第4話 王宮の毒と秘密の代償

近衛騎士団による『力の証明』を終えたアルトの存在は王都の貴族たちの間で、瞬く間に話題となった。無名の田舎剣士が、騎士団の精鋭を素手同然で打ち破ったという事実は、彼らが長年築き上げてきた『血筋と格式』に基づく王宮の常識を揺るがすものだった。

その中でも、リゼット王女の最大の政敵とされるのが、第一王子アルフレッドの支持母体である、大貴族の筆頭ランドルフ公爵だった。公爵は、王女が平民の出であるアルトを重用したことを自身の派閥の力を誇示する絶好の機会と捉えた。

王城に滞在し始めて数日後、アルトはリゼットから、公爵主催の晩餐会に護衛として同席するよう命じられた。

「アルト様、これは罠かもしれません」リゼットは不安そうに言った。「彼らは私の改革を恐れています。あなたの力を見せつけて、彼らの陰謀を封じ込める必要があります。」

アルトは静かに頷いた。彼の関心は豪華な食事や貴族の顔ぶれにはなかった。彼が感じるのは、この宮殿全体に漂う淀んだ空気、すなわち、人間の持つ欲望と嫉妬が生み出す、嘆きの森の瘴気とは異なる、しかし同等に危険な『毒』だった。

晩餐会は、王宮の一番華美な広間で開かれた。豪奢なドレスと礼服を纏った貴族たちが、互いに牽制し合いながら表面上の笑顔を交わす。アルトはリゼットの影のように静かに控えていた。貴族たちの視線が彼に向けられるたびに、彼は彼らの心に巣食う侮蔑と警戒を感じた。

食事が進む中、ランドルフ公爵がわざとらしく優雅な仕草でリゼットにグラスを差し出した。

「リゼット王女殿下。この度の貴殿の新しい護衛、アルト殿の『驚異的な力』は、我々貴族の間でも話題でございます。そこで、彼が真に我らが王族の護衛に値するか公の場でその『高潔さ』を試させていただきたい。」

公爵の言葉に、広間が一瞬静まり返った。彼の意図は明らかだ。剣技ではなくアルトの「倫理観」や「常識」といった、彼が最も持ち得ない部分を攻撃しようとしていた。

公爵は、広間の隅に控えていた一人の老騎士を指さした。

「彼もまた、長年王室に仕えた忠実な騎士。しかし、昨今の魔獣討伐で重い病に侵され、もはや剣を握ることすら叶わぬ体です。アルト殿。あなたには、その『不死身の力』をもって、彼の病を治していただきたい。」

公爵は、病の騎士が持つ杖と騎士の手にできた醜い病変を指差した。

「もし治せぬならば、貴殿の力は、たかが一地方の『獣殺し』の域を出ない。王族の護衛として、『人を救う力』を持たない者は無用でしょう。」

広間に、公爵派の貴族たちの陰湿な笑い声が広がる。彼らは知っていた。病は医術の範疇であり、剣の力で治せるわけがない。これは、アルトを公衆の面前で晒し者にする卑劣な罠だった。

リゼットは顔色を変え「公爵!それは無茶な要求です!」

「無茶ですか?王女殿下。それとも、あなたの頼みの綱は人を治す術さえ持たぬ、ただの蛮族ということでしょうか?」公爵は嘲るように笑った。

アルトの胸に怒りが湧き上がった。それは、自分の力を侮辱されたからではない。公爵が、病の騎士を道具として使い、リゼット王女を窮地に追い込んでいるという、その人間の卑しさに対する怒りだった。

アルトは前に進み出て

「治療は、私の仕事ではない」低く、静かな声で言った。

公爵は勝利を確信し、笑みを深め。「やはり、貴殿にはその程度の力しかな…」

「しかし」アルトは、公爵の言葉を遮り「私の剣は、傷を癒すことはできない。だが、『傷を負うこと』を恐れない。」

アルトは、自分の腰から革袋を取り出した。その中には神秘の泉の水を満たした小さな水筒が入っている。アルトが泉の水を持ち歩くのは、極限まで鍛錬する際の『保険』として、最低限必要な量だけだった。

アルトは、その水筒を誰もいないテーブルの上に置いた。

そして、広場の騎士が剣を振るうのよりも速く、彼は自らの剣を抜き、自分の左腕に迷いなく深く切りつけた。

ザシュ!

肉が裂ける、生々しい音が広間に響き渡る。貴族たちは一様に悲鳴を上げ、リゼット王女さえも驚愕に目を見開いた。アルトの左腕からは、夥しい量の血が、豪華な絨毯の上に噴き出したからだ。

アルトは、呻き声一つ上げず。切り裂かれた自分の左腕を病の騎士の病変ができた右手に、強く握らせた。

「…私の体は、すぐに治ります」アルトは、公爵と貴族たち全員に向けて氷のように冷たい声で言った。

「私が、この騎士の病を治すことはできない。しかし、あなたの望む『力』を見せることはできる。」

アルトは、傷口から滴る血を絨毯に滴らせながら、テーブルの上に置かれた水筒を掴み、その冷たい水を一口で飲み干した。

泉の水が体内に入った瞬間、アルトの全身を灼熱の再生エネルギーが駆け巡った。彼の切り裂かれた左腕の傷口が、貴族たちの目の前で見る間に、瞬時に完全に塞がっていく。出血は止まり、裂けた肉は結合し、皮膚は元の滑らかさを取り戻した。まるで、最初から傷などなかったかのように。

広間は、完全な静寂に包まれた。貴族たちの顔から、血の気が失せていく。彼らは、『不死身』という、常識ではありえない光景を目の当たりにしたのだ。彼らは、アルトの力を『異端』と罵ることはできても、その『圧倒的な事実』を否定することはできなかった。

アルトは、静かに剣を鞘に納め。

「公爵。これがリゼット王女の護衛が持つ力です。死を恐れぬ力。この力は、人を救うことはできない。しかし、王女を守るためにはどのような代償も恐れない。この剣が、王位継承の争いに、あなた方が望む『常識的なルール』を持ち込むことを、許さない。」

公爵は、アルトの血に濡れていない、しかし確かな威圧感を放つ目を見て、一歩後ずさった。彼の顔には傲慢な笑みは消え失せ、底知れぬ恐怖が浮かんでいた。アルトは自分の秘密をあえて、この場で「脅威」として晒したのだ。

リゼット王女は、アルトの行動に驚愕し、そして彼の真意を理解した。彼は、自分の命を賭して公爵の罠を打ち破り、王女の立場を守ったのだ。彼女の心は、アルトへの感謝と、彼の秘密を守らなければならないという使命感で満たされた。

病の騎士は、呆然としたまま自分の手にアルトの血がついていないことを確認していた。そして、彼もまたアルトの『命を顧みない忠誠心』に涙を流していた。

アルトの『不死の剣聖』としての名は、この夜王宮の闇の奥深くまで、恐ろしい伝説として刻み込まれた。しかし、彼はその代償として、「秘密の泉」の存在を匂わせるという、大きなリスクを負ったのだった。

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