共和国軍の逃亡

「戦?援軍て何?」


 レイが言うので、シンは戦と援軍の意味を教えて、シンは援軍は来ないのではないかと話した。


「なぜ?」とレイ。

「なぜ……そりゃ潰れたし……」

「塔の街の人は白亜の塔以外にもいるじゃん。兵士もいたし」

「あ、そうか。だから僕たちは逃げてきたんだよな」

「そだよ」


 レイは軽く答えた。シンは心にモヤモヤするものがある。他人ごとにしてないか。二人とも犯した罪は違えども、捕まることに関しては同じだ。まさかレイは捕まえられることなど考えていないのだろうか。


「どした?そんなに見つめられたら照れるじゃん」

「ちょっと考えよう。仮に塔の街から援軍が来たとする」

「シン、殺されるな」

「即答だな。僕自身も捕まるまではわかるけど、殺されるのかな」

「そりゃそうよ」


 シンの背に太い声がした。髭面の大剣を持った、屈強な男だった。


「おまえさんら、朝、門が開いたらすぐに街から逃げることだ。これからここは戦になるし、もはや城は堪えきれん」


 濡れたままのレイは、かわいらしいくしゃみをした。


「頑丈そうな城なのにね」


 シンは木を集めると、レイが五本の指を弾くように手の平を地面に広げると火がついた。一斉にどよめいた。口々に呪術使いだの魔導師だの魔族だのと話していた。


「隠れようぜ。こいつらは悪い奴らじゃなさそうだしいいだろ?もう失うもんもねえし。バカそうだし」


 川原で火をつければバカだと言われてもしようがない。レイは拳を差し出して「消えろ」と命じた。

 火は消えなかった。


 消えんのかいな。


 イメージできないらしい。消えるイメージできないってどういう思考回路してるんだよと、シンは川に火のついた木片を捨てた。


 シンたちは、彼らの隠れ家に案内された。隠れ家といえば聞こえはいいが、単なる空き地だ。隠れるところなんてものはない。彼らは、それぞれ土塁の集落ごと、ここに引っ越していたという話をした。


「襲われたらどうするの?」


 シンはぽっかりと空いた下水路の入口を指差した。これはここからどこへ続いているのかと尋ねたが、誰も答えられなかった。唯一一人が途中まで入ったが、川の流れる音が聞こえたところで鉄の柵で塞がれていると答えた。


「気になるの?」とレイ。

「雑木林にも敵がいたんだ」


 シンは川へとつながるトンネルを指差した。レイがトンネルに勢いよく手の平を差し出した。炎がトンネルを塞いで、隠れていた三人の敵を炙り出した。燃えながらも戦おうとする三人のうち、二人を髭面が鮮やかに斬り捨て、もう一人をシンが抑えつけた。敵は仕込んだ鉄の爪をすでに自分の喉に突き入れていた。


「シン、それは毒!」


 シンは慌てて跳ね除けた。この様子では、もうすでに街にも潜んでいるのではないかと考えた。


「まだいるかな?」

「ひとまずいいんじゃね?」


 シンはリュックから濡れた干し肉を取り出して髭面の男に渡した。髭面は慣れたように、ひとかけらちぎって他の連中にまわした。


「こんな上等、どうした?」

「心優しい人が恵んでくれた」


 シンの答えに、火の向こうの目の細い男が下衆く笑った。背が低く肩幅が広くて、さっきからずっとぬかりのない視線を走らせる。短い髪を後ろで結わえていた。


 戦いなれてるな。


 レイは焚き火に近づいて靴を脱いで剣にぶら下げた。リュックの中を乾かす順番に並べた。さすがに着替える気はないようだ。

 シンは並んだ敵を見た。どれもが普通の人の格好をしていたが、帯には火打ち石を持ち、持ち手に紐を巻きつけた平らな剣を持っていた。


「何か気づいたか?」

「これ」

「これは剣だな。クサという奴らが使うもんだ」


 クサというのは、草に隠れて行動する者たちのことらしい。


「どんなことするの?」

「いろんなことだな。火をつけることもするだろうし、こうして街に忍び込むこともする」


 後ろ髪の男は答えた。

 癪に触る笑みだ。


「街に火をつけられるのも時間の問題だぜ。他の仲間もいるはずだな」


 ごもっともな意見だった。あれだけ土塁の外にいたのだから、もう街に潜んでいてもおかしくはない。


「皆さん、何者ですか?」


 シンはレイの隣に座りつつ会話の中へ割って入った。すると二人を斬り捨てた髭面の剣士が答えた。


「共和国の兵士だ。新しい国ができるかもしれねえと集められた」


 無精髭を撫でながら答えた。


「ルテイム王国の領土に住んでいたが共和国兵士だ」

「きょーわこく?」とレイ。

「王様がいない国だよ。自分たちのことは自分たちで決めるというところだ。王様だけが贅沢できる国とは違う。俺たちは共和国に賭けた」

「わからないことがある」


 シンは尋ねた。


「なぜここにいるかだろ?逃げてきたんだ。つまり敵前逃亡だな」


 髭面の言葉の後、一帯が重苦しい空気に包まれた。シンは簡単に聞き流したが、彼らには決して軽くない決断をしたということだ。


「そもそもここにいるのは、みんな王国の田舎もんだよ。国王を倒すために集まったんだ。しかし共和国軍は負けた」


 他の疲れた声が言った。


「俺たちは新しい国で平和に暮らせればいい。普通に食えればな」

 

 またどこかから声がした。


「国王はいらん」

「誰が治めるの?」とレイ。

「新しい国ができた後は、すべて議会で決める。俺たちでな」


 議会ねえとシンは諦めにも近い溜息を吐いた。前の世界の議会なんてろくなイメージがない。


「ひとまずは第五軍が相手だな。指揮官は確かラナイとか聞いた。光の剣の持ち主だそうだ。ちなみに俺たちがいた二軍は壊滅した」

「どして?」とレイ。

「ルテイムの第二王子率いる軍に敗れたんだ。そんとき俺たちはここに逃げてきた。バケモノの親玉みたいな奴が目茶苦茶に暴れたんだ」

「あんたらは捕虜なのか?」

「王国に捕虜を養う蓄えはない。王子が言うには、好きにしろと」

「でもさ、僕たちがここに来るまで戦はなかったんだけど」

「塔の街から来たんじゃ、見てねえだろうよ。俺たちもハイデルは知らんしな。海を渡る度胸がないからよその土地のこともわからん」


 髭面は続けた。


「北や東は難所続きだ。お嬢さんはなぜ旅をしてるんだ?」

「弟のお付き合い」


 そろそろせめて兄へと設定変更求む。歳的には弟かもしれないが、レイの尻拭いは兄としてしたい。

 レイはシンの頭を抱き締めて邪気がいると囁いた。第三の眼が捉えていたのは、火の向こうの後ろ髪を束ねた男だ。視線が妙にねちっこい。


「北へ行けばいい。戦いは西と南で起きる。ここは北は聖なる山で守られてる。南からしか来れないが、南も迷いの森で守られてる」


 シンは尋ねた。

「西は?」

「もうすぐ陣が敷かれる」


 街の間から、北の彼方に城の影が霞んで見えた。影は山と一体になっていた。


「難攻不落の城といえども援軍がなきゃな。第五軍が来る前、おまえさんたちは開門と同時に逃げな」

「おっさんらは?」


 レイが自分の靴が乾いたか確かめた後、シンの靴の臭いを嗅いだ。


「田畑を捨てた俺たちは、戻るところなんてねえさ。行くところがある奴は今のうちに逃げるんだな」


 束ね髪はゲラゲラ笑った。

 髭面の剣士はシンたちの後ろに立つと、とっさに焚き火を飛び越えて、抜いた剣で束ね髪の左肩から右腕までを斬り落とした。


「てめえは今すぐ消えな」


 血飛沫をあげて落ちた右手に棒剣を隠していた。なぜ?と言ったように口が動いたが、てめえはわからないまま死ぬんだと吐き捨てた。


「なぜわかった?」とシン。

「シンとやらを捕まえた奴は死ぬ前に生きようとして奴を見た」

「凄いね」とレイ。

「凄くなんてねえ。他の小屋の連中もムリにでも連れて来てればよかったんだ。こんなことになるんならな。潜んでる奴らのことまで気にかけた、あんたの弟が一枚上手だ」

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