CONNECT ~夢への道~
蟒蛇シロウ
第1話「あの日、僕らは夢を見た」
木漏れ日が揺れ、風が笛のように鳴く。
「今日は早く帰れそうだな」
2人の少年。
10代前半ほどの兄が笑い、まだ幼い弟がうなずく。
家から少し離れた森で薪を拾うのが2人の日課だ。
そんな穏やかな時間が、永遠に続くように思えた――あの声を聞くまでは。
「兄ちゃ~ん、待ってよ~!」
「遅いぞ~。そんなんじゃ置いてっちまうぞ」
「も~、待ってよ~。兄ちゃん!」
2人は、森の道を走って家路に向かう。
先を行く兄が、弟を待って、手を差し出す。
「ほら」
「ん」
弟も、その手を握ると。
2人は仲良く手を繋ぎながら、森を走り家路を急ぐ。
だが……。
ふと足を止める2人。
木々の隙間から、ぬめるような息づかいがした。
鼻をつく、鉄と腐敗が混じった匂い。
「なに……この匂い」
その匂いが近づくと、ケインの足が震えた。
そして……。
「ヒトだ……。ヒトの子だ」
という声が聞こえて来て、2人はそちらの方を振り向く。
するとそこには、青白い顔をした女が木の上に立っている。
「ヒトの子。柔らかくて甘みがある……ゴチソウだァ……」
そしてその木の下には、青白い顔をした男の姿もある。
「子供の肉。柔らかくて甘みがある。ゴチソウだ」
その2人の男女を見て、兄弟は恐怖に震える。
「な……なんだ、あいつら……」
「に、兄ちゃん……怖いよ……」
そして2人が後ずさるのを見て、木の上に立つ女が言う。
「逃げちゃダメだよ~。逃げちゃうと~、食べにくくなるから~」
2人はそれを聞いてさらに恐怖する。
「に……兄ちゃん……」
「に……逃げるぞ!」
だが……。
「ヒトの子だ。ヒトの子だ」
「私にも分けろ。腕一本でいい」
「俺は足一本でいい。だから俺にくれ」
森の奥から複数の青白い顔をした男女が、2人に向かって集まってくる。
「あ、ああああ……」
「に、兄ちゃん……」
兄弟はあまりの恐怖に足がすくんでしまい、動くことができない。
そして……。
「いただきま~す」
「いただきます」
「いただきま~す」
その声が響いた瞬間――。
森を裂くような風が吹いた。
土が跳ね、空気が震える。
そして、男の低い声が落ちた。
「……下がっていろ」
オーガたちは警戒するように動きを止める。
「こんな人里近くの森にまでオーガが降りて来てるのか……。深刻な食糧不足は人もオーガも変わらんらしい」
低く力強い男性の声。
それは兄弟の後ろから聞こえた。
振り返るとオーガを強く睨みつける若い男の姿があった。
鍛えられた筋肉はもちろんだが、2人はその男の、夜でも光を宿したような眼光に目を引かれた。
「オーガたちよ。お前らは山で獲物を取れなくなった下級のオーガたちだろう。お前らにとってはようやくありつけたご馳走なんだろうが……、悪いがこの少年たちを喰わせるわけにはいかない。ここから立ち去れ」
若い男性は、オーガたちにそう告げる。
……が、オーガたちは顔を見合わせて気味の悪い笑い声を上げる。
そして……。
「ヒトの子は、柔らかくて甘みがある。ゴチソウだ。邪魔をするなら死ね!」
男の下級オーガが、鋭い爪を伸ばして男性に襲い掛かる。
しかし、彼は背負っている剣を抜くことなく、掌でオーガの顔を掴むと地面に叩きつけた。
そして背後から迫っていたもう一体のオーガの一撃を見ることも無く躱すと、振り返りざまに鋭い蹴りを食らわせて、2体のオーガをあっという間に倒して見せた。
「凄い……」
「なんだ……あの人……」
兄弟が驚いていると、残るオーガたちも後ずさりを始める。
「だ、だめだ……。絶対に勝てない……」
「口惜しい。口惜しい。ヒトの子の肉……。ゴチソウ……。なのに……」
オーガたちはそう言いながら、森の奥に逃げるようにして消えていった。
若い男性は兄弟の方を向いて言う。
「君たち、もう大丈夫だ。人食いオーガはもういない」
彼の表情は先ほどまでの鋭いものではなく、少年たちの恐怖を溶かすような笑顔に変わっていた。
その笑顔に2人は、命を助けてもらったことに安堵する。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう……ございます……」
兄弟が礼を言うと、男性は言う。
「いや、命を救うのに理由なんていらない。だが……君たちはどうしてこんなところに?」
男性にそう尋ねられて、兄弟は答える。
「あ、あの……俺たちの家はこの先にあるんです……」
「兄ちゃんと2人で薪を取りに来たんだけど……。そしたらさっきの人たちに襲われて……」
「そうか……。それは怖い思いをしたな」
そう言って2人に優しく声を掛けると、兄弟は頷きながら答える。
「う……うん」
「怖かった……」
2人の怯え方が尋常ではないと思ったのか、男性はこんな提案をした。
「……よし、君たちの家はどっちだい?家まで送ろう」
それを聞いた兄弟は声をそろえて言う。
「ありがとうございます!」
その笑顔を見て、男性も微笑んだ。
「さっきのは人じゃなくてオーガなんだ。まぁ、オーガと言ってもあれは下級のオーガだな」
兄弟と並んで歩きながら、男性はそう説明する。そしてふと尋ねた。
「さっきのオーガを見るのは初めてかい?」
その問いに2人はうなずいた。
「う、うん……。ここには毎日のように来るけど、あんなのを見たのは初めてで……。人里の近くだから狼も熊もいないし、安全だって皆言ってるし」
兄がそう言うと、男性は言う。
「ああ、本来ならこんな里に近い場所にオーガが降りてくるはずが無いんだ。……ただ、君たちも知っての通り、今は里も山もどこもかしこも食糧不足だ。だから里に下りてきたオーガが、人食いオーガとなって人里を襲うようになったんだ」
「そ……そんな……」
「じゃぁ……さっきの奴らも……?」
兄弟の言葉に男性は頷く。
「ああ。あのオーガたちは山から下りて来て、人を喰うために里の近くまでやってきたんだろう」
それを聞いて兄は、男性に尋ねる。
「あ……あの、あなたはどうしてあんなところにいたんですか?」
2人はこの男性がどこから現れたのか、良くわかっていなかった。
すると男性は言った。
「この近くの山で発生した土砂崩れの調査に来ていたんだ。調査員を護衛する役目だ」
男性の風貌、調査員の護衛という話、そして先ほどの圧倒的な戦闘力を見て、兄弟は彼が世界政府国防省の人間だと察した。
この世界では世界政府の職員は誰もが憧れる仕事であり、中でも国防省は兵団や諜報部といった組織を内包しているため、少年たちの羨望の的だった。
「あ、あなたは! こ、国防省の人?」
「ほ、本当に!?」
少年たちが驚きながらそう聞くと、男性は笑って答える。
「ああ、そうだ」
兄弟は嬉しくなって飛び跳ねる。
「わあ! わ~! 凄い! あの国防省の人なの? あ、握手してください!」
……と興奮する少年に、男性は落ち着いて言う。
「はっはっは。俺なんかで良ければいつでも喜んで」
兄弟の要求に応えて握手をすると、3人はまた歩き出すのだった。
「本当にありがとうございます……。本当に貴方がいてくれなければ、息子たちは……」
「本当にありがとうございました。……このご恩は一生忘れません」
兄弟と両親は、男性に何度も何度も礼を繰り返す。
「いやいや、気にしないでください。当然の事をしたまでです」
男性はそう言ってから言う。
「近くの兵舎には連絡をしておきました。警備を強化してくれるはずですが、森へ行くときはくれぐれも気を付けてください。では俺はこれで失礼します」
そう言うと男性は、少年たちにも別れを告げる。
「はい! ありがとうございます」
「本当にありがとうございました!」
2人は名残惜しそうに何度もお礼を言ったが、彼は優しく微笑んで手を振ってくれた。
「あ! あ……待ってください!」
遠ざかる男性を兄が大きな声で呼び止める。
その場で足を止めた男性に、彼は続ける。
「名前はなんて言うんですか? 俺と弟を助けてくれた人の……あなたの名前を、教えてください! 俺は……俺は、いつか国防省に入って、あなたのような凄い人になりたいんです! だから、名前を教えてください!」
兄は目を輝かせながらそう叫んだ。
そんな少年に男性は振り返って、歯を見せて微笑んだ。
「俺の名前は……『アデル・ヴィフ・クラウス』だ」
「アデル……さん……」
その名を聞いて、弟も言った。
「……いつか、あなたのように強く優しい人になりたいです! あの……僕の名前は『ケイン・ハワード』って言います!」
「あ、お前! 先に名乗るなんてずるいぞ! 俺は兄の『ジーク・ハワード』です! 絶対に国防省に入ります!!」
2人の兄弟がそう名乗ると、男性……アデルは力強くうなずく。
そして最後にこう言った。
「そうか……。なら覚えておこう。ジーク、ケイン。いつかまた会える日を、一緒に仕事ができる日を楽しみにしているよ」
そう言ってアデルは、兄弟に手を振って去って行った。
2人はその背中をいつまでも見送っていた。
そんな2人の様子を両親は笑顔で見守るのだった。
(俺、絶対に国防省に入って、アデルさんと一緒に今日の俺みたいな人たちを守るんだ!)
(アデルさんみたいな強くて優しい大人になりたい。そして、世界政府に入って大勢の人のために働くんだ!)
その夜、ジークは眠れなかった。
何度も思い返す――あの背中、あの名。
「アデルさんみたいになりたい」
そう呟いた時、少年は初めて“夢”というものを手に入れた。
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