンとレイは木箱に鎮座する二つの剣を見ながら腰を浅く掛けた。
「こちらにあるのは何かご存知ですか?」
「剣ですね」
セゴはどうにか鞘から大剣を抜いて重そうに両手で置いた。次に片手剣を抜いて、大剣と並べた。
「これは私の部下のチウタキが命に代えて持ち帰ったものです。我々ルテイムは塔の街からの援軍を待っていました。同盟関係なのです」
いましたということは、今は待っていない、もう来ないと知っているんだなと思いながら聞いた。いずれにしても国同士の関係のことなどわからないし、シンには荷が重い。
「チウタキさんは?」
「今はまだ何とも」
セゴが答えた。
すぐに王子が話を継いだ。
「我々が頼りにしていた援軍は来ません。白亜の塔が潰れ、今、塔の街は援軍どころではないのです」
「ちょっと待ってください。どうしてそんなことを旅風情の僕たちに話してるんですか?」
重要なことを、旅の人間に話したところでどうにもならない。隣でうたた寝しているレイが、かつて世界を支配した三つ眼族でも、本人が支配したわけでもないし、今は世界の片隅で細々と暮らしているのに。
「そうですね」
ノイタ王子は苦笑した。
「我々はあなた二人が援軍ではないかと信じたいんです」
「ご冗談を」
「ええ。冗談です。さすかに二人では心もとないですね」
ノイタ王子はポケットから厚い封筒を出した。それが封筒であるということがわかるまで、少し時間がかかった。以前の世界に住むシンなら手紙だと思ったはずだが、この世界に来て紙のことを忘れていた。
「失礼を承知の上でお尋ねしたいのですが、字は読めますか?」
「塔の街の字でしたら多少は」
「結構です」
ノイタ王子はセゴに封筒を渡して、セゴがシンに渡した。聖印で封が剥がされていた。シンは四つ折りを開いた。まず下段にどこかで見た印があるのだが、どこで見たのか。
「これ、教会の旗よね」
レイが覗き込んだ。
『聖女教会の下、この二振りの塔の剣をお貸しすることをお約束いたします。この剣は現在は教会に所属していること疑わぬようお願いいたします。戦の済み次第、お返しいただけること信じております。聖女教会評議会』
「何て書いてあるの?」
レイがキョトンとしていた。シンは手紙をセゴに返した。ノイタ王子に少し時間をもらい、レイに聖女教会が二振りの剣をルテイムに貸したということを話した。初めは興味なさそうに聞いていたが、さすがにレイも気づいて片眉を上げた。
「ちょっとすみません」
シンとレイは部屋の隅に移動して、ノイタ王子やセゴを気にしながらヒソヒソ話した。
「シン、おかしいよ。まだあれは教会のものじゃないし」
「そうだよね。でも教会のものだと記してある。つまり……」
「わたしたちは無関係」
「そう!」
シンたちは席に戻った。晴れやかな気持ちとはこのことだ。すでにレイもシンも、はやる気持ちを抑えつつも帰ることしか考えていない。
ノイタ王子が、
「よろしいですか。我々は聖女教会に援助を求めました。具体的には教会騎士団の援軍です」
「はい」
「しかしそれには議会の決議が必要なのだそうです。もともと白亜の塔と同盟を組んでいたのですから、今さら虫が良すぎる申し出です」
「そうなんですね」
「ただそういう間にも敵は押し寄せてきました。敵はただの軍ではないのです。異世界から招き寄せたバケモノを軍に組み込んでいるのです。村々は蹂躙されました。今ここに攻撃してきている鳥もそうです。ですから聖女教会も我々の要請を無下にするわけにはいかないのです」
「なるほど」
髭面の騎士が話していた話も通じないバケモノというのは、こういう連中のことか。言葉が通じなければ話し合いもできないもんな。
「街の外れでの噂ですが、第三軍を倒したと聞きました」
「私が指揮をしました。あれは籠城戦と踏んでいた連中の虚を突いただけです。闇討ちです。指揮を失った敵は、もはや……」
王子は言葉を止めた。
「あれは軍じゃない。虐殺を趣味にしているバケモノの集団です」
忌々しい記憶を捨てようとしているかのように、彼は顔を背けた。
「白亜の塔が維持していた世界の秩序が蝕まれているんです」
「難儀なことですね」
シンはゆっくり頷いた。世界へとつながる門なんてのは、塔がなくても緩んでいたはずだ。現にシンも自分の意思で、この世界に来た。
「教会からの援軍は、この剣でおしまいになるかもしれませんが、待つしかないというところです」
「しかしまあよくこんなもんで納得したもんですね。聖女教会ともあろうものが二振りの剣とは」
シンの愛想に、ノイタ王子はしようがありませんねと笑うと、詳細を話し始めた。
「我々の調査では第五軍の規模は約二万です。見立てでは指揮官は光の剣の持ち主です。どの光の剣かまではわかりません。東西の教会、神殿跡への攻撃。ラナイと呼ばれているとか。そんなところです」
「大変ですね」
相手に援軍もないこの城はどうするんだろうか。昨夜から今朝、今も続く攻撃に街も滅入るだろう。
「降伏するとか」
「降伏ですか。条件次第では考えられるかもしれません。でもそれは国王陛下が決められることです」
「そうなんですね」
シンは早く城から出たい。城を出た後は、レイと一緒に街のどこかから北へ逃げようと考えていた。
「この状況で降伏するというのは処刑されることと同じですからね」
レイは額飾りを調整しながらノイタ王子の顔も見ずに話した。
「いいところに住んで、いいもん食べて、寒ければ綿の服を着て。多くの命を踏んづけてきた。でも自分たちの命は惜しいの?」
セゴは剣を抜いた。斬り捨てる気持ちはないにしろ、尊敬する王子様が愚弄されて頭には来たなのは違いない。レイも彼の尋常ではない殺気に対抗しようとした。シンは目の前の女王の剣を手にして、セゴの喉に向けつつ、国ノ王の剣をレイの首に添えた。王子は身動き一つしなかった。さすが肝が据わっている。
「レイ、控えろ」
シンはそっとレイの首から剣を離しつつ、小さく笑みを浮かべた。レイは今にも泣きそうな曇った表情をしていた。村で虐げられたこと、塔の街でのことなど思い出したのか。
「はじめからこんな雑魚をやる気はない。少し脅しただけ……」
「わかってる」
「セゴ、いいんだ」
ノイタ王子は笑みを浮かべた。
「やはりこの剣を扱えるのはあなたですね?」
「え?」
「私も精霊の剣を扱う身です。これは扱えないと思いました。この剣はあなた以外認めていませんね」
シンはわざとらしく大剣を床に落としてみせた。
「火事場の何とやらというのはあるものですね。アハハハ……」
ノイタ王子は咳払いをした。
「試して申し訳ない。お嬢様の言うことは間違いではありません。こうもはっきり言われるとは思いませんでしたが、私は人々の犠牲の上で暮らしています。だから私の命で済むなら降伏してもいいでしょう。もし国王の首が必要なら殺します」
穏やかに話した。目の前の王子は自分が死ぬことや王族が滅びることに対して気負いがない。
「新しい国が今の国よりも民を幸せにするというんなら。もうこの城も街も世界も古い。共和国、新しい風が必要なのかもしれません」
廊下から扉をノックした。セゴが開くと、人影が見えたがすぐに扉を閉めた。シンたちが見る中、セゴが王子に耳打ちすると、王子の表情は見る見るうちに沈んだ。
「内輪のことで申し訳ないのですが、聞いていただけますか」
「どうぞ」
「今、チウタキが死んだと」
王子は顔を伏せた。
「今すぐ決めろというわけではありません。しばらく城で。どうしても出ていかれるのでしたら、私に一言お願いします。セゴ、後でこの方たちを案内するように」
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