第17話 これで安心
原田の家は賃貸のマンション。
実家は一軒家ではあるが、実は清子は死別した夫とは夫婦仲が悪く、憎い夫と姑の入った仏壇なんてこの家には必要ないからと、仏壇じまいをしてしまったのだ。
その時、神棚も一緒に撤去している。
高い位置にあるから、掃除をするのが面倒、という理由で。
清子は背が低く、夫が生きている間は夫が神棚を掃除していたし、そもそも清子はキリスト系の学校出身で、結婚するまでは毎週教会に通っていた。
『でもね、お姉ちゃん。前にも言ったけれど、これはあくまで応急処置。二週間のお祈りは最低ラインだから』
「最低ライン……?」
『うん。本当に安心できるようになるまでは、お祈りは続けておいた方がいいわ』
「……え? でも、細女は原田さんの方に憑いたんじゃないの?」
『今はね。完全に祓うまでは、隙を見せればまたお姉ちゃんの方に来るかもしれない……』
「そんな! じゃぁ、いつまで続ければいいのよ!?」
毎日二回、自分の部屋で――とはいえ、いつ聡太に見られるかわからない。
聡太は会社員ではないから、家にいない時間帯が決まっているわけではないし、登紀子は勝手に上がってくることはないけれど、従兄妹の子供たちは突然二階に来て、聡太の本棚にある漫画を借りに来ることもあるのだ。
一度、見られそうになって、玲奈はヒヤッとした。
今玲奈が使っている部屋に、前はその本棚が置いてあった為、間違えて入って来たのである。
『大丈夫よ。私、卒業式が終わったら一度そっちに行くわ』
「え……?」
『その時、祓ってあげる。その代わり、お姉ちゃんの部屋に二日くらい泊めてくれない?』
優奈はもうすぐ中学を卒業する。
転校した友人が玲奈と同じ町に住んでいる為、卒業旅行としてその子に会いに行く予定なのだとか。
美恵や父親には一切、細女の話をせずに問題を解決するのだから、泊まりに行くくらいいいでしょう?と、優奈は笑った。
『私が行くまでは、お祈りは続けて。お祓いが終わったら、もう安心してやめても大丈夫よ。ただし、お姉ちゃんは憑かれやすいから、御札はそのままで、これからも常に持ち歩いていてね』
お祈りをやめられるなら、玲奈はそれでいいと了承。
そうして、卒業式から二日後に優奈は玲奈の家に泊まりに来て、お祓いの儀式を始める。
もちろん、家族が誰もいない時間を見計らってだ。
本当に効果があるのかまでは、やはり半信半疑ではあったが、優奈はその日の夜、はっきりとこう言った。
「これでもう安心よ。細女は完全に、その原田さんの方に行ったから」
原田が亡くなったと実里から聞いたのは、それから三日後のことである。
火災で焼け焦げ、立ち入り禁止になっていたあの女子寮の屋上から、飛び降りたらしい。
「――ブランコ……」
原田の通夜に参列した帰り、玲奈はあの公園の前を通った。
夜の公園。
そこには誰もいないのに、ブランコが揺れている。
二つとも、揺れている。
ほんの一瞬、そこに細女と原田の姿を視たような気がした。
瞬いた瞬間、視えなくなった。
「よかったね、お友達ができて」
ありがとう、私の代わりに友達になってくれて。
これで一安心だと、玲奈はほっとする。
あの時、優奈の言った通りにお祈りをしていなければ、あの時、御札を燃やそうとしなければ、細女の隣にいたのは、自分だったかもしれない。
視線を自分が住んでいた寮の三階の窓に移し、玲奈はふふふと笑う。
「私って、結構ツイてるかも……」
あの火事で住む場所は失ったけれど、その代わり、手に入れた。
ずっと求めていた――理想的な家族と家。
本当はもう少し後から手に入る予定だったものが、こんなにも早く手に入った。
妙なものに憑りつかれそうだったけれど、代わりに連れて逝ってくれた。
原田とは、別に同じ職場だっただけ。
午前と午後、二年の間で、一緒に働いた時間は数時間でしかない。
それだけの関係。
死んだところで、玲奈の手に入れたものに傷はつかない。
関係のない人間が死んだ。
それだけの事。
もう大丈夫。
もう、これで安心。
玲奈の足取りは軽い。
黒い喪服。
スカートの裾がふわりと揺れる。
もう、何の問題もない。
何の心配もない。
まるで、知人の通夜に参列してきた帰りとは思えないほど、玲奈の表情は明るかった。
実際、その後、彼女の周りでは何も起こらなかった。
大学もアルバイトも、聡太とも、聡太の家族との関係も良好。
何もかも順調で、充実した生活を送っていた。
それから三ケ月ほどが過ぎた夏――
「……玲奈ちゃん」
連日の猛暑なのに肌が青白く、髪の長い、背の高い、贅肉のほとんどない、痩せすぎて心配になるような、線の細い女に、病院の前で声を掛けられるまでは。
「私の事、覚えてる?」
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