車輪の魔女と愚か者

椒央スミカ

一月の章・車輪の魔女

第001話 拘束の狼少女

(ああ……。あの子が持ってるチョコレート……食べたい……)


 獣人の少女は、心を崩し始めていた──。

 小規模都市の外れ、芝生広場で行われている見世物。

 鎖付きの首輪で拘束された、四つん這いの少女が一人。

 名前はリフル。

 人間の耳がある位置から尖った獣の耳を生やし、尾骨からは長い毛をまとった尾をたらしている。

 鎖が巻かれている樹木を中心にリフルは、掌と足の裏を地面へつけ、うろうろと覇気なく移動。

 その様へ多数の老若男女が、遠巻きに好奇の目を向ける。

 一方のリフルは、人垣の中に一人いる幼女を目の端で追う。

 正確には、その手に握られている、食べかけのチョコレートを。

 数カ月前に一欠けらだけ食したチョコレートの甘味を舌に思い出し、口内へ唾液を充満させる。


(あれを……チョコを……貰うには……。どんな動きを……見せればいいのかな……)


 仰向け、跳躍、遠吠え──。

 人間とは異なる動作が、リフルの脳内を巡る。

 その最中、青い体毛を纏ったリフルの耳が、ピクンと跳ねて幼女の声を拾った。


「ねえ、ママ。あの狼さん……チョコ食べたいみたい。あげてもいい?」


(……えっ!?)


 幼女の言葉に期待を抱いたリフルは、思わず口を薄く開ける。

 途端に唇の端から、濃い唾液が糸となって地面へと垂れた。

 それを目にした幼女の母親が、眉をひそめながら隣のわが子を抱き寄せる。


「駄目よ。餌をあげるのだって、お金かかるんだから」


 女性の背後に消えたチョコレートに、リフルは絶望にも近い落胆。

 口内の唾液に、チョコレートの味の覚えを混ぜて飲み下す。


(わたしを見るのはタダ……。でも、なにかをさせるたびに……親方は金を取る……)


 親方。

 この見世物の興行主。

 中肉中背の、無精ひげが厚い中年男性。

 煙草で痛めた喉からしわがれた声を出し、幼女へとセールストーク。


「悪いねぇ、お嬢ちゃん。このリフルは、チョコレートみたいに甘いものを食べるとおなか壊しちまうんだ。だから治療費は、前もって貰っておかないとな……へへっ」


 親方がリフルの頭をはたく。

 リフルが四つん這いのままで前屈みになり、顎を地に着けた。

 人間への服従、すなわち安全性を強調する動作。

 若い芝生の先端が、チクチクと鼻の頭を刺す。

 その弱い刺激が、かつての腹痛の記憶を呼び覚ました。


(嘘……。下痢したのはチョコレートじゃなくって、猪の生肉……。肉食べてるところ見たいって客から、親方が金を貰って無理やり……)


 芝生の隙間を、一匹の赤いテントウムシが歩いている。

 葉先へと到達したテントウムシは、はねを開いて飛翔。

 すぐさま青空へと溶けていく。


(あんな小さな虫でも、わたしよりずっと自由だ……)


 リフルの涙腺が、ピクピクと震える。

 見世物として晒される日々の中で失ってきた、悲しみ、屈辱、怒り。

 それらの搾りかすが混ざり合い、最後の涙の粒として地に落ちようとしていた。

 その直前、リフルの耳がピクンと跳ねる──。


「……その狼。小間使いはできるかしら?」


 リフルの頭上へと下りてくる女性の声。

 老齢を感じさせる低音。

 しかし凛とした響きには、威厳と鋭さが宿っている。

 その声に誘われるように、リフルは顔を上げる。


(車輪がついた……椅子いす?)


 いつの間にかリフルの正面に現れていた、純白の椅子。

 高貴さを感じさせる白塗り、光沢、装飾。

 そして左右には、巨大な鉄の車輪を備える。

 馬車を思わせる椅子に座すのは、輝く白銀の髪を湛えた老齢の女性。

 戦闘時の獣のような鋭い瞳を、親方へと向けている──。

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