第7話:秘密の同盟、鬼島の正体

東都調理専門学校の教室から抜け出し、大和に支えられながら保健室へと向かう途中の廊下。


芽衣の体の震えはまだ収まっていなかったが、大和の冷静な体温と、彼の腕が発するプロの相棒としての確かな信頼感に、徐々に理性が戻ってきた。


「大丈夫か、宮本」


大和の声は、感情を排した静かな問いかけだった。彼は、芽衣のトラウマを刺激しないよう、身体的な接触を最小限に抑えながら、あくまで「体調不良のクラスメイトを介抱する生徒」としての役割を全うしていた。


「あ……ありがとう、大和君。ごめんなさい。私、また……」


芽衣は、自分の弱さに対する自己嫌悪と、大和に迷惑をかけてしまった焦燥感で顔を伏せた。


「謝る必要はない」大和は立ち止まり、静かに言った。「今日は、鬼島先生があなたを試したんだ」


「試した……?」


芽衣は顔を上げた。鬼島先生のあの威圧的な態度、巨大な体躯、そして出刃包丁を握る姿。あれが、芽衣のパニックを誘発した直接の原因だった。


「あの先生、調理師専門学校で有名な、『恐怖の選別者』だ」


大和は、辺りに人がいないことを確認し、声を潜めた。


「鬼島先生は、生徒の技術だけでなく、精神力を見極める。特に、女性や若年層の生徒に対して、あえて最も威圧的な包丁、出刃を握り、『包丁が怖いなら帰れ』と言って追い詰める。毎年、この洗礼で辞めていく生徒は多い」


(そうか。先生は、私だけを特別に攻撃したわけじゃなかったんだ……)


しかし、鬼島先生の意図がどうであれ、彼の行動は芽衣のトラウマを容赦なくえぐり出した。


「でも、先生の言葉は、私のトラウマを完全に刺激した。もし、あなたが機転を利かせてくれなかったら、私、あの場で……」


「わかっている」大和は芽衣の言葉を遮った。「だから俺たちが、この秘密の同盟を結んでいる。あの場では、俺が桂剥きで先生の注意を逸らし、あなたの秘密を守った」


大和は、芽衣にまっすぐな視線を向けた。


「あの先生の目を欺けたのは、俺の腕前があったからだ。しかし、この先、実習は毎日続く。そして、あなたは常に、『包丁を持てない』という致命的な弱点を抱えている」


二人は、保健室の静かな待合室で向かい合った。


「私の存在が、大和君の足を引っ張っている。あなたの持つプロの腕前は、私のためだけに使うべきものじゃない」芽衣は、初めて大和の将来を心配した。


「宮本」大和はきっぱりと言った。「俺の目的は、あなたの夢を叶えることだ。そして、俺の腕は、あなたの命令にのみ従う。それが、俺の贖罪だ」


大和の揺るがない決意に、芽衣は反論できなかった。彼が自分の人生を懸けていることを、痛いほど理解している。


「次からは、どうすればいいの? 鬼島先生は、私たちをマークしているわ」


「簡単だ」大和は小さく息を吐いた。「あなたが、俺を完璧に操ることだ」


「操る……?」


「そうだ。鬼島先生は、あなたの弱点を試すために、包丁の実技であなたに無理やり包丁を持たせようとするだろう。その時、あなたがパニックになる前に、俺に**『完璧で、誰も文句を言えない指示』**を出し続けるんだ」


大和は、芽衣の目をまっすぐに見つめた。


「俺は、あなたの包丁だ。あなたの頭脳の指示に従う、ただの道具。あなたが包丁を握る恐怖から解放され、鬼島先生さえも黙らせる料理を生み出すこと。それが、私たちの『秘密の同盟』の唯一の道だ」


芽衣は、彼の言葉を反芻した。大和の存在を「恐怖」から「道具」へと意識的に切り替えること。それは、自分のトラウマとの、最も難しい戦いだった。


しかし、芽衣は決意した。この道を選んだのは自分だ。


「わかった。私は、もう絶対に、パニックを起こさない。あなたの腕を、誰も真似できない最高の道具として、使いこなしてみせる」


こうして、二人の秘密の協力体制は、東都調理専門学校という戦場で、さらに強固なものとなった

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